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2007年7月

 その 524 NHK行 2007年7月7日
 お日様   一年一組 中島蘭子

 ある日、お日様が照っていました。
私は指をさし、心に留めました。
ずっと歩いてから振り向いても同じところにいます。
駆け出しても駆け出しても同じ空の上に居て、
私を見ています。

 お日様の影に隠れてから、そっと覗くと、
私を見ていました。
なんてお日様なの、だから心に留めたのに・・・
眩しいだけで何も答えてくれないくせに・・・

 学校のグランドで指をさし、心に留めました。
忘れていてごめんねと付け足して。
公園のブランコに乗って一番高く漕いだ時、
 「あっ」
お日様がいました。
手を離したら危ないので、ほっておきました。
だって手を離したらダメッて言われてるんだもん。

 ポケットの中にはもう一つポケットがあって・・・
 「10円玉・・・お日様にあげるーっ」
 「あっ」
 「お日様が10円玉に隠れたーっ」

べその二重丸 その 525 NHK行 2007年7月14日
前略 綴方教室という本があって、小学生が書いた作文であるが、これが実に面白かった。
昭和初期の東京下町に暮らすブリキ職人一家の生活をありのままに綴っていて、
それが教師の指導の元で本になったのであるが、「綴方教室」「続綴方教室」「粘土のお面」と、
ほぼ10歳から16歳頃に書かれたもので、とても新鮮である。
 昭和恐慌の煽りで一家の暮らし振りは困窮を極めるが、それをつぶさに描き、
綴方教室は当時80万部近いベストセラーになったようで、映画・演劇にも取り上げられている。
 その本文であるが、つらつらと読み進めるうちに、やがて小さな感動を覚えた。
この人は性根というものが無いので、何か精神の中心にスコーンと戻っている、
それも努めてそうするというのではなくて、極めて自然に戻っている。
これは物凄い事ではある。
 たとえば性根というのが精神に芽生えてくれば、偏ったりそこに停滞したりしてくるし、それが、
精神を独占してしまえば、所謂、自己中になりがちだが、
この人はそれがないのでスコーン・スコーンと精神の中心に戻っている。
 坊さんを三日やったら辞められないと言うが、これだから人間辞められない。
正に精神の勝利。
何か言い知れない感動で取り纏めようとして、"精神の勝利"という言葉が思いついたが、
こういう精神であれば、どんな星の下に生まれようと何を書いても面白いものが出来る、
と言う意味で正に精神の勝利である。
 川端さんの年譜を読んでいたら綴方教室という言葉が出てきたので、ちょっと綴り方の勉強しようかな、
くらいで借りて読み出したら、小説以上に小説の醍醐味があり、大ファンになってしまった。
当時、川端さんの時評に異例の長さで採り上げたようであり、全文は読んでいないが、
ネットで少し見つけたので載せておこう。

「豊田正子氏の『綴方教室』の面白さは、この子供の性格や境遇によるところも少なくない。
しかし私達に最も教えてくれるものは、その文学的才能の稀有な現れ方にある。
子供がこのような文章を書けるのは、あたり前のことである一方、実に不思議なことと考えられるのである。
この少女の作品は、作文の最もやさしい教科書であり、同時に最もむづかし教科書である。いわば、
文学の原型、または出発点を見事に示したものであろうか。そのような意味で、厳然として神聖である」

 その 526 NHK行 2007年7月21日
前略 諸手で拍手を惜しまないところであるが、
やはり作家としての厳しい目が入っていての賛美であろう。
 同じく川端さんの著書に
"言葉というのは人間を美しくみせる為の道具"
と言うような意味の事が書かれてあったが、たとえば
"あるところに世界で一番美しいお姫様が居りました"
と書けばそれはそれで通ってしまうが、
ただ綺麗な言葉や美しい言葉を並べ立てるというのではなくて、
そういう本当の意味での美しさも備わっているのだろう。
 小旅行の話で、堀さんの章で触れた意識の動きの拘りにも繋がっていて、
造形的に解釈できるほどの原初的な動きであるようで興味深かった。
 始まりは教師の指導の下で
"見たまま、感じたまま、自分の言葉で"の綴り方を習い、
やがて赤い鳥という児童雑誌に入選していくのであるが、
彼女は笑うと笑窪が出きる可愛い子である、
その笑窪にゴミが溜まるほど下町に吹く風は埃っぽいが、
後半は涙・涙で体ごとぶつかって書き留めた記録である。
 こういう無垢の精神には以外な展開が待っているものであるが、かてて加えて以外である。
文中の舞台における父ちゃん母ちゃんの反逆も、
貧困という暗中模索の大パノラマが用意する膳立てであり範疇内に留まるが、
舞台裏の著作権では指導した教師の大化けが以外である。      
 終戦の年には登場人物の弟達が傷ましい事になったりで、これはもう記録文学というよりも、
戦前・戦中・戦後を通した昭和の一大河の領域に達しているのではないかと思う。
 ところで小学校の映写会の時に短編で観たような観なかったような懐かしさがあって、モノクロ画面の、
夜に写る自転車のテカテカが何時までも脳裏に残っている。                    続く

 その 527 NHK行 2007年7月28日
前略 私にとってはお気に入りの堀さんにしろ豊田さんにしろ、
1キロも離れていない下町育ちというのが興味深いところである。
 有史以来めんめんと自己中の極みを歴史の中で見つける事ができるが、反面、
人間性も確実に形成され続けてきているのは、こういう精神が、
階級の隔てなく絶えず再生され続けているからではないだろうか。
でなければ人類など、とうに滅んでいるはずである。
それを彼女は言葉の表現という才能でもって示してみせた、と言ってもいい。
 読み進めて後半になってくると、「貧乏ってつまらない」とか「いやだなと思った」とか、
危うい言葉がたびたび出てきて何物かが形成されつつあるが、
そんな心配をよそに次作の「粘土のお面」はさらに出来がいい。
 粘土のお面の章では、子供の無意識の動きをさらりと書き留めているし、
鼻の手術の章では読み手がその痛みどころに間誤つくほどにガイダンスに沿っている。
 夏休みに口減らしで田舎に追いやられる章では、同い年のおクマちゃんが圧巻である。
陽に焼けて真っ黒な顔のきかなそうなおクマちゃんの"一人突っ込み&ボケ"は、
愛すべきキャラクターである。
 更に勤め先の新人で後輩の友ちゃん(十四歳)の章も可笑しい。
芸者に憧れているらしく先輩をつかまえては芸者の話題を聞き出し高揚して、
それを何度となく繰り返すものだから周りはウンザリ。
 言葉遣いもぞんざいになっていき、着物の裾を長く伸ばし小股で歩き、唇の真ん中だけ紅を塗って、
半玉の名前をみんなに決めてもらったりする。
現在でいうアイドル志望の子を彷彿させる。
 こういう人達が戦争を体験しなければ、どういう社会を作ったのだろうと、
感慨深くなるが、それは不可能な想念であり、当の私でさえ戦後の生まれである。
 悩み多き若者や不安定な子供達など今だからこそ、綴方教室・粘土のお面を読んで、
精神の中心に、魂の故郷に共鳴してみたらいい、決して遅くはないし、
こういう作品は不思議な効用を持っているはずである。
 残念な事に古本でしか手に入らないし、図書館でも置いてない所が多いようである。
文部省なども先ず、地に足が着いたこういう作品こそ、推薦する事を願ってやまない。      草々

