トップページ〜 | 95年〜 | 96年〜 | 97年〜 | 98年〜 | 99年〜 | 00年〜 | 7月〜 | 01年〜 | 7月〜 |
Eメール | |||||||||
02年〜 | ___ | 2003年〜 | 7月〜 | 04年〜 | 7月〜 | 05年〜 | 7月〜 | 06年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
07年〜 | 7月〜 | 08年〜 | 7月〜 | 09年〜 | 7月〜 | 10年〜 | 7月〜 | 11年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2012年〜 | 7月〜 | 2013年〜 | 7月〜 | 14年〜 | 7月〜 | 15年〜 | 7月〜 | 16年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2017年〜 | 7月〜 | 2018年〜 | 7月〜 | 19年〜 | 7月〜 | 20年〜 | 7月〜 | 21年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2022年〜 | 7月〜 | 2023年〜 | 7月〜 | 24年〜 | 7月〜 |
2002年 7月〜
その 263 NHK行 2002年7月4日
前略 その 261 これを性格に読み解くには痛みを感じている人でないと
解りづらい事でしょうが、かなり屈折した業界だという事は読み取れます。
ここでいう「使えそうな部分を切り抜いて歌謡曲にぶち込んでいくだけ」
というのは、少し前まではなかった事です。
「切りぬいて貼る(不自然な展開)」ではなく
「切りぬいて貼りまくる」というのは最近の小田和の作品です。
観客動員数何百万を誇った彼もこんな調子で、これが日本の音楽業界です。
少し前、桑田のビデオクリップでコンサート会場を写したのがあり、
随分観客がフィーバーしていて、
この頃はファンもセットで貸し出ししているのかと思ったほどだが、
その後のレコード大賞への道程を考えれば、なるほどと、うなずけるが、
肝心の楽曲がオリジナルでないだけに、こんな悪あがきも、せんなかるまいである。
何年か前にТVで、ゴルフ好きの小田和が、プロの弟子入りでもしていたのか、
しっかりとした挨拶で、キャディーの真似事などをしていた。
井上さんはТVカメラに向かって「仕事を下さい」などと情けない姿を晒して、
その後、車のCMで「お元気ですかー」昨今は「ワハハハ」である。
ミュージシャンをサラリーマンに右習えさせたって、どうしょうもないのだが、
それは日本の音楽業界の裏事情を知らなければ理解できない事である。
昔は業界でも一匹狼風が多く、とかく大手のお抱えなど馬鹿にしていたが、
実際そういう一匹狼のほうが、いい仕事をしていたのではないだろうか。
音楽をサラリーでひとくくりしてしまうなんて、
魂を売った人間でしか出来ないことで恐れ多い事です。
私? 私は百億円かけて百億の価値のあるものを作るタイプの人間です。
とうてい業界の手におえるタイプの人間ではありません。 草々
その 264 NHK行 2002年7月11日
青空と夜空 (1978年)
「いも姉ちゃん」・・・言ってしまった・・・ 口も聞いてくれなくなった 悔しくてオシリに触ったら 嘘みたいに怒って 突き飛ばされた 豆りんごの木に登り 浄水場に石投げて フランス人形の 空箱蹴って 夏だというのに汗一つかかずに そうして石段の上に座っている 右足を伸ばして 猫の頭をなでながら |
やっと出てきたお姉さんは 猫と右足をポーンと 飛び越えて 「いも姉ちゃんなんてもう言わない?」 と聞いてきた 胸元にはソロバン塾に行く道具 じーっとこちらを見ながら後ずさりしている 相変わらず猫を撫でていた ゆるやかな坂道だったので 猫の頭を撫でながら見送ることができた |
「マッチ擦り人形」と同じ酔日記から。 フランス人形が流行っていた頃だから、60年代の記憶。 いも姉ちゃん or ポテト娘
その 265 NHK行 2002年7月18日
前略 ノートパソコンの容量アップが必須事項であったが、
おニューの赤ポッチンを買い、引越しも済んだので、
現実味が増してきた。
HDDアップグレード計画であるが、
一度、確認をしておこうとパソコンにメスを入れる事となった。
底面の、メモリースロットは増設しているのでさておき、
封印付きのカバーに着手した。
保守マニュアルを頼りに、カバーシールを剥がし、ネジを外し、
カバーを開き、その先にはHDDが、と思いきやモデムボードであった。
ケーブルを抜き、薄っぺらなモデムを手にとって、
「ふーむ、これがかの有名なモデムさんか」と感心しながら眺める。
やはり正面キーボード上からのアタックしかないようである。
一度、ネジというネジを総て外してみた。
キーボード奥のロゴシール面をなぞってみてもネジらしき窪みは、見当たらず、
また前回のアタック時と同じ状態に至ってしまった。
しかしマニュアルをよく見るとシール面が一つのカバーになっているようで、
左右からマイナスドライバーで力任せに押し上げてみたら何とか外れ、ネジが見つかった。
この時キートップが一つ外れたが、後回しにして作業を進める。
一度経験済みであり、簡単に、はめ込む事ができるのである。
ネジを外し、キーボードを緩め、押し上げた下のプレート窓に、かの有名なHDDが垣間見えた、
パソコン内の真ん中奥に位置していた、初対面である。
後で気付いた事だが、キーボード右上は、きびすのような仕組みになっていて、
ごちゃごちゃやっているうちに、緩んだようである。
