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7月

  その 367 NHK行 2004年7月3日
前略 
5/24 花の願い3 
>メロディーはめちゃくちゃ素敵です。
>東芝ちゃんが「どうしてそんな事ができるの?」と不思議がっていたが、
>即興も作曲法。 彼らは作曲を知らないらしい。
 いいだけ私の未発表曲を銭に変えておきながら、
「どうしてそんな事ができるの?」とつぶやかれるのも馬鹿げた構図ですが、
彼らは作曲を知らんらしいとしか、言いようがない。

6/19 掲示板に書き込みしている中で、もっともいやだなと思うタイプの人間が、
そういうタイプの人間が作っている逆回転曲を、
さもトップテンを飾っているアーチスト達が作っているかのように見せかけて、
名を捨て実だけをいただく、いわゆる音楽家とは名ばかりの、
腐ったタイプの人間が織り成す音楽模様は、果たしてどこまでが、
人間性であり、人間性で無いのか、音楽であり、音楽で無いのか、
 果ては会社辞めればただの人が、馬鹿な夢を見続け上記の詐欺商品に走り、
何時まで音楽ファンは騙され続けなければならないのか、
さらにスッポンサーにはもの言わぬ、その対価こそが、
詐欺商品を産む現場と知るべし、もはや白日の元にさらし、軌道修正あるのみ。


 何年か前、抗議文を読んでくれた人が、
「業界の総てが崩れ去った」というような端的な心の内を述べていて、
非常に正確な感想だと思った。
 その後は、ほとんどの人がご存知のように、業界のめちゃくちゃな打診が続く。
盗作をするという事はそういう事である。
 今回でどれだけの人が憤慨して、
微力ながら実力行使に踏み切っているかは定かではありませんが、
気を許してはいけません。
 業界の計算違いのマイナスした分は何処かで補填を狙っているはずです。
盗作をする側というのはそういうものなのです。               草々

その 368 NHK行 2004年7月10日
柿食わば (1974年)
                            人生に疲れた老人は 高い山に一人登り そこの山人となり くる日もくる日も
                          柿に水をやるのでした その後姿は 長い人生の 綴れ織のように
一、
七年も待ったのだよ
眼下潤む天の国
下界は惨めでのう
来る年はいよいよお祭りよ
息子の門出に似て

柿食わば
可愛い修撰草紙よ

二、
八年も待ったのだよ
誰にも見つけられまいと
眼下潤む天の国
なのに何故柿色にならぬ
草と虫じゃ肥やしにならぬか

柿食わば
それさえも余生かな
三、
九年も待ったのだよ
前の年より惨めじゃないか
高い処は息が苦しいのじゃ
鞠躬如として定まらず
こんなに老いたというに

柿食わば
愚直おちょくられ

四、
十年も待ったのだよ
命を懸けた甲斐あって
こんなに一杯ありがたい
祭りの用意をするまでに
力一杯熟しておくれ

柿食わば
蛮人ここに新の国
五、
明日は祭りという夜に
熟しきった柿が下界へころころ
何故行ってしまうのじゃ
魂あるなら眉間を見よ
たった一つコツンと

柿食わば
なのにおまえは渋いのか









その 369 NHK行 2004年7月17日
前略 春便り 3/15 11月の今頃の気温から早4ヵ月。
ただ違うのは確かに冬を超えたという事。
夏に在れば寒さを忘れているし、冬に在れば暑さを忘れているし、
ちょうど今頃が、冬の余韻も残し、汗ばむ夏におもねる余裕もあり、
春一番のように、ほっと一息つく、ひと時なのかもしれません。

5/ 2 海の総てをあなたにあげるから、
地球よ、熱くならないで、暑くならないで。
春便り 北の海を見つめて、ふと、そう思った。

6/18 今年は自宅待機だったので、桜前線には無頓着であった。
それでもビデオショップへ行く途中の公園で、満開の桜を見つけ確認できた。
「あれっ」と思ったが、今年は春便りだったので、
立ち止まることもなく、自転車で通り過ぎた。
春はいい。
そこに春のジュータンが敷き詰められているから。
北国のロシアなどは、あまりの寒さに、言葉さえ、
「ボソボソ・ボルゾフ・ボソボソ・ボルシチ」などと低い声になり、
赤道付近のベトナム・タイあたりは、あまりの暑さに「アーツィ チャンカー」
と高い声になり、気候によって言語の発声が左右しているようである。
んな、アホなとお思いでしょうが、少なからず影響しているようである。
四季のメリハリがはっきりしている日本は、バラエティーに富んでいて、
今は何よりも風が優しい。

7/ 9 全国のみなさん、いかが御過ごしでしょうか。
春便りお届けマンの私としては、非常に肩身が狭く連日の暑さで、おへそを出して昼寝をしております。
おもえば、「暑くならないで」とお願いしたにもかかわらず、連日連夜の夏を思わせるこの暑さ、春便りどこへやらでございます。
しかるに春あっての日本ではなく、日本あっての春便りでございます。
その春のいとまの投票日(11日)には是非熱き心の一票の為、足を運びますよう、お願いをして、春便り4とさせていただきます。 草々