 その 528 NHK行 2007年8月4日
痛いほどしょっぱい物語    (1981年) 

一、
何かに躓いて何十歩もつんのめり
結局転ばなかったからといって

 サバの空き缶に指を入れたら
 抜けなくなったとか
 ホットコーヒーストローで飲んで
 火傷をしたとか
 鼻の穴に紙縒りを入れて
 クシャミを連発させたり
 小石に躓いて
 やっと転びましたとか

およそお前は世話しなさが尽きない
一つ山へ入り修行をしなさい

二、
滝に打たれていたら流木が
頭に落ちてきたからといって

 小鴨は尻尾の後ろで
 排他的な泳ぎをするとか
 ウサギの耳が温かいのは
 敏捷性にマイナスだとか
 カラスが鳴くのは
 お調子に乗っているからだとか
 川に波紋が出来ないのは
 所在が流れているからだとか

およそお前は狂おしさが尽きない
一つ山を下りて旅をしなさい
三、
日一日と寿命を縮めるように
歩くのが辛いからといって

 宇宙に取り残された孤児のようで
 寂しかったとか
 隕石が落ちてくるような気がして
 怖かったとか
 太陽が西に沈んだら東に走れば
 早く朝に会えるとか
 浜辺を駆け出して駆け出して
 海はやっぱり広かったとか

およそお前はアホらしさが尽きない
一つ旅は辞めて遊んでみなさい


生まれ出たのが間違いならば
グレた人生で釣り合いが取れるといって

 3―6 3―6と唱えて6―3を買って
 連勝単式だったり
 上げ底の靴に挟まったパチンコ玉を打ったら
 オール7が出たとか
 国民的行事のダービーが取れなかったのが
 悲しかったとか
 宝くじ券が風に舞って郵便ポストに入り
 選外になったとか

およそお前はだらしなさが尽きない
一つ遊びは辞めて海へ出なさい

 その 529 NHK行 2007年8月11日
前略  この間(七月一日)、久し振りにゴキちゃんに出会った。
さぁ寝ようかなと蛍光灯の紐に手を掛けた時、矢庭に黒い塊が、
カーテンと折り返しの壁あたりに形を留めているのを確認した。
まさしく大きめのゴキちゃんである。
 日中、窓を開け放していたので、その時のご来場のようである。
今回はドキリともしないで、さあて、どうしたものかと思案した。
ちょうどゴキブリスプレーを切らしていて、ついこの間買ってきたのは、蚊と蝿用のスプレーであった。
一番安いのを買ったらゴキちゃんスルー用のスプレーだったのである。
 ともあれ片手にそのスプレーを握ってみたが、尚も思案した。
いつもはどうやって駆除していたかを再確認してみたが、やはりケースバイケースであって、
ひっぱたいてスプレーかけて、ひっぱたいてスプレーかけての悪戦苦闘が常である。
 そうそう、そのひっぱたく為のゴキブリ叩きを思い出してやっと我が意を得たが、
さて、何処に仕舞ったかと探そうとしたが思いつかない。
もう一度ゴキちゃんを見たら幸いジッとしてくれているので、場を外し探し始めた。
 確か隙間に立て掛けていたはずで、洗濯機の脇を見たら寝っ転がってあった。
うーむ、一発で見つけて今回は幸先がいい。
 片手にスプレー、片手にゴキブリ叩きを持って準備は整った。
慌てず焦らずを自分に言い聞かせて、少しづつ近づいて、尚も反芻して少しづつ近づいて、
更に自分の状態を再確認してみた。
 打ち込める距離ではあるが、テーブルその他があって若干半身の体裁であり、
所謂ケツが引いてるような状態で、いつもこれで失敗するのである。
有難い事に活発なゴキちゃんではないようである。
 爪先をじりじりと忍び寄り、出来る限りその不安定状態をゼロに近づけた。
ゴキちゃんとゴキブリ叩きの先を何度も見比べ距離を確認して、動きを止めた。
今回は本当に冷静である。
 ゴキちゃんはカーテンには近いが少し抜け出していて壁にへばり付いているのである、
当たらない筈はない、目撃してからずっとその状態である。

 その 530 NHK行 2007年8月18日
前略 ゴキちゃんの尻にセンサーが付いているという事でかなり気を使ったが、察知されなかった。
余り強く叩いても軽く叩いても駄目であり、強く叩いたら壁の模様になりかねないし、
軽く叩いて見失ったら大騒ぎであり、最悪の場合は顔に飛んできたりする。
そのへんの按配は慣れていると言ってもいいが、
しかし大昔から其の儘の姿で生き延びている輩である、
どんな術を使うか分らない、何はともあれ一発必中である。
 しかし何だってこのゴキちゃん何時までもジッとしているのだろうか。
一瞬歩み寄ってみるが、そんな事はすぐに打ち消して集中した。
 パシッとやったら上手い具合に床に落ちてくれて、
間髪を容れずパシッ・パシッとやったらあーら不思議、何と言ったらいいのか兎に角消えていた。
 床にもいないしゴキブリ叩きにくっ付いてもいない、その間数秒、
すばしっこいと言うより術を使ったように消えてしまった。
 一呼吸して冷静に振り返ってみるに確かに仕留めた筈である。
現場検証を怠らず、回りをゆっくり見回し、床に近いカーテンの折れ目にゴキブリ叩きで反してみるとくっ付いていた。
 更に上から叩き下ろすとコード類が伸びている床にひっくり返って落ちた。
白い身が出ているので、これにて終焉と思い、最後の仕上げのスプレーを吹き付けたら、
尚もしぶとく動き回り、棚とカーテンの隙間に入り込んでしまった。
 これは不味いと引っ張り出したが、コード類の間に入って思うように叩けない。
今回勉強になったのはゴキブリ叩きは叩く、掬う、柄に付いているハサミで摘むの他に、
ゴキブリ叩きの先で串刺しが出来るという事である。
つまり動かないように突っついてみたら刺さってしまって其の儘トイレに持って行けたのである。
冷静に勝る手際の良さは無しであり、聞きしに勝る優れ物である。
 ところで消えたように見えたのは、叩いている間際にゴキブリ叩きにくっついて、
其の儘飛んだのではないだろうか、敵も然る者である。
 一昔前のテレビで海外のスッチーが日本に寄った際、何はともあれ、
ゴキブリ叩きを何本も買っていくのを紹介していたが、柄にハサミが付いているのが、
ミソなのだそうで、日本製ゴキブリ叩き、海を渡るである。                草々

