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201年〜

 その 706 NHK行 2011年1月1日
 苔生しの記録 雨の前は晴れだった

 刻を刻んだように眠り続けてしまった。
岩の一部にでもなったように固まり続け、
何かの弾みで欠片になって弾き出されたようだ。
もう何もかも整然として横たわっている。

 何時、眠り始めたのかさえ思い出せない。
いや、どれ程眠ったのかさえ思い出せない程、眠り続けてしまった。
いわば眠りの中にどうでもいい記憶を置いてきてしまった訳だ。

 ふてぶてしい朝なのか夜なのか、決まり悪い午後なのか、
きっとこんな取り留めの無い始まりの眠りからの目覚めだろう。

 深遠なる深みは濃く黒々と繁り、併せ持った両端は、
まだ、ころもの如く、遠く、近く誘っている。

 樹木の隙間にはまだその境界が見当たらないが、
分け隔てのない茂みの中から輪郭が造形しだした。
そうだ遥か高みから空が明けてきたのだ。

 目の前のつぶさな眼差しは一瞬たりとも動いちゃいないのに、
寝床を見つけたかのように、それぞれ在るがままだったそれが、
そうであったように、こんどは落ち着きはらってあるようだ。

 それでもまだ頼りなさそうな二色の陰影のようで、
夜ってやつぁ決して黒い塊を投げかけている分けじゃないんだ。
変化を見逃さないように朝のままでいるようにとは教えていない。
向こうから明けて来たような朝のままで居たのに違いない。

 雨の前は晴れだった・・・うん、夜の前は朝だった。


苔生しの翻訳が残されていた。 べそは時々寝言を言う。

 その 707 NHK行 2011年1月8日
前略 2008/ 1/ 8 あけおめ ことよろ 1
あけおめ ことよろ って省略語、最初は解らなかったが、気づいて可笑しかった。
で、一回は書いてみたかった。
 こんな大雑把もないものだが、ネットでは利用価値があったり。
それで本文も付け足してみた。

あけおめ ことよろ とし ばか はく そに もれ もれ

あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいいたします
()()を重ねていく()()り 今生()()しみの三()路()
()らってたも() ()らってたも()


2009/ 1/ 1 あけおめ ことよろ 2
あけおめ ことよろ とし ばか はく そに もれ もれ

あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいいたします
()ちゃんは()()刈りに ()ちゃん()()じ引きに ()したら()等
()()なく二等 ()()なく二等


2010/ 1/ 2 あけおめ ことよろ 3
あけおめ ことよろ とし ばか はく そに もれ もれ

あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいいたします
いわず()()れた タコ()()り 曲()ぬすむは ひっ()り返すは おと()()酔って 
たが()はず() 編曲さえ()パクリな()り


筆者のセンスが光る一筆。
ようするに 主音を外して思い切りよく ってやつ。
今年も よろしこ おしるこ

2011/ 1/ 3 あけおめ ことよろ 4
あけおめ ことよろ とし ばか はく そに もれ もれ

あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいいたします
お()そ気分で 半()に向かい 言()を()いてみたけれど 何()な()とも おと()()肴
泡()かっぽ() 泡()かっぽ()