 その 370 NHK行 2004年7月24日
前略 ボクシング4強談義 その7 レナード対ハーンズ 世紀の一戦
●6/15 後半、ハーンズステップが、素敵に見えるほど、回復して来たようでしたが、
やはりかなり貰っていましたし、ボディも痛々しかった。
 読みが当たったのか13Rの出だし、レナードの踏み込みに後れを取ったハーンズ、
スリップで倒れこむが、1Rの小競り合いのロープ際というのも皮肉である。
ハーンズは足にきていて、もうグロッキー寸前でした。
 3R・6Rと、ラウンドの中間あたりからレナードはチャンスを作っているようで、
13Rのワンツーも、やはり中間からでした。
もうボコボコ状態で、14Rの勝利宣言のパンチなど、厭らしいほど、
顎の先端をプルンとさせていました。
 フィニッシュ時、仕切りにレフェリーに腕で、止めろ止めろと合図していて、
盛り上がりも最高潮でしたが、あれは決してレフェリーも一緒に殴れ殴れ、
というパフォーマンスではないですね。
 前評判ではハーンズ有利の予想でしたが、蓋を開けてみるとレナードの度胸、
ハーンズの気力がこの試合の見所でしょうか。
 やはり10センチちょいのリーチ差をペィにしたレナードに拍手を送りたい。

6/23 ベニテス、クエバス、ムーアは無敗でデュランと対戦していた。
ムーアなど、かかと上げての独特のスタイルで、否が追うにも体重の乗ったパンチが繰り出せた。
 みんな強そうで一筋縄ではいかなさそうで、この頃は四強というより、群雄割拠の時代だったのでしょうか。

7/ 8 >かかとをあげるのが独特なんでしょうか?
>比較的ボクサーは皆そうだと思うのですが・・・
 それが、一度観たら嬉しくなっちゃうようなボクシングスタイルで、私はこういう何かを見出しそうなボクサーは好きですね。
デュランにボコボコにされて、それまででしたが。
 それでも7R、デュランの狙いすました強烈な石の拳を、しりもちをついて受け止めたのはこの人位じゃないですかね。
 顎への衝撃はつま先に吸収しちゃったのか?などと、想像したりして。
それほど気になるダウンシーンでした。                                           草々

その 371 NHK行 2004年7月31日
前略 調布には80年の秋頃まで4年余り住んで居て、
それまでの慌しい旅程とは違い、じっくりと腰を据えていた。
「空の上に畳を敷いて」「打出の小槌を隠したね」おなじみ、
「海の底に隠した宝物」などのメルヘンチックな、らしい詞を完成させていた。
 小さな鉄工所の私を含め従業員二人という末席にいて、
仕事が暇になってくると何かと口実を作っては大量に休みを取っていた。
 大きな会社に勤めている人には考えもつかない事でしょうが、
家族的な小さな会社での利点といえば利点でしょうか。
クビーとは言われずじまいであった。
私は詞を書き出す場合、大量の時間を確保するタイプなので、
いい感じではあったのです。
 その頃は三島さんの小説をむさぼり読んでいて、
「獣の戯れ」などは、とても繊細な神経でなければ書けないだろうなと思ったりした。
 魯迅はずっと後に読み出しましたが、やはり魯迅の「故事新編」・芥川の短編・
太宰の「新釈諸国噺」・三島の「近代能楽集」はいい流れであり、
この後に続く文豪に期待したいところであるが、
生きているうちにこれだけ読めただけでも幸福であった。
 上記の詞もその発奮の表れであろうか、
「心象童話集」「心象神話集」として編集していますが完成させずじまいである。
 昭和初期頃、杉並区の荻窪あたりは一面麦畑だったそうで、
東京湾の埠頭から汽笛の音が聴こえてきたそうである。
現在は、騒音にかき消され、ビルに反射して聴こえて来ないでしょうが、
井伏さんの随筆からは幽かに聴こえているような。               草々

 その 372 NHK行 2004年8月7日
前略 ボクシング4強談義 その8 ザ・ウオー レナード対ハーンズ 第二戦。
世紀の一戦から8年近く経過しての第二戦。
その間にレナードは2戦していて2勝、カルレ戦・ハグラー戦。
引退、復帰の内情はよく分からないけれど、選手のライフワークを汲み取っているようで、
こういうところがアメリカの奥床しさ。
日本では、と、ついつい考えてしまう。
 ハーンズは2つの取りこぼし、ハグラー戦・バークレー戦。
バークレー戦は噛ませ犬だったらしいが、逆にバークレーの御得意さんになってしまった。

 両者手を知り尽くしての2戦目、またしてもレナードの3R猫だましパンチ炸裂。
まるで婚姻届けと離婚届けを同時に出されて「さぁどうする」である。ちょっと変かな(笑)
つまり顔とグローブが一緒に飛んで来るパンチである。
ハーンズ慌ててパンチを出すが距離感がつかめず手前で空振り、
レナードのパンチがダイナミックに当たっていた・・・が、
ハーンズすかさず腕をダラリと下げてブルンブルンダンス、「あんてもねぇよ」という顔。
 不思議な事にこの時のレナードの動揺した顔は以外であり、私には皆目見当がつかない。
そしてハーンズの追撃にバランスを崩し、片足ロープ外にはみ出してのつんのめり、
キャンパスに両手を付いてしまうのである。
 ハーンズ同様あれほどスピードパンチに徹しているレナードが、
体重を乗せた肩に負荷のかかるパンチを・・・ちょっと肩に違和感を感じたのか・・・としか考えつかない。

 ところで、この第二戦の89年6月といえば、今発表している1コードシリーズの真っ最中であった。
それまでの「歌は3分間のドラマ」的と違い、かなり異次元に踏み込んだ感はあった。
 仕事から帰ってきてから、60分カセットに15分1テイクを少なくても2テイク、多い時は4テイクはこなしていて、
さらにそれぞれポイントをA面後半、さらにB面前半にもってきていた。
ですから公開している曲はB面前半(三度目の正直)からが、多いようです。
いかに力まず焦らず楽しく、と言っても勝負どころは考えていたようです。
なんだかボクシングぽい話になってきました。                          草々