 その 531 NHK行 2007年8月25日
前略 5/ 5 たとえば問題の多い逆回転曲に対してテレビ局というのは、
金(出演料)を出してそれを持ち上げているという異常な形態を為している。
売る方にとっては濡れ手に粟であり、金鉱脈に花が咲いたような、
夢のような仕組み続きで、メディアとしては尋常ではない。
 テレビ放送開始以前に、もちろん音楽はあったし、
それに対してどのような対応も為されなかったのであろうが、輪をかけて我が儘な歌手や、
高飛車な力関係では、やってられなさが付き纏い公務員並みの給料では存在価値さへ揺らぐ。
 ではどういう健全な取り決めが為されたのかは何も為されずに、
 ではどういう健全な折り合いが為されたのかも何も為されずに、
きっと民に総てにおいて丸投げで、暗黙に了解を得た、つもりだったのであろう。
それはテレビ番組の観覧者を見れば一目瞭然であり、今も番組が成立しているのでも分かる。
音楽会社を持ちたがったり、高給取りを隠しているのでも分かるのではないだろうか。
 現在のテレビが抱えている諸問題に、深く折り重なって根ざしているのに、
逆回転音楽という錬金術もどきがある。
5/12 今年のキリバン曲に"載せられるっかなぁ"という曲を、昨日、作りました。
微妙ですが、何はともあれ書いておかないと、みなさん、ここが大事。
みなさん、ここがとっても御大事。
御手々が御早いのんが、おりますゆえに。
粗悪人兵衛が。
5/31 そんな業界であるから、パソコンが流行り、ネットで気軽に曲が手に入るようになって、
きっと気が狂わんばかりの怒りようではなかっただろうか。
でなければCCCDのように音楽にキズを付けてまではしないだろう。
 音楽ファンの方も一矢報いた感がありますが、曲の入手だって、馬鹿高いのを買ってまで聴くほどでもない。
それでもレーベル付のケースに入ったのがほしいのなら、自分でジャケットを作ってコレクションするのもいい。
聴こえてくるのが真心ある物ではなくて、聞き手が賢い選択で真心込めてこさえた物の方が現在は有意義ではある。 草々

 その 532 NHK行 2007年9月1日
前略 8/12 一昨日、昨日と36度である。
部屋の省エネ遂行クーラーも古いクーラーの所為か負けそうである。
なかなか28度になってくれない、それほど外は暑い、という事か。
もう30度過ぎればクーラー頼りであるが、機械は敏感にキャッチしているようである。
それでも一日の何時間かは外の空気を入れている。
 その所為かまたまた、でっかいお客さんがあった。
羽音を鳴らしているので、てっきりゴキちゃんと決め付けたが、
姿が見えず、寝てからもその繰り返し。
仕舞いに暗いカーテンに黒い塊を見て取ったので、明かりを付け、ゴキブリ叩きを握った。
よく見るとゴキブリらしくなかったが、気持ち悪いので、一撃加えた。
しかしカーテンにくっついたまま離れず、ゴキちゃんより強面。
突っついたら床にボトンと落ちて、何度か羽音を鳴らしていたが、暑くて飛べないのか動かない。
それでゴキブリ叩きで掬ってベランダから外に捨てた。
 カブトムシのメス程もある風体で、全体が黒で背中の部分だけ灰色をしていた。
検索をして調べてみたが、見つけられず、しかし確かに見た事があるような・・・
何処かの昆虫館あたりで・・・標本で。
 昆虫であんなに大きいお客さんは初めてである。 さぁ、今日も暑くなりそうである。
8/23 南風の強い日に窓を開けてうたた寝をしていたら耳元でキーンという蚊の音。
まーた足元痒くなるかなと思ったが、うっちゃらかし。
しばらくして何気なしに耳元に触ったらキンという音がして手の平に蚊が潰れてた。
 という言はしばらく耳元にくっついていたらしい。
 しかし何事もなしに耳元にくっついていたらしい。
どういう言か?
 血は吸いたいが、その体勢にもっていくと風にとばされるから、
何時までもどうしたものかと踏ん張っていたようだ。
蚊というのはチューチュー血を吸っている時は以外と無防備であるから。
 バッバッバッカな蚊だなぁ。 バッバッバッカバッバッバッカな蚊だぜい。
風さん有難う。                                            草々

 その 533 NHK行 2007年9月8日
夏に逢えば (1977年) 

武猫 庵中茂作
一、

あん 汗を拭き拭き心抑えて
木陰を抜ける
想い 想われたいならジッとしていろと
地蔵が言う
汗の顔で駆け込んで行けば
人は何事かと自分の汗も忘れて
これが恋なのだ
夏に逢えば 夏に逢えば
夏に逢えば 夏に逢えば
敵うもんか
二、

あん 御輿上げれば意気も揚がるよ
汗が空を飛ぶ
祭りだ 廻し廻され犬は吠え狂い
子供ははしゃぐ
誰一人御輿を潰す事は出来ぬ
何人も御輿の上に立つ事は出来ない
それが祭り
夏に逢えば 夏に逢えば
夏に逢えば 夏に逢えば
敵うもんか
三、

あん この道行けば何時も逢える
素敵な人
地球が 丸るく感じる瞬間
君を見つけた
太陽を鏡にしていい顔してる
太陽に娘がいるなら抱きしめて
しまいたくなるように
夏に逢えば 夏に逢えば
夏に逢えば 夏に逢えば
敵うもんか

 その 534 NHK行 2007年9月15日
前略 8/ 5 >PUFFYがGAPの世界展開ポスターに 7月26日9時46分配信
>人気デュオPUFFYが、〜
  どったらこったら
 かっぱらってかっぱらって名を成して、盗みを止めた途端、
ヒット曲から遠ざかる大笑いビジネスで、何時までも何にしがみ付いているのか。
 私は言っておくが、業界のインチキ業績など一切認めていない、と宣言しておく。
そんな事にいちいち思考を振り回されていられない。
 作曲者というのは勿論、その作品の責任を100%負うものであるが、
逆回転曲者というのは、その始まりから既に他人を巻き込んでいるのである。
作曲しているのではないのだから責任など生まれて来るであろう筈もなく、
挙句の果ては買う方が悪いなどと言って音楽ファンまで巻き込んでいくのである。
楽曲盗作のオンパレードをやっていて、もはや形骸化を通り越した異常な世界で、権利などないだろう。
何ら答える事ができないのだから、さっさと自首しろと言っているのだ。
8/26 逆回転曲で散々手を付けているから今更という考えがあり、
人を呼びつけるのに盗んだ曲をテレビでガンガン流して、さらに盗んである曲をちらつかせて、
いい様に丸め込もうとする、ゾッとするような盗人猛々しい行動がソニーの会社だ。
そんな駆け引きが、まかり通るほど笑いが止まらない音楽業界である。
 基本的人権、謳って久しい時代にどうしてこれほど高飛車になれるのか、もう一つ、
やはり裏付けがあるようだ。 どちらにしても歴史に残さないとね。
                      ◆
>ルナシー7年ぶりに一夜限りの再結成 8月28日7時3分配信
犯人は必ず現場に現れると言うが、その口だね。
しかも物件の性質上、盗んだブツを持参してという大胆さだ。
一番売れた曲は唄わない事だ。
 ちなみに唄が上手いのと人間性とはまったく別物である。
唄に魅了されて見失いがちだが、もって生まれた余禄が大きく、唄いっぷりから見出すのは無理がある。
テレビっ子歌手などもその類であり、会社も同じである。
流行音楽を手がけているから音楽性に長けているとは限らない。
もっと厳しい観察眼を働かせれば、たとえばギタリストで言えば、
教則本などで、肯定、肯定で育っちゃうと何かが不足する。
もちろん腕前は目を見張るものがあるが、やはりリアルタイムの先人達には一線を画するものがある。
それが何なのかは流行音楽からは分からないだろう。
馬鹿な音楽ファンと舐め切っているのだから言っておく。                         草々