キーボードにはシートケーブルが三本繋がっていたが、マニュアルどおりに引っこ抜いた。
これが後で大変な事になるのだが、
言っておくと私は機械を分解したら必ずおみやげを作る性質なのである。 続く
その 266 NHK行 2002年7月25日
前略 オールインワンノートのiシリーズ1456で、
特色としては高品質スピーカーということである。
始めは分からなかったが、三台めともなり、ノートにしては、
吹っ切れた音をしているという感想をもった。
展示品を買ったからか、本体USBの差込口が直ぐに壊れてしまい、
スキャナーが使えなくなり、困り果てキャノンに電話をしたら、
女性の声で修理以外手立てはないと言われた。
先ず一年間はパソコンを手放せない状態だったので、
よくよく雑誌を調べていたら、PCカードで代用が効くではないか。
サポセンとしては、純正USBを推奨という事なのであろうか。
その辺はデジタル業界独特のやり取りなのかもしれない。
キーボードを外し、プレートのネジを総て外し、
HDDを押し上げて手にとって見た。
「ふーむ、これがかの有名なHDDさんか」と感心しながら眺める。
確か一昔前は毎分200回転と記憶していたが、仕事柄、入力、保存、
出力をやっていたので、5.2インチのフロッピーディスクを出力室で握り締め
「これがどうやって200回転もするんだ?」と疑問に思ったりもした。
それが10年目にして本体に入っているほうが、
ディスク装置と実地検証したわけである。
私のおみやげその1でもある。
現在4.8GBであるが、換装すると40GBになり、BIОSも認識しそうなのである。
元に戻し、プレートを取り付け、シートケーブルをコネクターに、
はめ込もうとしたらペラペラして入ってくれないのだ。「ゲッ」
マニュアルをよく読むと、コネクターがラッチ状になっていて、がま口のようになっているのだ。
ということは、ラッチを開いて抜かなければいけなかったのである。「ゲッ」
さらにネットの検索情報によれば、キーボードを横に置いて、
抜かずに作業をした方が、無難だと言う事である。「ゲッ」
お嬢さんを、声もかけずに無理やり、喫茶店に連れ込んだようなものである。 続く
その 267 NHK行 2002年8月1日
前略 なんでも1456ノートは3カ月で生産終了、次の後継機種に移ったそうで、
日進月歩の流れに私も身を置いた訳であるが、調べてみたら、
その3カ月めに購入したことになる。
パソコン雑誌を開けば、「CD-Rだ!焼いて焼いて焼きつくせぇ!」だの
「バック・バック・バックアップ」だので、私も乗せられて、
サブノートまで買った一人であるが、随分重宝したように思う。
1456ノートを買った当初、Winフォルダのうすいファイルを「何だこれ?
要らないファイルか、チョイ※悪魔の悪戯」
などとやってしまい、リカバリーを余儀なくされ、終えた後の空虚感は、
未だに忘れられず、であるから大事に至る前の備えは怠らなかったのである。
それにしてもCD-Rドライブは、うまい登場をして流れを作ってくれて、
今後、どのような位置を確保して、どういう評価をされていくのか、興味深い記憶装置たと思う。
ちょっと調べてみたら、890MB/99MINのディスクが出ています。
お嬢さんの方は大丈夫でした。………と一言で終わらせるには、ちょっとスリル満点でしたが。
セットし直し、電源を入れ、待つ事しばし、OSは起動したが、ポインターが動かず、
ガックリしていられず、再度差し込み直し、そのままの状態で起動、やはり動かず、ガックリ。
強制終了が嫌で、マウスを使ってみる、動いた、動いた?マウスでは動いた。
少し気を取り戻したので、終了させ、電源を抜き、接続部を調べてみる。
シートケーブルの張り具合に合わせて、それぞれのコネクターに差し込んだつもりだったのが、
どちらにも入る箇所があり、「そうだったかなぁ」などと、呟きながら、差込直してみる。
電源を入れ、待つ事しばし、OSは起動、ポインターがぁ、ポインターがぁ。
「そうでなくっちゃ」と思う反面、「あぁ良かった」というのが、正直なところ。
さぁ換装、40GBのHDDも手元に届いたし、XPの方にまるごとバックアップしておけば、安心安心。
いったいどうなることやら、パソコンライフ。(25日無事換装)パーティション完了、リカバリーは明日 草々
その 268 NHK行 2002年8月8日
前略 これだけ抗議文で説明しても、進展が見えないのは、
つまりは政治が悪いという事になるのでしょう。
業界と政治家の癒着も暴露されて、音楽にとって何の足しにもならず、
吉田氏の「アジアの片隅で」♪気持ちの悪い政治家どもが〜、
なる曲でも聴いているほうが、よほど為になります。
試しにこういう世界で、ファンが「作曲してー」と叫んだら、
必ず、盗作曲を唄いだします、現に未だに続いているのですから。
このような訳の分からない事ばかりやっているから、海外から、
苛立ちの声が聞こえてきていたりするのでしょう。
とはいえ「すっかり騙されていた」という声も「情報は揃ったが、
今はその時期ではない」という声も聞こえてきてはいます。
私など、「この人に、こんなセンスあったかな」とか
「そういう感性はこの人の時代以降だろう」とかで、判断停止したりするのだが、
若い人は、丸のみにして、大風呂敷や、またその逆にならないかなと思慮したりするのだが、
しかし、そういう思慮も、本筋が見えている時代あってのことであろう。
映画の話であるが、黒澤監督の東宝時代に、この横暴会社とのすったもんだで、
何度か冷飯を食わされそうになった事があるようで、
しかし、別段ジタバタするでもなく、近所に釣りに出掛けていたりしたようである。