 その 373 NHK行 2004年8月14日
ぽっぽっぽっ   鳩ぽっぽ (替え歌)  (2004年) 夏休み息抜きソング

一、

ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ
豆がほしいか そらマムシ

みんなで仲良く 逃げて来い

二、

ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ
豆がほしいか そらCC

みんなで仲良く 逃げて来い


ぽっぽっぽ ぽつ子さん
豆がほしいか ぽつお君

二人で仲良く ぽっぽっぽ

 その 374 NHK行 2004年8月21日
前略 今年も夏休みを利用してアウトドアに励んでいた。
 夕方千歳空港に着いたその足で札幌まで電車で行き、
予約してあったレンタカーに乗って5号線を走り、小樽、余市、
倶知安を経て比羅夫で一泊、次の日の朝早く羊蹄山に登って一路室蘭へ、
次の日は友人と合流、スキューバダイビングという行程、インターネットのおかげである。
それにしても5号線、小型車の多かったこと、そういう私も小型車である。
 昔、羊蹄山の近くに母方の祖父母の実家があり、
子供の頃からよく遊びに行っていて馴染みの山なのである。
登山歴といったら富士山(途中リタイヤ)と里山を去年(登り2時間位)程度であるが、
羊蹄山はやはり登ってみたかった。
 クライマーの人に叱られそうなので、明細は省略するが、
寝不足と水不足と運動不足で酷い目にあってしまった。
 登りが6時間も掛かってしまい、
8合目頃からは霧と風が出て頂上からの眺めはお預けであった。
 富士登山は五合目からの登りであるが、今回は1合目からで、
足場も悪く実労は大差ないようで、大変な計算違いをしてしまった。
下山時から関節が痛みだし、登山口の駐車場まで辿り着いた時はヨタヨタであった。
 結局9時間程かかってしまったが、考えてみると、霧が出てくれなかったら頂上まで登れなかったと思う。
 富士登山の時もそうであったが今回も無音状態を体感した。
聴覚が音を誘おうとするが、気圧が低いせいか、独特の?無音空間を作り出し、試しに音を作ると、
聴こえて来るというより、そこで鳴っている感じに聴こえるのである。
山の頂上辺りで、そんなお遊びを興じているのである。                   草々

 その 375 NHK行 2004年8月28日
前略 昨日は山で今日は海であったが、
同時に昨日は関節痛で今日は筋肉痛でもあった。
友人に「かなりヤバイ歩き方をしている」と笑われたが、
関節の痛みが和らいでくれたのは有難かった。
 朝の10時にショップに集合して、そのまま近くの海岸へ移動、
堤防内の波の穏やかな場所で準備、
体験ダイビングであったから耳抜き位の確認でインストラクターが付いて直ぐに潜り始めた。
 飛行機に乗ったら耳が圧迫してくるようになる現象で、
慣れてくると鼻を摘んで踏ん張らなくても、直ります。
 潜る前はもの凄く緊張しますが、とにかく冷静が一番で、
空気もそのように安定した量だけ供給してくれます。
 思っていたほど息苦しくはならず、ゆっくり吸ってゆっくり吐くのがベストのようです。
スカーーーッ ブクブクブクブク スカーーーッ ブクブクブクブク
急いで吸っても、急いで吐いても安定した圧で供給してくれます。
 水中はタンクを背負っているので、じっとしていると仰向けになってしまい、
たえず手足を動かしています。
自転車に乗ってバランスをとるようなものです。
 海中はかなり汚れていましたが、砂場には小さい砂ガレイがいて、
小さいカニが錆びた鉄屑にしがみ付いて隠れようとしていて、海草内には大きなウニや魚が居りました。
 思っていたよりウエットスーツは暖かく、あっという間に1時間が過ぎ、大満足、
水温16度、最大水深6.9メートル。
 スキューバって重装備のようですが、大別すると、大三点、小三点でしょうか。
大は「ウエットスーツ」「BC(リュックサックのような形)」「レギュレータ(空気を送るパイプ・器具類)」
小は「水中マスク」「フィン(足ひれ)」「手袋」
 タンクは現地で調達となると、非常に現実味が増してきてクセになりそう。
その前にライセンス取得が必要でありました。                      草々

 その 376 NHK行 2004年9月4日
レインコート     (1974年) 

雨 猫 一、
雨傘差して 歩いたの
雨傘差して 歩いたの
傘の中は 暖かく
どこも濡らさず 歩いたのに

帰りは 降ってない

二、
雨靴泥除け 歩いたの
雨靴泥除け 歩いたの
足並み軽く 歩いて
みんな弾いて くれたのに

帰りは 降ってない
三、
雨降るまで 待ってるの
雨降るまで 待ってるの
一番星輝いて
暗くなったら 走っちゃうから

降るまで待ってるの


街路灯 輝いて
街路灯 輝いて
ママが迎えに 来たの
レインコートに 潜ったら

とても 暖かくて

レインコートで 歩くの
レインコートで 歩くの
明日買って もらって
毎日学校に 着て行くの

とても 暖かくて


レインコートで歩くの
レインコートで歩くの
レインコートで歩くの
レインコートで歩くの
レインコートで歩くの

 その 377 NHK行 2004年9月11日
前略 7/19 東芝ちゃんが、CMにELTを起用していましたな。
ガラス張りにすると傷口舐めあっているとしか見えませんな。
何年か前ウタバンで山崎まさよし君がCM曲3万3千3百円とか言っていましたな。
CM料の相場は変わらないだろうから、音楽も随分下世話な相場に落とされたものである。

>7/26 デビューもコネでできるものなのですか?