 その 535 NHK行 2007年9月22日
前略 今年の3月に帰省した時はジャンプを見たかったので、札幌に向かった。
午後の便で発ち、その日のうちにジャンプの公式練習を観覧する為に急いだ。
 札幌駅から一旦外に出た時は人もまばらで、不景気風を思わせる寒さを感じたが、
地下鉄に乗る為に地下に潜ったら、人、人、で、改めて冬の北国の都会を知らされた。
おまけに迷ってしまい、それもそのはずで私が知っている路線も一区間から三区間に増えていて、
帰宅時と重なり、印象としては地下要塞を思わせた。
 ところで相変わらずゴムタイヤ式電車の轟音には閉口した。
二車線発着が同時の時などは正に凶器に近く、みなさん、よく耐えられるものであり、
改善は為されないのだろうか、地下鉄の轟音で昔を思い出し、苦笑した次第。
 東西線円山公園駅下車後、バスに乗って大倉山競技場入口で降り、既に暗い中を、
滑らないように気を付けて小走りに坂道を登って行ったが、僅かに及ばず、久しぶりに息せき切ったが、
競技場は閑散としていた。
垣間見るだけでもよかったので、しばし佇んで、ライトの付いているジャンプ台の按配を確認した。
 大通り公園近くに宿をとっておいたので、その夜は真っ直ぐ向かい、次の日一日も滞在していた。
札幌は私が四歳の時の北海道大博覧会の頃からの思い出があり、何処へ行っても懐かしく、ぶらぶらしていた。
 午後には友人に向かいに来てもらい、真っ直ぐお袋のケアハウスに向かった。
大通り公園のテレビ塔前で待ち合わせしたのだが、その大通りの遥か西を仰ぐと、
その先にジャンプ台が見え、ジャンプ台共々見晴らしの良さを感じた。
 なんと友人は昼前には室蘭を発っていて、冬でもあり、五時間近くかかったと苦笑していたが、気の毒させてしまった。
どうも私は二時間もかからんべぇ意識が強く、改めて気付いたが、ジャンプ観覧から失敗続きであった。
 お袋の所へ行って次の日からはホテルの予約をしていたので、洞爺湖畔へ出掛けた。
地元の人間と言う事もあり、シーズンオフの期間限定という言で、送り迎え付きの格安の湯治料金である。
料理も落ちるが、お客さんが少ないので、静かだし、お風呂ものんびりである。
 洞爺湖温泉街のホテルだとそうもいかないのかもしれない。
今は洞爺湖に限らずアジアの観光客が増えているようであり、夏場は連日一時間程の花火のイベントがあり、
湖面を利用した花火など、花が開いたように綺麗である。
そのイベントに出掛けた時などアジアの観光客が一杯であった。
 ケアハウスに帰ってからは雪の降る中、敷地内の畑の土お越しであった。
見た事もないような花の種を植えて、今年も湖面のように花盛りであろう。              草々

 その 536 NHK行 2007年9月29日
前略  ソニーのビデオデッキの顛末を少し書いた事があったが、もう少し詳しく書いておこう。
家庭用ビデオデッキが普及しだしたのは80年中頃であったろうか、
それから暫くしてレンタルビデオ店が街にポツポツと出始めたようで、
まったく無頓着な私であっても見慣れない店が出来てお客が屯していれば気になった。
 パチンコ店でもなければ本屋でもない真新しい店構えのレンタルビデオ店に、
一時代の到来を感じとったものだ。
 東京オリンピックに間に合わす為に我が家にやって来たテレビ視聴の子供の頃から、
ここにきて変化が現れ、現在のインターネットや、何時でも何処からでも通話出来る携帯電話へと、
その、時間の魔術は手軽さの中で邁進し続けている。
それでもビデオデッキの購入は89年6月であるから無頓着は続いていたようだ。
 ビデオデッキの存在を身近に触れたのは遡ること中学3年(69年)の頃である。
科学の時限に、あらかじめ録画してあるNHK教育の科学番組を、
オープンリールのでっかいデッキでガチャと捻ってカラーテレビで映していた。
少数を除きみんな、さほど驚きも騒ぎもせず、大人しく視聴していたと思う。
 ちょっと話がそれるが、この科学の先生は中2の担任の時に私に3をくれた事があった。
通信簿で3は普通であり、劣等性の私にとってはその頃で3は青天の霹靂であった。
やれば出来るのにやらないだけ、と言う説教はよく聞いたが、
どこまでいっても劣等性の私であったから一人で大はしゃぎをしていた。
 聞くところによるとランク付けも割り当てであって、先生も無理を承知の裁断のようであり、
今思えば、眠っている何かを呼び起こす為の先生の真剣で熱心な指導だったのかもしれない。
また、体育の先生は校内マラソン大会の折、10位以内に入った者は3以上は与えると号令をかけた。
なぁに、くれはしなかった。
 さて、ビデオデッキを購入する少し前に会社の同僚がベータ危うしの状況をぼやいていた。
ビデオ店に行ってもベータ対応のビデオがあまり置いていないと言う事で、
何も知らない私はVHSのデッキに交換して貰うといいなどと、呟いていたが、
そんな規格倒れの中でソニーのデッキを選んでいるのだから、私も無頓着である。
 ちょっと部屋の整理をしていたら、領収書が出てきたので明記しておくと、
19インチTV KV-19GV1 VHS1号機 SLV-7 再生専用 SLV-P33である。
ついでに修理明細書も七枚出てきたが、こんなものではなく、
最後は修理センターに持って行かず修理マン(一つ交換して二万也)に来てもらった程であり、
修理断念時も入れれば十本の指では収まらない筈だ。 