監督という星の下に生まれた人なのだなぁと、ふと、思ったりもした。
つまり監督は監督、作曲者は作曲者、デスクマンはデスクマン、
盗作はどこまでいっても盗作者でしかない。
名作、七人の侍が世界で話題になっていた頃の、キャラクター人気投票があって、
アメリカは質実剛健な勘兵衛、フランスは、沈着冷静な久蔵、
陽気なイタリア人は菊千代がそれぞれ人気が高かったそうで、
お国柄が出ていて面白い話題である。
ラストのラストの菊千代の死様、あの不安定な死様、太ももの白さが、
非常に印象的であった。
日本の業界はまず「のぶせり以下」ですな、なんたって汚いもの。 草々
その 269 NHK行 2002年8月16日
日曜の午後は晴れてくれなきゃ困る (1978年) Yahoo!掲示板 2002/ 7/14 掲載
なんという憎たらしい 厚かましい外の雨 雨だれさえも雨のように 激しく激しく こうして膝を抱いて 君のメールを読み返しても 「雨が降ったら会うのはよしましょう」と 書いてある 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る |
なんという面白くも 楽しくもない外の雨 僕たちの休みの日は 日曜日しかないのだから 小鳥のさえずり聴いて 朝を迎えたかったのに 照る照る坊主は地面に 叩きつけられている 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る 日曜の午後は 晴れてくれなきゃ困る |
その 270 NHK行 2002年8月23日
メール返信。 その22
●はっきり言って盗作の方は信用しません。
なぜなら、逆回転でヒット曲ができるなら、それを逆回転させて原曲ができるはずだからで、
逆回転させて曲になるヒット曲の例を示せばすむことなのに、それをしていないからです。
★抗議文 その 221に具体的に書いています。
HPに載せている詞は総て曲が付いていて、総て逆回転されています。
前へ出ろと言っても出ませんし、ファンの手前、後ろにも退けず、
相変わらず素人でもしない事をやっています。
●前回訪れたときは曲がありませんでしたが、今回は曲を聴きましたから断言します。
あなたにはヒット曲は作れません。 普通のアマチュアレベルです。
一部の曲が盗作されたとしても、ヒットしたのは完成させた人のおかげでしょう。
★「完成させた人のヒット曲は盗作された (まだ誰も聴いたことがない) 曲」
というのも見苦しい論理です。
ただこの難点は完成させた人というのは、星の数ほどいるということです。
昔の話ですが、詞はそれぞれ違うのに、メロディーがほぼ同じというケースが何度かあって、
それは会社間のモラルの無さを如実に現しています。
近年では、浜崎、鬼束の曲がそうで、この頃は複数人関わっていたり、
機材を使ったりで、腕競べなどしている節も見受けられます。
まぁコツは教えられませんけどね。
●でも、猫のイラストは違う。 はっきり言ってすごい。
音楽の才能とは段違いにすごい。感動ものですよ。
悲しみや怒りがないまぜになったシュールな猫は、他にはない魅力。
難点は一つ一つが個性がありすぎて、全体のイメージができないこと。
どれかよいキャラをふくらませた方が商売になりやすい。
イラストをスクリーントーンで増し刷りして、駅前なんかで売ってみたら
どうです?絶対売れるよ。
★イメージが膨らまない時も苦しいですが、みなさんも好きに批評出来ないのも苦しいのではと、
気に留めてはいたのですが、今回はどうもありがとう。
あなたのお気に入りのニャンはどれでしょうか?勉強になりますので。
その 271 NHK行 2002年8月30日
メール返信。 その23
●初めまして。 只今大学4年にて、卒論のテーマとして音楽を題材に扱っている物です。
非常に楽しく読ませて頂きました。
この文章を読んでいる限り、私の予想通りだったと思います。
現在の日本におけるミュージックシーンが退屈で全部同じに聞こえる現象は
このことだったのかも知れません。 お陰で日本の音楽は約2年程で退屈になり、
聴くのを止めてしまいました。
現在はインディペンデント・レーベルの音楽を中心に聴いております。
音楽業界で働く事に興味が湧かなかったのも、薄々感じていたのかもしれません。
勝手ながらもこれから応援させて頂きます。
☆とってもありがとう。
●深いですね。 どういうわけか流れ流れてあなたのHPにたどり着いてしまいました。
駄目ですね。 あなたの考え方だと、小説であれ絵画であれすべてが
他所からの盗作ということになってしまうように勘違いしてしまいそうです。
一冊の小説があれば、そこから文節を抜き出し切り貼りするだけで無限の数の小説ができますね。
一枚の裸婦の絵は、それ以前にかかれたすべての似通った構図の盗作ということですね。
などと、思ってしまいました。 こういう考えは、多分あなたの意図するところではないと思いますが・・・。
ところで、抗議文として公開するのであれば、あなた自身のことをもっと詳しく紹介してほしいような気がします。
そうしてくれないと、あまり笑えませんよ。
★そうですか、ちょっと勉強になりました。
少しずつ、ズレを修正しているつもりなのですが。
モーツアルトが遊び半分で作ったのか、楽譜の半分から、そっくり逆にした楽曲があるそうです。
つまり楽譜の半分からUターンしていくメロディです。 モーツアルトの時代から存在しているようです。
もちろん彼は彼の作品内での事に留めていますが。
●はじめまして。
「オージョラジョンビン」、とっても素敵な曲ですね!
特に「スティブラ、ジョブアン」のところなど、少し泣けてしまいました。
これからも 真の作曲活動、頑張って下さい!