8/ 3 デビューだろうがコネだろうが、何でもありの世界です。
ただ盗作だけは駄目、これは万国共通。
これは業界の誰に聞いてもそう答えますが、では試験しようと言ったら全員が逃げます。
これを「(ムッとするおなら)の法則」と呼んでいます。
「こちら(業界)は天国」などと言われて、誘いに乗っても自由ですが、
ただそんなテンション、一流の集まりではない事だけは確かです。

8/17 昨日(16日)7時からの日テレのオリンピック番組。
ミスチルのメロディーが流れた後に、スタジオで、ボードを映す時に、女子アナが
「汚い手を・・・先に言っておく」とか何とか言ってましたな。
それを言うならせめて「よごれた手」だろう・・・が、そうではないのだ。
「汚い手を使った」という事なのである。
録画している人、三位決定戦の少し前あたりだから、9時前頃だった、確認。

8/30 引越しや何やかやがあって、久しぶりにピックを握ったら、ピッキングがグシャグシャ。
この頃少しもどって来た。
いえいえ、もともと下手だけどね。
さて、やっと90年頃からのカセットのチェックに入ります。
イカレリつくせりの業界人のポカがあれば、ごろごろと出て来るはずです。
何てったって段ボール箱ごと盗んでいく連中ですからね。

偽ダンボールを置いて、ゆっくりと名曲を抜き取って、そして置き直す手口かと思ったが、
「嘘」とか聞こえてきたので、じゃあ、その都度こそ泥が通っていたことになる、どちらにしてもギネスものである。

 その 378 NHK行 2004年9月18日
前略 調布に居た頃は、閑静な住宅街であった。
木造アパートの一階で、台所とトイレが付いて、居間と仕切られている部屋であった。
風通しが良いのが好きで台所の窓や、トイレの窓に網を張って開けっ放しであった。
 居間の引き戸は網は貼れないので少しだけ開けていたが、
お客さんといえばゴキとトカゲと鈴虫と隣のチビ白猫がやって来ていた。
 入居して早々の頃、トイレでぼんやり用をたしていたら、
目の前の中央階段からプルンプルンのミニスカートのレディが降りてきて度肝をぬかれた。
如何せんこちらは裸同然なので、一瞬ビビって、いい眺めどころではなかった。
 白昼夢のようであったが、しかしそれっきりで1度きりであった。
逆算して冷静に考えると、ギャーギャーうるさい某テレビ局の「仕込み」だったようである。
 兎も角、未発表曲を逆回転曲にはするが、声は掛けないという紳士振りである。
であるから、いつまで経ってもまともに知恵を搾り出すと言う事がお留守になり、
自ずと裏仕事が多くなる、未だに逆回転曲の氾濫である。
 例えば、女漁りの合間の僅かな時間を割いて、ちょろっと逆回転した曲が音楽シーンを飾り、
賑わし、それが業界ぐるみとなるから、女、金、名声、或いはその総てであり、
それをみんなで楽しんでいるという按配である。
 彼等の意識はものすごい自己中であり、社会面を賑わしている凶悪殺人鬼と大差ないようである。
 しかし自己中ほど人生を2倍も楽しめていないのであるが、それが分からないのが、
自己中のツレーところである。
それが分かる頃には回りや他人が大変な迷惑を被っているという事である。
 この頃は10万前後で生活していたが貯金もせず、毎週、街に出れば1万近く使っていた。
横浜の兄の所で当時を振り返り「いや、まいったなぁー」などと笑い飛ばしていたが、
「吉田さんも成り下がっちゃって、しょーがねーなー」とも吼えていた。
                                            草々
 その 379 NHK行 2004年9月25日
前略 ボクシング4強談義 その9 ザ・ウオー レナード対ハーンズ第二戦。
 ちなみにこの一戦は四強揃って顔を出している。
引退したハグラーは解説席で笑い声も交え気楽に解説していて、
半年後にレナードと再戦するデュランは慎重な面持ちであった。
もう決まっていたのかは分からないけれど、モテモテのレナードである。

 それにしても終了後の選手インタビューの時は何か、ちぐはぐであった。
やたらデカイ声でインタビューしているし、
レナードは対戦相手をハグラーと言い間違えているし、
ハーンズは何か一言、言いたそうに、もじもじしていた。
そしてついにハーンズにマイクが向けられ、告白したのだった。
ハーンズ 「レナード、君のこと、好きさ」
レナード 「ハーンズ、僕もさ」
二人   「ブ ッ チ ュ ー」
そんな訳ありません。
 ハーンズの一言は、7年も待たされたハーンズらしい言葉であった。
「いつもお前の事を考えていたよ」
さすがにレナードも言葉につまり、微笑み返した。
この試合、ウオーというより、ウワォーと結びたい。

2004/ 9/12 0:51 メッセージ: 208 / 208  現在、次のシリーズの月間配信曲を摸索中。
  一日に1カセットほどのチェックの遅さ。
ブルージーなシリーズになるかなぁ。 マニアには、たまりませんぞ。」

 ウワォーと、ちょっと油断した隙に掲示板のトピックが消えてしまった。
「音楽が音楽であり続ける為には」  私は時々こういうポカをやってしまう。
見に来ていた人、すまん、とりあえず元気でおります。
 まぁほとんど掲示板の内容、HPに載せているので最小限に留めたかも、ですが、掲示板の体裁もやはり捨てがたい。
 ところで、掲示板参入の頃は一杯トピックを立てていて、「グレイ」「つんく」のトピックなどはかなり面白い内容、
HPのカウンターがどんどん増えて、日テレあたりが、「やべー」などと、横槍を入れ始めた頃。
懐かしいので暇見て載せようかな。                                  草々