 その 537 NHK行 2007年10月6日
前略  兎に角、購入時から廃棄時までトラブル続きで、二台同時に修理行きの時もあり、
さすがの無頓着な私でも生活を脅かされている感があり改めざるをえなかった。
 単純に消費者などは壊れれば修理に出すし、それが続けば、次のメーカーに移るだけの事であり、
それを踏まえていれば、消費者もメーカーも少なくとも同じ方向を向いていなければ成立しないのであるが、
ソニーという会社は修理明細書がお好きなようである。
 まず購入時のフタを開けてからのトラブルから言えば、この二台のビデオデッキは、
カタログにも写っているように、サイドにマーブル色の木の化粧板が付いているのだが、
SLV-7には入っていなかった。
 双方、型が同じで化粧板でかなり見映えがして、それも気に入っていた一つだったので、
さっそく電話して聞いてみたら、初めから入っていないと言う事だった。
まだ無頓着だった私は、では買うから送ってくれるように頼んだが、
電話口の向こうでは賺された感があり、しぶしぶ対応していた。
 さらにSLV-7の方のリモコンをコチャゴチャ弄くっていたら直ぐに壊れた。
さっそく電話して聞いてみたらリモコンは保障が効かないので買い替え一万円かかると言われ、
まだ無頓着な私ではあったが、そうですかと言って電話を切った。
 ちなみにリモコンを押すと二台同時に動くのには閉口した。
そんなのはデッキの後ろのスイッチを片方OFFにすれば済むだけの事と言われそうですが、
ちょっと説明すると、つまり修理行きのたびに手持ちをONにしているので、いざ戻って来た時に、
二台同時に動いて、また壊れたかと思い吃驚するのである。
壊れなければそんな事もなく、いわゆる悪循環ですな。
 取り扱い説明書もまた色気がない。
リモコンの時刻合わせの項で、"押し続ける"などと曖昧ではなく、"押したまま"とか、"押した状態で"とか書いてあれば、
それを試してみて、数字が早送りするのが分かるのだが、押し続けるとだけしか書いてないので、
一回ずつ押し続けていて面倒でしょうがなかった。
 その後5年の間に本体が壊れに壊れて、さすがの無頓着な私でも真実に目覚めたのである。
"この会社、ちょっとおかしいな"
 修理断念後は、シャープのを二万で買って5年以上は故障しらずで持たせ、
現在のは1万のデッキである。
デッキで上位機種を狙うのは私はもう、やぶさかである。                      草々

 その 538 NHK行 2007年10月13日
前略 春便り 17 9/ 9 九月に入り、台風が過ぎて夏の後姿も見えてきた。
この間の台風が過ぎた途端に蚊が現れなくなった。
蝉の合唱も一段落してツクツクボウシが一匹ずつ鳴いている。
今年の暑さは記録的であり、岩に染み入る 蝉の声ならぬ、夏に染み入る 蝉の声であり、
猛暑に便乗したかのように蝉の声も厚みのある鳴き声だった。
 これで蝉の声が少なかったら、人間の方が泣き声を高らかなのかもしれない。
お株を取られたかのように今年の夏は蝉が活気があった。
家の前の公園内の話ですが。
9/19 この間の台風11号は小田原から入り込んで列島を縦断していったが、
雨、そして風が強く、北上してからも永い間雨を降らしていた。
衛星画像では台風の目が出来ず、こじんまりとした希薄な雲なので、
大した事ないと思っていたが、違っていた。
 その北上していた時に南に大きな雲が出来ていたが、それが今の台風12号である。
 こちらの方がもっと台風らしく凄そうであり、
台風の目が出来ていて11号の2倍ほどの領域を保っていたが、西表島の北を北上中です。
それが今見たら、台風の目が崩れ間延びしたような画像になっていて、
北上して黄海あたりで温帯低気圧になるようである。
うーむ、なかなか台風の目も睨みを利かすのは楽じゃないと言ったところか。
 という言で、台風の目ならぬ、めん玉会社のロゴの事をもう少し補足しようかな。
私のHPのトップページに載せている例のシップ薬事件。
9/29 シップを貼ったら全身に蕁麻疹ができて、それも治り、
一週間位してからこんどは貼ったところから丸いブツブツができて、
それがフジのロゴマークにそっくりという怪事件。
ちなみに私は腕時計は使用していない。(画像あり)
そのシップ薬の会社が久光製薬である。

久光
ヒサミツ
ヒミツ・・・

こういう小賢しい病的な事ばかりやっているのだ。              草々

 その 539 NHK行 2007年10月20日
前略 10/ 3 アメリカだと音楽業界にユニオンがあるよね。
日本はそう言うのに入らないかわりに、例えばオーディション一つとっても
バックにあるのが団体関係だったりして、受かるのがそう言う人達と言う図式があったりする。
必ずとも言えないでしょうけれど、レーベルがどこのだ、
とかで日本は関わらないでいることの方が難しいのかもしれないけれど。
 知人は相当団体への勧誘を受けて断った結果、仕事がどんどん無くなってしまったそう。
嫌がらせと言うふうにも考えられるけれど、入らないと仕事あげないなんてことが変。
実力があれば支持されて当然なのに、変な圧力が絡んだりする。 やっぱり変だと思う。
もう少し自由な「宗教」とかではない団体が仕切っていると良いと思うけれど。
 ただ現在音楽業界は、出来る人が減っている気がする。来日アーティスト扱うの一つにしても、
全く宣伝できていなかったり、お金のかけ渋りし過ぎ。
それから会社の関係者が自分たちだけ儲ける図式が出来ていて、良い音の発掘も出来ていない。
 マスタリングの低さもどうなのかと思ったり。 プロなのだからあぐらかかないで仕事して欲しい。
才能がないのにピラミッド式の金が発生する業界はやっぱり変。

10/10 これはとても意味のある情報ですね。
 市民生活で他人に迷惑をかけないという事は大前提であって、たとえば、
人が生まれて、生きて、死ぬという事は、ある意味無常ですが、
そんな中で成熟した人間社会を築いていたのだとすれば何人も無駄死にではないし、
すくなくともその土壌を為しているのだとすれば、役割を真っ当している事になる。
 ここに自称町内会一のむっつり助平が居たとして、それを表に出さなければ、
それで棺桶まで持って行ければ、それはそれで、いわゆる普通の人であり、
世間からは良い人だった、と囁かれるかもしれない。
 つまり頭はラジエーター代わりにもなるし、社会はむしろその方が関わりやすい。
それでも凝り固まりたいのであれば、市民生活から1ランク離れたプライベートでやるのが望ましい。
他人に迷惑をかけなければ何をしても何を考えてもよい社会なのだから。
 何はともあれ、宗教団体であるのに何故?何故?という初歩的な疑問から離れない事が肝心です。
また、正直者の一般市民こそが主役であるという事も忘れてはいけません。
 だいたい新興宗教がこれほどでかくなるには余程素晴らしい事をやっているか、
余程ろくでもない事をやっているかのどちらかである。
もう答えは出ている。                                           草々