では♪
☆とってもありがとう。
その 272 NHK行 2002年9月6日
涼しさ (1974年) Yahoo!掲示板 2002/ 8/10掲載
一、 蝉の声がコーラをどうぞと ベンチに座って ひと休み 澄みきった空に 涼しい姿 白いハンカチで コーラを大事に 水色のワンピース 真っ赤なサンダル 二、 とても涼しく見えるから ゆっくり 静かに こぼれないように 長い髪が二つめの ボタンまで 白いハンカチで 濡れた手を そっと静かに 僕のコーラと |
三、 あなたはバスを待っている 声を掛けずに 見送ってあげる 声を掛けずに 見送らなければ 声を掛けずに 見送らなければ 僕は悲しい いたずら天使 四、 あなたはとうとう行ってしまった 僕のコーラを 飲み干して 知らない町の 知らない人の あなたのコーラが そこにある 蝉の声がコーラを どうぞと |
この詞は何度となく直しを試みましたが、結局そのままの状態。天使だなんて、大胆だと思いませんか?当時は缶コーラ位しかなかった。旅立って初めての詞。
その273 NHK行2002年9月13日
メール返信。その24
●僕は以前、たまたま中島さんからハガキをいただいた者です。
『金印をうんぬん』という内容でした、99年3月1日の消印になってます。
当時私は21才くらいでしたが、SMEのデモテープ審査に応募したりしてましたので、
業界人の誰かが、私に警告してくれたのかなと思ったものです。
★そうですか、その節はお騒がせしました。
ハガキ攻勢は二百万ほど掛かってしまい、それでもあなたのような、
受け止め方をしてくれる人がいるのであれば、それも生きてきますね。
●結果として今日、中島さんのサイトに偶然(必然かも知れませんがね)出会いまして、
そのあたりの気持ちの整理はつきました。
しかし、どうにも自分の曲が盗作されていないという風に納得まではできないのが本音です。
★SMEが分からなかったので、検索してみたら、悪名高きソニーでしたね。
昨今、パフィーをアメリカ公演などに、遠征させていましたが、途中でスタッフ連中、
逃げ帰ってきたのではないですか?記事にはなりませんでしたが。
●〜ところがです、98年秋以降だと思いますが、いつものように邦楽チャンネルを聞いていたところ
『おっ!日本人もいいアーティストいるじゃん!』というような、いわゆる『名曲中の名曲』に出会います。
まあ、それが僕の推測では原曲は僕のだと思っているのですが、、、
★曲名だけでも分かると少しは把握できるのですが。
●ちなみに私がSMEで演奏した時より後にリリースされたことは間違いないです。
日本人がカバーもしてます。以上のことに、とても絶望してもんもんとした日々が数年続きました。
しかし、ここ最近では『まあ仕方なし』という思いと『まあ世の中であれだけ売れた
(2曲とも記録的なセールスのはずです、今どき人々は無料で楽曲をダウンロードしますし)わけで、
人々の幸せに貢献できた』と素直に思えるのです。
もしくわ、心理学者が言うように『集団的無意識』というのが存在し、
たまたま僕が作った曲を、たまたま他のアーティストもどこからか仕入れてきたのでは?とも思っています
(要は私も、その他のアーティストも、どこからか作った曲をダウンロードしてきたと、おかしな表現ですが)。
以上のことに大変自覚的だったのですが、ここ最近仕事を退職いたしまして、
昔作った曲をまたこりずにSMEに郵送したところです。今度は日本詞です〜
★二度目も送ってしまった後に、アドバイスなどは、出来かねますが、私の場合は送っても音沙汰がなく、
もっと優れた曲を作り出すと、送る前に無くなっているという状態です。
●〜ああ、それと中島さんの曲パフィーの『これが私の生きる道』ですが、
パフィーの中でも群をぬいていい曲だと思います。
このように『同じ作曲者でありながら、楽曲ごとのレベルや個性にばらつきがある』のはとても不自然ですよね。
しかし、ここ最近はそのあたりの『統一感』にもかなり気を配っていると思います、業界は。
そうなってきますと、一応レベルの底上げという意味では、なけなしの金でレコードを買う人にとってとてもいいことかも知れません。
とはいえ、盗作行為そのものは肯定できませんが。
★盗作されたのであれば、あなたにとっても、音楽にとっても不幸な事です。
※半分くらいに要約しました。
その274 NHK行2002年9月20日
前略 元、和風旅館で、十二畳位の畳の部屋であったが、
寒いのと、物持ちが無い所為で、蒲団の上で過ごしていた。
夏蒲団であったが、電気敷き毛布で、十分、冬は越せたのである。
大家さん夫婦が一階に住んでいたが、住みだして直ぐに、
お爺さんの方が、体が悪くなったとかで、お婆さん付き添いで入院してしまった。
二階は四部屋ほどあったが、
ほかに借りている人は一階に一人ほどであったから昼も夜も静かであった。
流石にテーブルは貸してくれたりして、
寝ている時に娘さん(オバサン)が掃除に来たりしていた。
たぶん昼間なのだろうが、雨戸も締め切っていて、
私は蒲団の中で眠っていた。
鍵も付いていず、障害物もない、十一畳?ほどの部屋をそそくさと掃除していたようであった。
大きな工場の構内で決まりきった溶接の仕事はしていたが、
小倉のような構内の突貫工事のような仕事は初めてだったので、かなり疲れた。
であるから和歌山では二十四時間近く爆睡していたのである。
その構内の食堂で頻繁に出される何かの味噌味が、すこぶる美味しくて、
楽しみでもあったが、それが「クジラの肉」だと答えを出したのは何年も経ってからである。
フグのお寿司も社長さんにご馳走になって、小倉では初物尽くしであった。
テーブルには好みのカップ麺が二種類買ってあって、
夜中に食べた空カップを幾つも重ね合わせて、競い合わせて山になっていたが、
オバサンはかなり変な人と思ったに違いない。