 その 380 NHK行 2004年10月2日
前略 昔から安物を買って得したり、重宝した事がないので、
余り神経質になる事無く過ごしていたが、
昨今百円ショップなる店があちこちに出来て、私も需要の為に顔を出している。
 デジタルカメラのケースを買って気を良くして、ひじ当てクッションを買って重宝している。
手動髭剃り機を買って失敗して、水鉄砲を買ってすぐ壊れたりしている中で、
同じ安物でも百円ショップ製品は生き残っている。
 仕事をしていた時に毎日、朝、昼、3時と飲み物で、400円近く出費していたが、
百円ショップのまとめ買いで、出費が半減した。
コンビニの常連で、切り詰めるという事が無かったが、
この頃は食料品、日用品まで激安ショップがあり、意地になって買い込んでいる。
 昔、テレビが一般家庭に普及し出だした頃は(60年初頭)、
ほとんどのチャンネル合わせがダイヤル式であったが、シャープだけは、キーボード式であった。
 シャープが言うには、「観たい番組を観るのにわざわざ他の番組を映す必要はない」
というものだったと思う。
子供心に、道理を得ていると思ったものであるが、ダイヤル式は壊れやすいという評判も高かった。
 何年もしない内に、近所のダイヤル式が壊れていく中で、家のテレビは健在であって、
今思い返しても可笑しさが込み上げてくる。
液晶テレビで一歩リードしているのは、そういう精神があるからであろうか。
 この間、東京ガスの人が来た時に、サンヨーの炊飯器を見て懐かしさでびっくりしていた。
 これは兄が東京に出て来た当事の物であるから、72・3年頃の物で30年ちょっと経っている。
フル使用はしていないが、未だに何故か健在である。                     草々

 その 381 NHK行 2004年10月9日
ポ チ     (1975年)

一、

とても短い
陽だまりの細い道
暖めるように歩いた
影踏まぬように
なのにその樹は立っていた

ポチのこと 好きだった


二、

長い垣根
押して作った節穴
覗いたらそこは扉
指を入れて触れたら
その人は怒り狂った

ポチのこと 好きだった




扉を開けて
細い肩に手をやると
両目の瞳が濡れた
埋めて来たこの腕で
その人は泣いて言った

ポチのこと好きだった


 その 382 NHK行 2004年10月16日
前略 9/27 >大手レコード会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)は17日、
>CDに付けていたコピー禁止機能を全面的に廃止する方向で検討に入った。

ってか、
出所も、はしゃぎどころも、おりこうさんぶりも、同じ所為だろう。
何せこの会社は No.17 のように自己中の塊のような会社だから。
ところで逆回転曲って何?という人の為に一例、
その No.17 のいうパクリ曲の王道、逆回転曲を解説したいと思う。
何故か、これまたソニーレコードから出ていた、
逆回転曲のエンディングに元曲が流れるという、ネタバレ曲がある。
No.17 の大先輩にあたる吉田氏の70年代のアルバムである。
この辺りは吉田氏自ら語るのが常道であるが、何故か語りたがらない理由も交え、
次回に持ち越したいと思う。
10/ 5 伽草子の中の制服という曲のエンディングの曲。
譜面にして出だしのワンフレーズをコピーして、持ってくる時に前後逆にすると、
あーら不思議、制服の出だしにぴったりハマル。
次も、次も、その次も、これが、逆回転曲の正体。
音符が多いのは単なる「あや」である。
それだけの事で、音楽業界は著作権を主張しているのである。

>簡単簡単!子供だましッスよ!子供だまし!
>作り方としては、タワレコで適当に万遍なくいろんなジャンルの
>CDを買い漁ってきては、使えそうな部分を切り抜いて
>歌謡曲にぶち込んでいくだけです。
>これだけで「へ〜洋楽っぽいね〜」なんて言われてゴキゲンっすよぉ〜!!


 まどろっこしい言い回しをしているが、つまり前記の方法を繰り返すと元曲に戻る(似てしまう)わけで、
その元曲も逆回転曲なら、みんな似てしまう訳で、量産音楽の悲鳴ですな。
 みなさんは決してマネをしないように、吉田氏、松任谷女史などは、
おいそれと海外旅行など出かけられない身の上なのです。
その道では、やはり有名なのです。                      草々

 その 383 NHK行 2004年10月23日
いやな日    (1975年)