 その 540 NHK行 2007年10月27日
前略 10/14 だれだっ、自転車盗んだ奴は。
買い物に外へ出たら無くなっている。
登録シールも名前も鍵もかかっていて、おまけにポンコツだというのに。
一ヶ月前にも奥から引っ張り出して道路に出ていた。
 盗みもやれば、かっぱらいもするし、盗みしかしない、といったところか。
10月14日 中間報告。
10/17 廃棄処分を匂わせているので、まず管理会社に訪ねてみたら、
協力会社を含め、手を出していないと言う事だった。
 残るは住人なので、マンション内にお知らせの紙を貼ってもらう事となった。
しかし一ヶ月前に、勘違いで道路に出したとしても元に戻っているのだから、
やはりイタズラであろう。
 警察に届けるのに、スペアのカギと登録番号の用紙の袋があったのに、
なかなか見つからない。 
10月15日 中間報告。
10/24 22日に外に出た時に道路から10メートル程入った、
私が前に置いていた場所に別の自転車が置いてあった。
カギがかかっていて何だかよく分からないが、入れ替わっているようなものである。
 反対側の側面や入り口道路側は20数台自転車やバイクでいっぱいであるが、
私の置いていた側面は私しか置いていなかったのだ。
 一週間に一遍くらいしか外出していないので、細かい動向はよく分からない。
その自転車が"かぎ"かなぁ。
何せ管理会社は、お役にたてなくてすいません、だから。
10月24日 中間報告。
                ◆
近くの自転車屋へ行って一番安いのを尋ねたら注文という事になって、
昨日、取り寄せ日なのだが、その前に電話をくれるはずなのに、
未だに電話がない、どうなっているのか。                   草々

 その 541 NHK行 2007年11月3日
前略 自転車といえば中学2年の時に買ってもらった事が嬉しかった。
ドロップハンドルで10段変則の軽くてスリムな作りのサイクリング自転車。
マーケティングブームのレーシングカーやエンジン飛行機は買ってもらえなかったが、
自転車は別であった。
同級生もポツリポツリ持っていたし、友人も私と同じ型のを直ぐに買ってもらったりしていた。
 サイクリング自転車の三種の神器と言えば大げさではあるが、
スピードメーター・フレームポンプ(空気入れ)・工具セットであろうか。
スピードメーターは正確なスピードが解る大きめのを付けてもらい、
国道の坂道で60K近く出した事もあったろうか。
フレームポンプは盗まれるという事で自転車から離れる時は各自持ち歩いていたが、
早速遊び道具に変わってしまい、小川の水を吸っては引っ掛けあっていた。
寿司屋の玄関にマスコットの子猿が居たが、格好の遊び相手であった。
工具セットは用もないのに、ああだこうだとハンドルを伸ばしたり引っ込めたりしていた。
しばらくして工具セットやフレームポンプは重いので取り外してしまった。
 それまでは自転車のベルと言えばチリンチリンのゼンマイ式が主流であったが、
スポーツベルの"カーン"という響きは歩行者に馴染めぬのではと、気をもんだりした。
 家に居てカーンと聞こえたら無言の挨拶で出で行き、後に付いて行くと市街地の細い路地から、
片側番線張りの細い道から、ドブに架けている細い橋やら危ない道ばかり駆け回って、
しばらく走っていれば仲間が3人、4人と増えてくるという按配である。
 冬だって御構い無しで乗り回していて、テカテカに凍り付いている歩道に、
ゴミ捨て場からストレートの蛍光ランプを引っ張り出して来て、それを敷いて渡れるかという実験兼、肝試しである。
私はしばらく考えたが、割れた後の掃除というよりも、滑って転んだ時の最悪を考えたら大変なので、流石に辞退した。
 当時はストレートハンドルも出ていたが、やはりドロップハンドルが人気で、
現在は見かけないが、その頃はドロップハンドルにフロントブレーキが付いていて、
腰を屈めないでブレーキをかけられるので、私は大のお気に入りであった。
 自転車のブレーキというのは、左右両方使うのが、通の人の乗り方なのである。
片方だけだとドリフトしたり、思った場所にピタリと止まれない。
まず左の後輪ブレーキをかけて、少し遅れて右の前輪をかる、力加減としては、
7対3位の按配であり、それも6対4、最終的に5対5にして、ピタリと止めるのである。
ほぼ1・2秒の操作です。
現在はアスファルトが主流ですが、覚えていても良いテクニックです。             草々

 その 542 NHK行 2007年11月10日
のら節  のら節 その二十一 
少し酔って帰宅したら途端にふら付いた。 目の前に柱があったのでかまわず身を任せた。
しかし掴み損ねて其の儘飛んでいってしまい、廊下、茶の間と寝室まで辿りついたらしい。

其の儘眠ったらしく、何も覚えていないが、夢の中でノラが「フンギャー」と鳴いていたような、
その声だけが、耳に残っていた。

幸い私には怪我はなかった。

のら節 その二十二
 髪を梳いたら引っ掛かって動かない。
僅かな髪なのにと探ってみたら、どうやらカリカリのようである。

そういえば団子を作って真ん中に足跡一つ残していたが、ノラの顔をじーっと見つめてみる。
煎じ詰めれば、いわゆるノラのゲロである。

ノラは一日、食事抜き。

のら節 その二十三
 家に戻ったら茶の間が変貌。 トウモロコシの食い散らかしが散乱。 ノラの仕業である。
好物だからといって、そんなに目がないものか、ちゃんと与えているのに。
しかも三メートル近くもある神棚のお供えを。

 ノラを呼んだら、のらりくらり出てきた。 とっちめてやろうと捕まえようとしたら逃げやがった。
追い駆けて追い駆けている内に見えなくなってしまった。

 しかし、どうやって登ったものかーあーっ! ぶっ無礼者ーっ、またしてもーっ。
今回だけはーっ!ゆるさーーん!!

のら節 その二十四
縁側で爪を切っていたら、ノラのヒゲにくっ付いた。
寝ているが、とろうとしてヒゲを引っ張ったら、ノラの顔が伸びた顔になった。

しかし立派なヒゲである。
はたして全部のヒゲを同時にひっぱったら浮遊するだろうか? 暇なので試してみたくなった。

先ず、両手の親指と人差し指で一本つまみ、そして人差し指の背と中指で一本つまみ、
さらに中指の背と薬指で一本つまみ、はたして薬指の背と小指で一本つまみ、立派どころを八本。

そーっと持ち上げると浮いた・・・浮いた。 立ち上がったが、なおも持ち上げると浮いた・・・浮いた。
片足が浮いたが・・・あっ。  一本抜けた。                          草々

 その 543 NHK行 2007年11月17日
葉っぱ流れの浅瀬を (1973年) 

一、

葉っぱ流れの浅瀬を歩く
葉っぱの流れがメロディアス
あの子は着物の裾を軽く上げ
ジャブ
ジャブ
ジャブ
そして僕の 心を水浸し
あの子ははしゃいではしゃいで
はしゃいでる
あーぁ あーぁ あーぁ

二、

葉っぱ流れの浅瀬を歩く
葉っぱの流れがコンチェルト
てんとう虫葉っぱの上に軽く乗せ
ゆーら
ゆーら
ゆーら
いざや冥加 夢見ろ植民地
あの子はしゃがんで葉っぱに
シーしてる
あーぁ あーぁ あーぁ