そんな中で、二十四時間のブルースシリーズを纏めたりしていた。
実際は四部構成なのである。
草々
その275 NHK行2002年9月27日
前略 毎月発表している、楽曲の事を少し書いておきます。
これは2コード15分シリーズで、60分・132卷・1ダース区切りの全13セットで、
基本コード・マイナー・セブンスあたりを5往復ほどしていて、成るものであります。
何のこっちゃと、思われますが、つまり全部試聴するには、132時間かかる計算です。
その中で、みなさんに聴くに耐えられるものを、ごく僅かですが、
混乱しないような選曲で発表しています。
とはいえ自分としては、そういう区別はしていず、
132卷の中の何度かのテイクの一つとしています。
2コードで出発して中盤あたりから、1コードに変わり、焦らず、力まずに、
後半に一気に、などとは毛頭考えず、何よりも楽しく唄って、自然に終了した結果、
あわよくば実が生ったという感じです。
88年から89年の一番掛け持ちの多かったシリーズの時期で、
イラスト・レタリングもやっていたので、息つく暇も無く、振り返って楽しめるのは、
みなさんと一緒です。
その頃は何故か、禁煙をしていた時期で、幾つもの幸運が重なり合って、
舌っぺもころころ回って、何よりも音楽業界が眼中に無かった事が、一番の幸運であろうか、
決して言い過ぎではない。
ところでメールの続きですが、女性の方は「悪いことはいいません。
イラストを世に出すべきですよ」であり、長文の方は「曲を送ってしまいましたが、
これ以後は気をつけよう」という事でした。
だんだんと言葉が重たくなってきて、私も責任重大になってきました。
草々
その276 NHK行2002年10月4日
踊る人生のステップは甘いものさ (1978年)
一、 今日は日曜日 たて髪なびく 君と僕との輪の中で おっ駆けっこする為の 大事な大事なプレゼント 両手で大事に包み込み これからずっと 桃色人生 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ |
二、 今日は日曜日 ツーピース 君と僕との待ち合わせ 後ろに回って包み込み キスしてキスしてプレゼント 両手で大事に差し出して これからずっと 大事な人生 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ 踊る人生のステップは甘いものさ |
その277 NHK行2002年10月11日
前略 WEV掲示板に
「知ってるつもり?
みなさん、ダンゴウ三兄弟って知ってますか。
知りたい方は、私のHPから得てください。
歌謡曲・知れば知るほど過酔局なんちってか。」
などと載せましたが、ダミーや子会社を合わせると、ダンゴウ三強大小というところか。
昨今CDが伸び悩んでいると聞きますが、つまり盗作曲を出せば、
ミリオンで、出さなければ、伸び悩み、彼らの常套に戻る訳です。
ただそれだけの事で、そういう体裁なのです。
とはいえ映画やCM、私の目の届かないアルバムなどに姿を変えて幅を効かしていますが、
ますます後始末が大変になるだけです。
その時代を代表する作曲者を潰しにかかる業界などというのは、
その時代のもっとも必要としない仕組みなのですが、
「もう決まっているんだ」の一言で現在まで進めているのです。
映画・七人の侍の中で、勘兵衛が、偽侍・菊千代にこう尋ねる
「おぬし、侍ではないな?」………決して「おぬし、ドン百姓だな!このクソ野郎」などと、
勇み足は見せない。
そんなことをしたら台無しであり、映画にもならず、野武せりで十分なのである。
CD売り上げが下降をみせ、音楽業界が紳士的に見えても、みなさん、
気を許してはいけません、まず10年・20年分は荒稼ぎをしていますから、
著作権協会がビルをおっ建てている位ですから。
某TV局などが、「企業の方々は利益だけを追求してもらって」などと言うと、
企業の方々は「うん」などと言っているのかと思うと、平和だねぇと。
草々
その278 NHK行2002年10月18日
誘われたり 振られたり (1978年)
窓辺に肘を寝かせ 落っこちそうに 顔を置く いつまでも そうしていたように 秋の指が 瞳を閉じさせる 誘われたり 振られたり 窓をもう少し開けて 返した手の平 起こしてみる 秋の儘 涙も誘わず 手の平に 虫が乗ってきそう 誘われたり 振られたり 一刀両断の構え 眠り顔を じーっと見てる いつまでも そうしていたように 虫の声さえ 寝息に聴こえる 誘われたり 振られたり 誘われたり 振られたり |
その279 NHK行2002年10月25日
前略 HDDアップグレード計画であるが、98のHDDの増設も済ませ、
パーティーションの変更も終わったが、OSのインストールの所で、躓いてしまった。
リカバリーCDだと勝手に出荷時の設定に戻ってしまうのだ。
Cドライブの容量をもう少し増やしたかったので、試行錯誤の末、
サブノートのSEのリカバリーで試したら、何と、インストール出来て、
ドライバーの更新をして、動いている。
サブノートも同じ1400シリーズなので、インストールが出来たのであろうか。
であるから、CPUの基盤を丸ごと変えたり、USBの基盤を丸ごと変えたりと、
夢は膨らむのであるが、そのままの状態である。
というのも上位機種のアカポッチンがすこぶる快適なので、そちらに移行してしまった。
総てがスピーディーになった分、掲示板を覗いてばかりで、この頃は寝不足ぎみである。
プリンターやスキャナーのヘルプを熟読していない事が、
何時までも気になっていたが、快適さに何処かに追いやられた感じである。
NT系というか、98系との中間のXPは興味大であったから、カスタマイズもせずに、
タスクバーから「ポコ」っとアップデートの知らせが入ればどんどんインストールして、
ソフトの体験版などもどしどし入れて、体感している。