一、

吐息に震える 海鳥達
埠頭のかしらで 海鳴り待つ
知らないでいた 事だってある
君がいない日 海は青かった

年老いた若者達が 
沖へと出かける
荒れるぜ その舟の舟の 
行く末は


二、

海の只中で 埴輪の指から
迷いの蝶を 飛ばせ
案ずる事は 何も無い
白い花は 汚れて咲く

浜辺の少年は 
波を返している
荒れるぜ その波の波の 
行く末は



 その 384 NHK行 2004年10月30日
前略 78年か、79年頃だったと思うが、夏が無かった年があった。
私が住んでいた東京では、連日の曇り空と雨で、空を見上げればどんより雲が覆っていて、
それがひと夏を経過して、まるでロストワールドを感じさせた。
調布のアパートの部屋は壁や天井がカビだらけになって、その痕跡を残したほどだった。
 その頃だったと思うが、実家から突然100万円送って寄こした。
なんでも私名義の10年保険が満期になったので、
歯でも直しなさいという事で送ってくれたのであった。
 虫歯が酷く、旅立つ前あたりがピークであったが、
かまわず出かけてしまった経緯があり、和歌山でも前歯を抜いた状態であった。
 仕方なく歯医者に出掛けたが、治療の途中、昔の詰め物から脱脂綿が出てきたりした。
「昔はこんな事していたんだなぁ」と歯科医と助手とで呟いていたが、明らかに手抜き行為であった。
 中学生の頃に、ドリルを前歯に引っ掛けてキズを付けられた事があった。
「おっと失礼」という言葉だけは覚えていたが、それがどう意味をもっていたのか、
気づいたのは虫歯になってからという事である。
 みなさんも気をつけたほうがいいです、歯科医というのは以外と血の気が多いようです。
 さらに今回は差し歯を入れるのに隣の歯と色合わせをしたにもかかわらず、
出来上がった時は違う色であり、其の儘である。
 みなさんも気をつけたほうがいいです、歯科医の女デブ助手というのは以外と血の気が多いようです。
この時は70万位治療費がかかり、虫歯と歯医者には昔から泣かされっぱなしである。
 100万円手にした時は、歯医者に行かず、そのまま「作詞体勢に突入」を夢見た、
何しろあの頃は絶好調であったから。                        草々

 その 385 NHK行 2004年11月6日
ママがいない     (1974年)

一、

君の目が 君の目が
風に揺れる アネモネの花に
似ていたから
風に揺れる アネモネの花に
似ていたから

大事な大事なママの
温かい手が無いのは
君の目が萎れてはくれぬ
造花だったから

ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
二、

赤い箱の 赤い箱の
金と銀のある 色鉛筆の
買い物籠がない
金と銀のある 色鉛筆の
買い物籠がない

手の中でチョコはもう
どろどろに手の中で溶けて
立ち止まった時ママの手が
するりと抜けた気がした

ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない


見たことも無い人の
後ろも知らない人
雨傘の下でうじうじと泣く
あの子の顔が憎い

ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
ママがいない 何処にもいない
―――道行く人は知らない人、その後ろも、その後ろも、その後ろも、その後ろも―――
―――雨傘の下で、うじうじと泣くあの子の顔が憎い!しかもウインドーに映る自分の顔を―――

 その 386 NHK行 2004年11月13日
前略 ボクシング4強談義 その10 ハグラー対ハーンズ戦。
この一戦は凄い。
ジワリンコン、ジワリンコンと攻めるはずのハグラーが、1Rから勝負に出て、
ハーンズも応戦し、凄まじい殴り合いを展開。
あらゆるパンチの応酬、予想を裏切る展開に解説が付いていけず。

 無責任な着眼点だが、デュラン対小林弘戦のダイジェストを思い出した。
小林の真っ当なボクシングに飽きたデュラン、
突然ガードの上から殴りつけ2・3発で終了。 小林は失神していた。

そのファイティング-スピリットが、このハグラー対ハーンズ戦だろうか。
ハグラーも、まともに貰っていたが、攻めに攻め続け、ついに後ろを向けさせ、3Rハーンズを食った。
試合後のハグラーの言葉。
「パックマンのように食ってやるって言ったろう」
ハーンズも後ろを向いた時、ウイニングパンチを貰わず、キャンパスを1・2周、逃げ回ってほしかった。
「食われてたまるかぁ」 とは言いませんでしたが。 おぉーっ マーベラス

 パックマンといえばゲームセンターで遊んだ記憶がある。
インベーダーゲームは当初ダイヤル式であったが、後にスロットバー式に変わった。
せっかく慣れたのにスロットバー式に変わって不愉快であったが、
そんな愚痴も間に合わないほど、インベーダーは押し寄せて来ていた。
パチンコ屋がガラガラになるほどの異常現象で、並んでゲームをした記憶がある。
 ブームが過ぎた頃、突如ギャラクシアンが登場して、ゲーム人気を確実のものとした。
その後も新作は出ていたがパッとせず、盛り上げたのは、80年になってからの、
ドンキーコングとパックマン、レーシングカー辺りであろうか。
 その頃で一番面白かったのは、騎士道・剣道ゲームで面、突き、胴で相手と競うアクションゲームだった。
あんまり逃げ腰で競っていると客席から物が飛んでくる立体型である。
 思えば現在の格闘ゲームの元祖であり、私もいい目を持っていたものだが、如何せん腕前がイマイチであり、
ゲーセンから遠ざかってしまった。                                     草々

私  「仮面ニャンニャンに負けました」 べそ 「ニャ」 私  「ひねりが足りなかった?」 べそ 「ニャ」 私  「勝って兜はカブトガニ」 べそ 「・・・」 私  「負けて三途の川くだり」 べそ 「ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング その 387 NHK行 2004年11月20日
前略 10/11 で、何故語りたがらないかというと、吉田氏自薦曲「洛陽」は、
私の「落下水」という73年作の逆回転曲なのである。
例の「脈打つ心は突っ走れ」のラストに位置する曲である。
もちろん他にもあるのだが、とにかく早い、73年発表の伽草子に間に合わすほどに早い。
劇場型犯罪のように「前記の方法を繰り返す」ことにより、オリジナルが損なわれていくのである。
 何故か73年作はみなさんが信じられないほどの海外ビックアーチストにまで、連鎖している。