三、

葉っぱ流れの浅瀬を歩く
葉っぱの流れがテロリズム
あの子の泣き顔目に浮かぶ
むか
むか
むか
テロルの視線で チョイ待ちな
あの子は笑って澄まして
猫撫で声
あーぁ あーぁ あーぁ

 その 544 NHK行 2007年11月24日
前略 春便り18 10/18 買出しに出掛けるのに、纏め買いをするので、結構な重さになる。
右へ左へ一回りして帰って来る時には夏の暑さも背負い込んでいて、
一仕事終わったように下ろして一息つく。
今年の夏は暑かったし。
 それが10月になり、いつの間にか当たり前の重さに気づき、ドアの前で、
夏も過ぎたんだな、としみじみと思った。
 そういえば、あのもくもくとした入道雲を見なかったなと思う。
夏空が落ち着いてくると定番の入道雲。
その分、蝉が夏らしさを、かもし出していたか。
 土の中で蝉の幼虫がもぞもぞと起き出し、地上を目指している途中、仲間に出会った。
何も語らず、何も即せず、何も残さず、ただ穴だけを貫いて。
残った仲間は穴の先にある夏の活気、仲間の合唱が気になってしょうがない。
だけど何か違うような気もするが、気になってしょうがない。
何十年に一回はそういう偶然が重なり合う事もある。
それで今年の夏は蝉が多かった・・・・・クス。

                          ◆
 ついこの間の帰省の折に観葉植物のポトスを貰ってきた。
手間がかかる物は敬遠がちだし、花を育てる趣味もなかったが、水に付けとくだけで良いらしく、
そんなに派手でもなく、もっさりと緑の葉っぱを茂らしているだけなので、
二十枚程の葉の付いた一つまみをリュックに入れて飛行機に乗せてきた。
 さっそくコップに水を入れ、この時ペットボトルの水にしようか、
東京の水道の水にしようか迷ったが、かまわず水道の水にした。
ぐったりとしているようなので、これまでかと思っていたが、
二・三日したら葉を整えて生き生きとしてきたので可愛くなってきた。
 ベッドの頭の上に置いているが、若干右半分、蛍光灯の明りに反応しているようでもあり、
左半分は葉が重なり合っているようなので、試しに回転させてみたら、葉を整え始めだしたので、
やはり蛍光灯の明りに反応しているようである。
 人間の作った人工のエネルギーに呼応するなんて、やはり人間ありき、植物ありき、と言ったところか、
手間要らずで観ているだけだが、上手くやって行けそうである。                  草々

 その 545 NHK行 2007年12月1日
前略 今年の春から夏にかけて2度程、千代田区永田町にある国会図書館に足を運んだ。
地下鉄丸の内線の国会議事堂前で降りて、議事堂の裏を通って10分程である。
家から五分程の地下鉄を利用するので、急ぎ足だと上手くいけば三十分程で、
目的地に着けそうであるが、東京という所はいつまでたっても近くて遠い存在ではある。
 ♪東京へは もう何度も行きましたね 君の住む 美しい都
という歌詞があったが、愛する人でも出来たら、またガラリと違った印象になるのでしようが。
 ところで3日前に上野に出かけたのであるが、余りにスイスイ運ぶので、
地下鉄駅から上野駅までの所要時間を計ったら31分であった。
地下鉄丸の内線、中央線、山手線を利用して乗り継いでの所要時間であるが、
猫の尻尾のように途中で折れ曲がって最後にクーンと真横に伸びているような道程である。
 こちらは晴れていても、向こうは雨、みたいな感覚があるが、直線で10キロちょっとであり、
自転車で真っ直ぐ走れたら30分もかからない距離であろう。
もっと東京を身近に感じて億劫がらずに気軽に足を運び、情緒に浸りたいこの頃。
 さて、国会図書館は貸し出しなどはしておらず、規模も異なり、区の図書館とは勝手が違っていた。
まず入り口で入館手続きをしなければ中に入れない。
カード発行機に名前、住所、電話番号を読み取らせ、パスワードを入力してカードが発行される。
そのカードで館内のゲートを通り抜けて、100台位並んでいるパソコンで資料請求をすると、
やがて大きな到着案内モニタにカード番号が表示され、中央の図書カウンターで受け取る事ができる。
後は閲覧室でゆっくりと読書である。
 いわばカード発行機はATM機、ゲートは自動改札機、番号表示器は自動窓口受付システムを連想させるが、
そんな連想も無意味な程、デジタル社会に埋没している。
出歩きたくなるのもパソコンからの情報が多くなってきた。
 その夏の日の帰り道、どうやら議事堂に一般の方も出入りしているようだったので、
何の気なしに後ろについて行ったら参観受付窓口に辿り着き、個人の申し込みをして、
所要時間60分の本会議場傍聴席、御休所、皇族室、中央広間、前庭などを見学して来た。
係の方(衛視)の話では国会中継でお馴染みの速記者も近く録音に変わり、姿を消すそうである。
本会議場は吹き抜けではあるが、やはり会議の場であり、さほど広いスペースではなかった。
夏休みだった所為か、団体の他、若い子、家族連れの方も見学に来ていた。         草々

深刻そうな猫 その 546 NHK行 2007年12月8日
前略 しかし早いものでもう12月の師走である。
1年を5月の所で折り畳むと残り2ヵ月足らず、と戯れに書いた事があったが、
もう一ヶ月も切ってしまった。
 一年が経つのが早い早いと年季の入った言葉は並べたくないが、
しょうもないほどに過ぎていく。
一番早かった月は何時だったかと考えても、先月よりも先々月、
先々月よりも先々先月というほどに光陰矢のようにその行方は見失いなう。
では一番長く感じた月はと考えても、長く感じるだけでは長くはないようで、
仕舞いに狐につままれたかのように何もなかったような錯覚に陥り、
では一番長かった月はと、まじめに検索してみるも、帰省した月が若干浮いてくる程度で、
もはや思い出を留めておくすべさへ、かすれがちに至っているのか、
わずかに残っている今月の、まだ終わっていない現実感に思いを馳せるに留まるか。
 これはちょっと困ったものだと思い、きっと色っぽい出来事がないからだとして、
せめて話だけでもと艶のある話題を探すが、それこそ年季がないせいか、歯が立たない。
 そうだ、毎月サラリーを貰っていると、月末に噛み締める度合いなども違ってくるのだろうけれど、
出て行くばかりで、それも加速させているのかもしれない。
 何か行事などがあると、若干それまでが永く感じたりもするが、
それが過ぎたらそれを取り戻すかのように過ぎて行くし、振り返れば平坦である。
そして12月である。
 高い山に登り、下界を見下ろす一種達成感が必要なのか、
はたまた地を這う虫のようにあっちへ転がりこっちへ転がる日々が必要なのか。
コーヒーを飲んでキリマンジャロに登った気分になるとか、ゲームをやって七転八倒するなどとは、もはや戯れも戯れ。
 部屋に閉じ篭りきりの所為か自分とのにらめっこの毎日であるはずなのに、
まるで空気のように静かにゆるりと、たゆたうように過ぎて行く。
 一年、365日、今年も300何回は寝て起きているが、いやむしろ昼寝を入れるとその倍は繰り返しているはずで、
しかしそれがなんの自慢にもならず、むしろ重しのようにうな垂れる頭を持ち上げてみれば、
はっと私は白昼夢の中でこれを書き留めていたのである。                      草々