やはりOSはソフトをいかにすむーすに快適にであろうか、それとOS独自の個性と。
ポインターを少し動かすのもデジタル処理をしているのであるから、
人間のように思考から離れた無意識の動きなどない分、
ある意味で大変であろうが、これからも発展途上であろう。
で、B5ノートがほしくなってきたなぁ
草々
その 280 NHK行 2002年11月1日
前略 和歌山を後にしたのは5月の始め頃であった。
東京での音楽的生活に憧れていたし、
当時は二十歳過ぎのデビューなど皆無に等しかったから、
何かしら動き出したかったのである。
大阪まで出かけ、時間があったので、サウナに寄って、入ったのはいいのだが、
よく見るとお客さん一人一人にホットパンツのホステスさんが付いているのだ………美人の。
そそくさと出てきたが、ともかく大阪はオープンであった。
兄の部屋で何曲かデモテープを作り、ワーナーパイオニアに持っていったりしたが、
何処かで唄っていたほうがいいよというような返答であった。
私はアルバム志向であることを伝えたが。
あれもこれもとやりたい事が一杯あったが、お預け状態であった。
日雇いのアルバイトなどを、のんびりとしていたが、
ちょっと油断をすると日々の暮らしが追いかけ追い越してゆき、暮らしを立てる現実に直面した。
うまく言えないが、実家にいた頃は、衣食住の心配もなく、友人がいて、祭りのあとではないが、
一人になった時に、ぽつんとギターとノートがあり、その繰り返しで、
暮らしを立てる現実がおぼろげに見えてきた頃にも、ぽつんとギターとノートがあり、
そのまま旅立ったようなものであるから、後戻りなど考えた事もなかった。
冷凍物を倉庫に出し入れする仕事で、
真夏に零下二十℃ほどの倉庫に2・30分ほど入っていたが、帰りはふらふら状態であった。
その69の「真夏の最大のクーラーは真冬か」などという発想はここらあたりからの体験であろうか、
何でもやっておくものですね。
草々
その 281 NHK行 2002年11月8日
前略 先週は久し振りに秋葉原へ行って買い物をして来た。
メモリ2枚と、ビデオキャプチャーと、ついでにハードディスク
ケース。
テレビの映りが悪くなり、買い替えに液晶テレビをネットで検索していたら、
来年にかなりの様変わりがあるという情報。
迷い始めたが、品定めのつもりで出かけて色々見てきたが、決めかねて、
ついでの買い物を済ませて来た。
現在はビデオキャプチャーでテレビを見ているが、
不自由がなければこれで来年まで、持たせようかなと思っている。
ビデオキャプチャーは、リモコン付きのを決めていたが、店が閉まっていたので、
他所に回って少し値段が高かったが、買ってしまった。
開けて見たら、リモコンが付いてない、ゲッ。
リモコン無しのを高めで買ってゲンナリ。
メモリの増設も済ませ、1GBが効いているのか、ソフトを三つ起動しても快適であり、
録画した映画が終わり、再生してみたが、放送時と同じ映りで動いている。
2時間半で6.28GBであり、パソコンのシステムとしては、綱渡り状態なのであろうか、
デジタル処理として、構わず使いこなしていくべきか、がんばれアップグレードAKAPOTTIN。
その昔、ビデオ12万・ビデオ8万・テレビ5万と、まとめ買いをしたが、壊れに壊れて、
しかしテレビだけは長寿をまっとうしたのだ。
スイッチを押して無事、録画し終わる満足と、スイッチを押して動かなくなり、
それを修理センターへ毎回持ち込み修理代を払う不満足との差には、
計り知れないものがあり、バイオを買わずにバイバイバイなのである。
という事でイラストですが、チビ助三匹組の完成です。 草々
その 282 NHK行 2002年11月15日
デート デート デート (1978年)
一、 二人で目を閉じ 君と僕の将来を真剣に 予知してみよう デート デート デート デート デート デート デート デート デート 可愛いい唇 美味しそう 胸のハートを押し込んで 僕はため息 付くばかり |
二、 夢の中のお話 時計が時刻を指すのは分かるが 少し違う デート デート デート デート デート デート デート デート デート お尻を刺した チクリ 僕の時計に細工して 君のドアーを 壊したい |
三、 そっと目を閉じ 二人でにらめっこしてみよう 一二の三 デート デート デート デート デート デート デート デート デート ズルイと言っても もう遅い サンタクロースを呼び出して 君の幸せ 聞きだしたい |
その 283 NHK行 2002年11月22日
前略 そういえばポールが来日していたのですね。
少し前のジミーペイジ・ロバートプラントの、武道館コンサートには出かけましたが、
今回は二の足を踏んだ感じ。
世代交代で、レッドツェッペリンが台頭してきた頃、
メディアの表現で「ビートルズ、ツェッペリンに蹴落とされる」というのがあって、
その異様な表現が可笑しかったのですが、今となっては、なるほどと、頷けなくもない。
映画ヤァヤァヤァで舞台上の傷心のリンゴに、
ジョンが歌を唄って聴かせる場面があって、印象的でした。
世界のアイドルが客席にではなく、拗ねてる友に向かって唄うなんて、
にくいじゃないですか。
私はビートルズ世代からは乗り遅れましたが、
それでもミッシェル・イェスタディは耳に入ってきていました。
十代半ばは何でも吸収していた時期でした。
友達の友達などが、必死になってパチンコをやっていて、
玉が出だしたと思ったら急に止めてしまい、レコード屋へ直行。
それでも足りなくて、友達から金を借りて大騒ぎの末、シングルを買っていた。
その嗜好に圧倒されましたが、レコードマニア(洋楽)を目の当たりにして、
その個性のほうが、羨ましくみえたものです。
焼き鳥屋へ行くべーと言い出してみんなで出かけ、食べていたら、
金ねーぞと言い出して、大騒ぎになったのもこいつで、