>10/29  ネタを拝借している

10/29  私はネタとして捉えたことはないです。 入ってくるか、こないか。
もっと激しい言い方をするなら、 脊髄を鷲掴みされるか、されないか。 です。

>11/ 1音楽は、癒しであり。不滅である

11/ 4 とにかく、曲がほしい。 盗んででも、曲がほしい。
作曲者を消してでも、曲がほしい。 バレてしまおうが、曲がほしい。
汚名を背負い込もうが、曲がほしい。 会社がどうなろうが、曲がほしい。
談合するほどに、曲がほしい。 悪あがきするほど、曲がほしい。
アーカイブに残したいほどに、曲がほしい。 歌詞なんてどうにでもなるほどに、曲がほしい。
歌手なんてどうにでもなるほどに、曲がほしい。
 そうして出来上がった業界の癒し音楽。 もう答えは出ている。
人を癒すという事がどれほど大変な事かを。

11/ 8 何が交錯しているのか分からないけれど。
「盗作者のレベルに音楽をあわせている分けにはいかないのだから」
を載せた頃には、「かなりあせった」とか聞こえてきていたが、この頃は聞こえてこない。
 会社内で、「どうする・・・相手はプロだぞ」 などと間抜けな会話をしていると予想している。

11/14 エイベックスのサイトで、昔のフォーク歌手、随分抱えていて、不思議だったな。
ところで88年設立?
何たって大手を振って入り込めるほど、寛容なレコード業界じゃないし、
裏技使わにゃ生き残れないし………まぁそのうち分かるべ。        草々

 その 388 NHK行 2004年11月27日
花を投げる     (1977年) 

一、
あこがれのあなたに声かけて
私もキスしたこの花で
あなたも口付けしてほしい
人ごみで見えないあなたなら
花を投げて

当たれ

二、
忘れてないのは花言葉
情熱的なこのトゲで
綺麗な血を流してほしい
十字架は結びきれない
知恵の輪で

退屈

三、
さようならをする為に外された
心置きないその右手が
いじらしいほど小さくて
私は花をも踏むでしょう
花言葉も

忘れ


グラビアのあなたは笑い顔
セーラー服を脱ぎ捨てて
あなたの顔に漂わせ
一握りの長い髪を
今は梳かして

待つの

カミナリ キャット その 389 NHK行 2004年12月4日
前略 調布でのロストワールドを感じさせた70年代後半の頃、
夜中に雷が落ちた時があった。
かなり近くに落ちたようで目が覚めたほどである。
 朝の出掛けに回りを見渡し、
空を見上げたら電柱のてっぺんで作業員が何かやっていた。
「雷落ちたですかぁ?」「…いや…」休める事無く作業を続けていた。
空を見上げ口が開いたついでにボソッと言葉になって出てしまったが、
それほど強烈な衝撃であった。
この世で一番でかい音を鳴らすのは雷様なのである。
 そんなある日、
洗濯場のトタン屋根をパタパタ歩く音がして覗くと中型の茶黒のチビ猫が居た。
おいでと言うと寄って来て直ぐ懐いたが、目の下にコインほどの禿げがあり、
しょぼくれた猫である。
 隣のチビ白猫は引越ししてしまい、猫に触るのは久しぶりであったが、飼う気などはなかった。
玄関に腰を下ろして撫でていたら、またまたトタン屋根をパタパタ歩く音がする、見ると怖そうなノラである。
あまり怖そうなので、チビを差し出し、さっさと玄関のドアを閉め部屋に入ってしまった。
 しばらくすると、10cmほど開けている裏庭の引き戸からニャーと一声鳴いてチビが入って来た。
何とアパートを一周して来たらしく逃げているようであったが、無常にも玄関から出したが、
また入って来たので、ブイブイ言いながら手足を拭いて置いてやった。
 飼い猫だったのか分からないが、落ち着き払って部屋の隅で丸くなっていた。
腹が減ったら外に出掛けるべぃと思っていたのである。       続く

 その 390 NHK行 2004年12月11日
前略 春便り   7/29  いやー暑い中、やっと引越しが終りました。
すぐ近くなので、自転車で少しづつ運んで、最終日にはレンタカーを借りて、運びました。
 なんたってバンパーをブロック塀に擦ってしまい、レンタ料金の他に二万円の出費、
これなら引越し便に頼めばよかった。
 前の部屋はとにかく身動きも出来ず、掃除も諦めたほどでしたが、引越し先では洗濯機、
冷蔵庫、電子レンジを揃えました。
 えっ?今まで無かったの?ってか、そうなんです、無かったのです。
あと足りないのは「にようぼう」ぐらいですかね。
ガッキンコンと (春) だより。

11/10  引越しをして、部屋が少し広くなったので、炊事をやっている。
 この間、茄子のへたを指でむしっていたら、チクリと何か刺さった。
てっきりトゲかと思ったが見当たらず、検索してみたら、へたに付いている毛でありました。
まだ取れてないみたいで、不思議な痛さ。
うん・・・だいじょうぶ・・・平気だよ・・・ガッキンコンと一人で料理・・・
炊事をしていると女性言葉になってくる・・・やだぁ〜。

11/14  カリフラワーの茹でたの。ブロッコリーの茹でたの。しいたけの甘塩煮。
グリーンアスパラの炒めたの。サトイモの煮っ転がし。目玉焼き。鮭の焼いたやつ。
 いやーレパートリーが広がって広がって。
それで料理のつもりか!ってか。
いや〜ん

11/21  今年の春は何処へ出掛けたか・・・と、もう忘れてしまっているほど時の経つのが早い・・・というより、
日々の暮らしに無頓着なのであろうか。
デジカメ写真を調べて、やっと思い出した。
 苫小牧の先の鯉沼という所へ鯉釣りに出かけ、帰りはステーキを二枚食べて、次の日は一日中パークゴルフをやって、
その次の日はまだ雪の残っている里山に登って、春を満喫したのであった。
やっと春便りらしくなってきた。
 山に登ると海の広さ(太平洋)が目に入り、海に入ると、遠い山並み(内浦湾)が目に入る。
子供の頃からずっとそうだった。