 その 547 NHK行 2007年12月15日
前略 10/24 スポーツ、エンターテインメント情報
1996年11月4日リリースのシングル。作詞/作曲・布袋寅泰。
フジテレビ系ドラマ「ドク」主題歌。160万枚を超えるシングルセールスを記録した、
もはや何の説明も必要としない、今井美樹最大の大ヒット曲。
今回はLIVE DVD「MIKI IMAI 20th Anniversary Concert"Milestone"」
よりワンコーラスでお届けします。


>犯人は必ず現場に現れると言うが、その口だね。
>しかも物件の性質上、盗んだブツを持参してという大胆さだ。
>馬鹿な音楽ファンと舐め切っているのだから一番売れた曲は唄わない事だ。

出てきたね。
作詞/作曲は名前を貸しただけ、歌手は唄っているだけ、なので、意識が薄い。
こういう、からくりのオンパレードなのであり、つまり裏はクズの集まりという事である。
さっさと腹くくれって言っているだろうが、東芝。
何度も何度も言わせる所は後でペナルティーだ。
どこの会社も適用している事だろう。
 30数年間たかり続けていて、まだたかり続けるようだ。
千年馬鹿に近づきつつあるな。
12/ 2 ボクサーがリングで、♪フォルティシモ を唄っていた事があったが。
 ハウンドドッグの多分二番目に売れたパクリ曲、 Only Love の原曲が出てきました。
一度味を占めたら、なりふりかまわない結果である。
犯罪集団、怖い音楽業界ですね、みなさん。
さぁ、どうするソニー。
                 ◆
 逆回転曲のからくりを明らかにして、その元曲をと、ネットで働きかけていますが、
MIDIに音符を載せたら、ひっくり返すだけで簡単に謎が解けます。
73年以前だと誰もが知っている既存の楽曲をひっくり返しているので、データベース化されるのが望ましい。
 音楽を本当に好きであるなら、躊躇う事はありません、その大本から崩していかないと、
彼らはふんぞり返ってせせら笑っているだけであり、いつまでたっても音楽CDは安くならないという図式です。 草々

 その 548 NHK行 2007年12月22日
前略 11/20 フリー百科事典のウィキペディアをよく開くが、
この頃、背景が出てから本文が開くので、背景画像が目に留まる。
 薄くて解らないが、フリルのようでもあり、花びらのようでもあり、
雪景色のようでもあり、それぞれが違うふうでもあり、気になってしょうがない。
 それで画像にポインタをあてて"名前を付けて背景を保存"をして、
ペイントで開いてみたら上限だけの横長の帯のようでもある。
目を凝らして睨めっこしてみるが、どうにも解らない。
 さらに画像編集ソフトで開いてイコライザーで補正してみたら、あぁそうかぁと一発で解った。
まさにフリー百科事典のウィキペディアであった。
12/12 ノートにDVDマルチドライブが付いているが、データの保存にはDVD‐Rで焼いている。
それが何の拍子か"ディスクを挿入して下さい"から先に進まなくなってしまった。
再生も出来なくなりドライブがディスクを認識していないようである。
 まず二種類のクリーニングを試みてテストも合格なのだが、やはり先に進まない。
CD‐Rは焼けるので訳が解らなくなってしまった。
それでソフトの再インストールからアップデートからドライバから色々いじって、
ドライブの方は再クリーニングから本体からの抜き差しから掃除やらやったが、同じであった。
I/Oデバイスエラーとか、RWソフトが使用していますとか、Dにアクセス出来ませんとか、
色々試したら色々な返事が返ってきた。
 故障とは思えなかったので、しばらくノートから外してうっちゃらかしておいた。
CD‐Rは焼けるので、虫眼鏡でドライブのレンズを確認したら、複数ではなく一個のようである。
それで何の気なしに少し乱暴ではあるが、レンズにメガネを包む布を被せて、
爪楊枝の先でぐりぐりぐりとレンズを磨いてみた。
 しかしてディスクをセット、ソフトを起動してみると、
あーら不思議、何の事はない、レンズの汚れであった。                  草々

 その 549 NHK行 2007年12月29日
前略 12/17  昨年の手違いを挽回。
べそ側近のタマが名乗りをあげ、独自に異性人からのメッセージを、
ものの見事に解き明かしてしまった!!
 持つべきものは猫友。 ついについに待ちに待った大展開。
 今年のクリスマスプレゼントは凄い!! ジャジャジヤーン。
25日夜にトップページに大公開。 べそとタマに期待。

12/25 あれっ? タマ語か?

私  「べそ君、一体どうなってるんだい?」
べそ 「ニャン」
私  「タマ語で訳されても困るんだわ」
べそ 「ニャン」
私  「って、そうくると思ったので、」
べそ 「ニャン」
私  「自分で訳しました」
べそ 「ニャンニャン」
私  「こうなりました」
べそ 「ニャン」

今年こそはソニーに殺されるかと思いましたが、
何とか無事に過ごす事が出来ました。
これも一重にインターネット、情報公開のおかげ。
デジタルの0と1に感謝しつつ、一句。

たまたまに 玉に当たって タマ語かな

べそ 「ニャンニンニュンニャンニャーンニャン」
私  「何っ、当たらずとも遠からずってか?」
べそ 「ニャン」
私  「マーブル、実にマーブル(笑)」
べそ 「ニャーブルニャーブル」
私  「違う、マーブル」
べそ 「ニャンボルニャンボル」
私  「違う」
べそ 「ニャーボ」
私  「ちゃう」
べそ 「ニャンボ」
私  「違うって・・・まぁぶる」
べそ 「ニャウイブル」
私  「ばっっ・・・」
べそ 「ニャャヤブル」
私  「ちが・・・ばっっ・・・か」
べそ 「フーッ」
私  「むぁーうぶる」
べそ 「ニャウインブル」
私  「ちゃう」
べそ 「シャーッ」
私  「まぁぁぁぶる」
べそ 「ニャニャニャーブル」
私  「まぁぁぁぁぁぶる」
べそ 「フーッシャーッガルルルル」
私  「まぁ ぁ ぶる」
べそ 「ニァ ァ ブルルルル」
私  「最初がちゃう」
べそ 「フーッ」
私  「ちゃう」
べそ 「シャーッ」
私  「ちゃうちゃう」
べそ 「フーッシャーッガルルルル」
私  「ギャーッ、べそが御乱心」

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