友達の友達から、友達になっていく社交辞令のようなものです。
私は以外にもドラムから始めた人間で、プリーズミスターポストマンなどが一番ノリが良く、
レコードに合わせて叩いていたものです。 草々
その 284 NHK行 2002年11月29日
前略 この頃、来なくなったけれど、若い黒猫が、裏のテラスに来て荷物の上で寝ていた。
自転車を置くついでに、買い物袋からサラミを与えていたのですが、
逃げるのは分かっているから、それとなくです。
まったく食べる気配を見せないので、嫌いなのか、と思っても、
次に見たときには無くなっているので、食べてはいるのでしょうが、分からない。
この頃は懐いてきたので、目の前で渡しているのですが、やはり、澄ましている。
どうやらこの猫「お上品猫」らしい。
のどを摩り、ヒゲを引っ張り、耳を弄くり、私のいつものパターンでご挨拶。
5・6年前のお客さんは、茶黒の猫で、
イカの燻製を与えたら、みるみる平らげていたが、途中でゲロを出していた。
しばし、笑かしてもらったひと時である。
この猫は随分懐いて、毛並みの良い猫であったが、
ある日を境に来なくなったが、一冬過ぎた夏頃現れた。
元気ではあったが、「どうなったらそんなんなるの」というほど、
全身の毛並みが爆発したように毛羽立っていた。
風貌も別猫のように、よそよそしかったが、またまたある日を境に、
ぞろぞろと子猫を連れて現れ、イカの燻製に有りついた訳である。
近づいたり、逃げたりと気まぐれには見えるけれど、
子猫の乳の為にアパートの連中にニャーンと鳴いてはエサにありついていたようである。
秋頃、枯れ葉を踏む音がしだすと、テラスで子猫等のかくれんぼである。
低い窓を開けても、まだ低い位置にいる子猫等は気付かずに、目の前で遊んでいた。
両手、両足を均等に出して飛び跳ねる姿などは、子猫独特のもので、
逃げたり追っかけたりには、まったく不向きであろう、子猫の遊戯用のパフォーマンスである。
流石に毛羽立った子猫はいなかったが、やはりある日を境にぱったりと居なくなってしまった。 草々
その 285 NHK行 2002年12月6日
前略 私は今日の今日まで、ホームページをくまなく観覧した後、
WEB完全で保存すれば、そのまま他のデバイスへ保存が利くと思っていた。
2・3ページに渡るインターネット接続設定などを、
フロッピーに保存しておけば、リカバリー後の設定が楽であるから。
便利な事なので、実際98の時、ペイントソフトの解説などを、
フロッピーに保存をして、ディスククリーンアップを済ませ、
FDから開いて試してみた事もあり、観覧できたので満足していた。
どうして観覧できたのかは、インターネットに繋がっていたのであろうか?
XPでそれをやり、開いても見れず、
だいいちファイルタグにオフラインの項目すら無いのである、で、
システムの復元が開かないという、不具合も重なっていて、
てっきりファイルが破損しているのだと、思い込んでいた。
ともあれオフラインを検索しても分からず、やむなく掲示板に答えを求めた。
答えは「〜接続しないと見れません。」でした。
ちょうどその頃、メールのQ&Aで、キャッシュファイルの復元が出てきたので、
試してみたら、オフラインで開けたので、
「キャッシュファイルの復元は、Internet
Explorerを起動して、
[ツール]〜[インターネットオプション]を開けて[全般]タグから「ファイルの削除」ボタンをクリック、
出て来た画面で、 □すべてのオフラインコンテンツを削除するにチェックを入れて
[OK]ボタンを押します。という情報を試したところ直りました。
煩わしてしまい、すみません、ありがとうございました」
と、頓珍漢な返信をしてしまった。
今更掲示板にワビも入れられず、あー恥ずかしい、WEB完全で保存して、フロッピーに隠れたい。
ところで今日、掲示板・Jポップの私のトピックが削除されてしまった。
またまた盗作が続かなければよいのだが、はたまた、印税暮らしで、
当分冬眠をしだすのであろうか、皆さん、これからも、注目していて下さい。草々
その 286 NHK行 2002年12月13日
あなたは一度だって外に飛び出した事がない (1978年)
一、 駅からの電話は止しました 受話器を上げた途端 口紅の匂いがして 唇を噛む癖のある私は 何時までも口紅は嫌いです ほら もうこんなに強く 今日はデートなんだから 寝ぼけてないで あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 喜びの鞭 打たれたように あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 郵便ポストを曲がって 私が待ってる喫茶店へ 飛び込んで追いで |
二、 皆でキャンプへ行った夏 真っ赤に熟した林檎を 放り投げた時 スカートがめくれたのをあなたは 顔に林檎をぶつけながら しっかり見たのを知っている 慌てて林檎に飛び掛り 転がって あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 喜びの鞭 打たれたように あなたは一度だって 外に飛び出した事がない その夜皆で大笑い 女の子だけで散歩に出たの 星がとっても綺麗で |
三、 駆け出したほどなのに あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 喜びの鞭 打たれたように あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 喜びの鞭 打たれたように あなたは一度だって 外に飛び出した事がない 今日はデートなんだから |
その 287 NHK行 2002年12月20日
10××年
何処から来て、何処へ行きなさる?