11/24  >うん・・・だいじょうぶ・・・平気だよ・・ 
 かわいい〜っ!自分で書いて自分でかわいい〜と思う。
ところでこの間、上海ガニを売っていたので、調理法を聞いて買ってきた。
中国酒が無かったので、みりんで蒸したら、鍋の底に水あめが出来てしまった。
禁酒中なので、味付けが難しいなぁ。

11/28  この頃はリサイクルに参加している。 ペットボトル、紙パック、食品トレーなど。 以外に多く出るので驚きである。
 納豆のトレーなど、ねばねばして厄介だなぁと思っていたが、水に浸けておくだけで、ねばねばが溶けて取れていた。
(品によっては溶けないのもある)
 粘っこいくせに以外とあっさりしていて、気に入ってしまい、で、リサイクルが継続しているわけである。       草々

 その 391 NHK行 2004年12月18日
メリーゴーラウンド    (1975年)

一、

メリーゴーラウンドに 合わせて
手をひっぱるおまえは 可愛いが
ソフトクリームの渦に
目を回しているお父さんは
ベンチで見ているほうがいい

娘よ 回りなさい
娘よ 回りなさい
二、

何も知らない おまえは
手を引き見ていて ほしいのか
口の利けない喉から
厳つく笑うおまえの顔が
これから先も絶えないでほしい

娘よ 愛らしい
娘よ 愛らしい


メリーゴーラウンドは 回り
もしおまえが馬から 落ちても
助けを呼ぶ事は出来ないが
歯を食いしばって耐える事も
おまえにだって出来るんだ

娘よ どうぞ自由に
娘よ どうぞ自由に

 その 392 NHK行 2004年12月25日
前略 9/20 べそのお宝画像が流出! きゃっ

10/ 1 お騒がせしました。
かなり、ひいてしまいましたが、懲りずにゴー。
おおっ!キャンニャン始まって以来のヒーロー登場かぁ!
べそに、またまた強敵現る。 仮面ニャンニャン近々登場。

10/19 年末になると、しゃしゃり出て来ていたべそが、いまだに音沙汰なし・・・。
どうしてしまったのか・・・。 ちょっと早すぎたのか・・・。
そろそろ年賀状の書く季節。 今回は仮面ニャンニャンメインでいくかなぁ・・・。                          …ニヤゥ

10/29 < べそ の メッセージ >
ニャウニンニューニューニャーァウ
ニャニャニュニュニヤニヤニャウボテクン
ニニニニヤヤヤヤニャブレッチン

前回とあまり変わってないようであるが、こう申しておる。
まいったなぁ〜〜〜〜〜〜ゃ ニセ猫武者だぁ」
ひねりを入れて再登場するそうですが、どうなることか。

11/10 私  「べそくん、喜んでください」
べそ 「ニャン」
私  「べそのクロワッサン
べそ 「ニャン」
私  「しっかり、すべりました」
べそ 「・・・」
私  「仮面ニャンニャンに負けました」
べそ 「ニャ」
私  「ひねりが足りなかった?」
べそ 「ニャ」
私  「勝って兜はカブトガニ」
べそ 「・・・」
私  「負けて三途の川くだり」
べそ 「ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング
    ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング」


11/22 べその「ニャウ ニャウ ニャウ ニャウィニング」って、一体何?
と言う人の為に、画像で表現してみました。

11/27 私  「べそくん、(ニャウィニング) 何故か受けました」
べそ 「ニャン」
私  「いいキャラは一人歩きするって言うけど、ほんとだね」
べそ 「ニャン」
私  「偶然かい?」
べそ 「ニャン」
私  「ねらってたのかい?」
べそ 「ニャン」
私  「キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「違うって・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「ばっっ・・・キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「ちが・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「仮面ニャンニャン?」
べそ 「ニャン」
私  「違う違う、キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「そうじゃなくて、仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「ちが・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「仮面ニャンニャン?」
べそ 「ニャン」
私  「違う違う、キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「そうじゃなくて、仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「ちが・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「仮面ニャンニャン?」
べそ 「ニャン」
私  「違う違う、キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「だからさぁ、仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「ちが・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「キャットでニャン?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「違う違う、キャットで?」
べそ 「ニャンニャン」
私  「そうじゃなくて、仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「ちが・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「仮面ニャンニャン?」
べそ 「ニャン」
私  「違う違う違う、キャットで?」
べそ 「ニャンニャンニャン」
私  「そうじゃ・・・仮面?」
べそ 「ニャン」
私  「仮面ニャンニャン?」
べそ 「ニャン」
私  「違う違う、・・・・・
べそ 「ニャン・・・・・
私  「そう・・・・・
べそ 「ニャ・・・・・
私  「違う・・・・・
べそ 「ニャ・・・・・
私  「そ・・・・・
べそ 「ニ・・・・・
私  「・・・・・
べそ 「・・・・・
   「・・・・
   「・・・
   「・・
   「・

12/ 6 ところで来年の年賀状をべそに見せた途端、べそは何処かへ消えてしまいました。 シンプルすぎたか・・・。   べそーっ。 

12/24 べそからのクリスマスプレゼント。 君はこれが解けるか? 異性人からのメッセージ その2?
続きがあったのか。 むんずかしいー。 それにしても何処からこんな極秘情報を。 ついに20××年、結末か!!

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