北へ
北の郷なら、そこの細い道を真っ直ぐ行って石段を上がった脇道を…
ここから町へ行くには?
その道を真っ直ぐだが、はて?北町やら北の町やらあったかのぉ…おーぃ…
何処から来て、何処へ………か。妙な事を言う爺さんだ。
◆
何処へ行きなさる?
北へ
北へ行くにはこちらじゃなくて向こうですよぉ。
爺さんがこちらと教えてくれたが?
大方、狐にでも化かされたんじゃろ。気を付けなせぃ。
狐に化かされた………か。
◆
どうなさったかのー。
婆さんがこちらの道と教えてくれたが?
ワシは変な事言ったかのぉ?
北へは町があったはずだが。
何分ここは洛外なもんで、あっちの町になったり、こっちの町になったりで、
今はこっちの町の領分だぁ。
争いが絶えないでワシら心配だぁ………で、何処から来なすった?
道なき道。
その 288 NHK行 2002年12月27日
■■■12月のトップページ下をキャプチャと補足(※)■■■
暫定キリバン曲 「ヤスディーホリディー」
※即興曲と違い、カセットに少しずつ録音して作ったので、難を逃れた貴重な原曲です。
一発で作った曲はほとんどやられています。
四十歳代とその前後の方達の、「その時代の聴き忘れた曲」といっても過言ではありません。
今年のクリスマスプレゼントは、ついに、ついに、私の顔を、違う違う違う。
今年のクリスマスプレゼントは、ついに、ついに、あの30UのB1を。
A1をしのぐ勢いで、コード進行無視のハイビジョンバトル。
楽しみの一つ、間違いなし。
※1コード曲と違い、コードを多様。
どこに移動するかは、私にも分からない、即興曲の醍醐味満載の作品。
プロバイダーのデスクをぶん取って、カウンターを弄くり回しているものだから、
何時になってもキリバン曲が出せない状態。 よって12月中に載せます。
※8日朝にHPをチェックしていたら、カウンターが未表示で、
その上に「私のHな日記」という文字が、リンクされていた。
クリックしてみたら、携帯でとか、書いていた。
FTPのフォルダを調べたが、分からず、もう一度、HPをチェックしたら消えていた。
こんな事は始めてである。ともあれ無闇にクリックは禁物か。
12月の楽曲紹介もお忘れなく。
「バァービィー」 Fコード。 蘭兵衛唄えばこの世はバラ色。
※私の曲は長いので、外で聴くのは禁止、心配で、心配で。
来年早々からもう一度、1コードのロングバージョンを順繰り、載せます。
※ただ今、新たな楽曲紹介を模索中
9/ 7 あるようでなかった、グッドアングル!
「永遠不滅の、横ピース」
10/ 7 かつてないほどの、べそのピンチ。
べその立場はどうなる。
10/20 かつてないほどのべその意気込み。
壮大なスケール?でお贈りする!「べそピン・ワンピン・どらどら満貫」
これほどのべその雄姿を前にも後にも、前後不覚を問わず、見たことがない。
起死回生なるか!「べそピン」
11/ 3 私 「べそくん、すべったんでないかい」
べそ 「ニャ」
私 「ちょっと壮大すぎたかな」
べそ 「ニャ」
私 「雄姿?」
べそ 「ニャ」
私 「来年の年賀状は横ピースかな」
べそ 「ニャウニャウニャウニャウィニング
ニャウニャウニャウニャウィニング
ニャウニャウニャウニャウィニング」
12/11 街角で、その後のべそをフォーカス。
泣き崩れてはいるが、やはり、ただの猫ではなかった。
すっごいパフォーマンス。
12/18 私 「べそくん、うけたじゃないですか」
べそ 「ニャン」
私 「いいキャラは一人歩きするって言うけど、ほんとだね」
べそ 「ニャン」
私 「ねらってたのかい?」
べそ 「ニャン」
私 「偶然かい?」
べそ 「ニャン」
私 「キャットで?」
べそ 「ニャン」
私 「わっかんねぇよ」
数字ロゴに着手できず。
年賀のロゴを紹介。
2002年 7月〜
トップページ〜 | 95年〜 | 96年〜 | 97年〜 | 98年〜 | 99年〜 | 00年〜 | 7月〜 | 01年〜 | 7月〜 |
Eメール | |||||||||
02年〜 | ___ | 2003年〜 | 7月〜 | 04年〜 | 7月〜 | 05年〜 | 7月〜 | 06年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
07年〜 | 7月〜 | 08年〜 | 7月〜 | 09年〜 | 7月〜 | 10年〜 | 7月〜 | 11年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2012年〜 | 7月〜 | 2013年〜 | 7月〜 | 14年〜 | 7月〜 | 15年〜 | 7月〜 | 16年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2017年〜 | 7月〜 | 2018年〜 | 7月〜 | 19年〜 | 7月〜 | 20年〜 | 7月〜 | 21年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2022年〜 | 7月〜 | 2023年〜 | 7月〜 | 24年〜 | 7月〜 |