今年も よろしこ おしるこ

 その 708 NHK行 2011年1月15日
前略 2010/12/ 4 昨日、昼間に出掛けたが、自転車に乗って走りだすと、
ビジネスマン風の男が携帯を持って中国語で話しているようだった。
その少し前にパトカーが一台通り過ぎていたが。
新標語 気をつけよう 携帯電話と 中太郎
2010/12/11 今日は青梅街道に出るまでの歩道を、ポリスマンが先に自転車で進んでいた。
 買い物ついでに懸垂をやりに公園に出掛けたが、
合間に何気なくダークグリーンの帽子を探っていたら何と、チャイナのロゴ? 
人民野戦部隊兵士の帽子か? ちょっとスペルが違い苦笑した。
 部屋に戻ってネットで調べてみたら、DAKSブランドの CHINO というレイアウトである。
親父からの貰い物であるが、英文字の帽子が多いようだ。
2010/12/27 今年も数日で終わろうとしています。
掲示板も今年最後の書き込みになります。
 激動の一年でしたが、やるだけやった、書くだけ書いた気がします。
国民も動いたでしょう、来年は一万人デモを見たいものです。
 何か回りで時代のシンパシーが脈打っているのか、
10月の帰省時のパークゴルフ、またまたクジ引きで一本線でした。
更に続きがあるのですが、後で詳しく書きます。
みなさん、熱情を込めて、よいお年を。
1/ 1 大晦日の公園は静か過ぎる程で、閑散としていた。
公園外のすべてが慌しくて公園だけが静かなような落ち着き。
 落ち葉も綺麗に清掃されて、公園はもう新しい年を迎えるだけのようだ。
裸になった樹木を見上げれば、午前の日差しが遮る事なく降り注ぎ眩しいほど。
 公園の周りの区切られた花壇で猫達は日向ぼっこに余念がない。
苦痛も苦悩も空腹もないようで、ニャーとも鳴かず落ち着き払って、こちらも新年を迎える顔をしていた。
 さて私は、12時を1秒でも過ぎたらもう正月気分を、吹き飛ばさないといけない新たな気分。
今年も元気にいきましょう。
1/10 正月も過ぎて連日、寒い日が続いています。
東京では雪こそ降らないけれど、氷点下に近づきそうな冷え込みです。
夏にグーンと上がって冬にグーンと下がったか、という感じです。
 シベリアでは雪が降って来ると暖かい、という表現があるそうで、
みなさん、聞いて聞いて、シベリアというところは しべりぃや。
(解説 しばれる とは北海道地方で使われる方言で、すごく寒いという意味)
さてやっと近辺も通常シフトに戻りつつ、落ち着きが戻ってきた感じ。       草々

 その 709 NHK行 2011年1月22日
前略 昨年暮れの帰省は10月後半から11月始め頃まで出掛けていた。
着いた日に畑仕事を終わらせて次の日曜に友人とパークゴルフをやり、
その後お袋と温泉に出掛け3泊たっぷり温泉に浸かってきた。
 どうもお袋が畑で転び怪我をしたらしく、それも一度ではないので、
とうとう一人では外出禁止令が出てしまった。
それで色々考えたらしく、畑から手を引く事に決め、私も賛成した。
であるから今回は畑の手伝いではなく、撤収作業になってしまった。
温泉にゆっくり浸かるのもいいが、野外の土お越しもまんざらいやではなかった。
 ここのケアハウスは夫婦用と一人用の部屋があり、どちらも私の部屋より広い。
下の階に養護老人ホームも兼備しているので、サービスは行き届いていて、
安心してゆったりと余生を過ごす事が出来る。
毎朝、職員の方が各部屋を回り、声を掛けてくれているし、
食事時の食堂では隅でパソコンに向かいながらも食欲、健康状態にも目を配っている。
 買い物や病院へはケアハウスで送り迎えで、レクリエーションも盛んです。
趣味活動も豊富で、お袋は書道倶楽部、陶芸倶楽部を習っていたようである。
私が飲んでいるごっつい湯呑み茶碗はお袋の自家製である。
老人の尊厳をこのような形で目の当たりにするのは私には眩しくあります。
 5月と同じ温泉に出掛けたので合間にホテルを抜け出して緩やかな坂を下り、
牛舎を通り、水の駅でパソコンを借りた。
帰りは湖畔の波打ち際をゆっくり歩いて来たが、途中でこぶ白鳥のつがいに迫られた。
ビニールの買い物袋がエサと思ったのか、ねだっているように擦り寄って来た。
 道路側に戻った時にポツンともみじの木を見つけたが、色鮮やかで眩しいくらいだった。
そういえば、送迎の車でホテルに向かっている時、被るように生い茂った湖畔道から紅葉に変わり、
一瞬明るくなったように心弾んだが、紅葉の葉って明かりを反射するのだろうかなどと、感心してみたりした。
 パークゴルフは内浦湾が一望できる丘で、久し振りのゴルフ場である。
順番を決める時に、さすがに思い出し慎重になり、友人に先に引かせたが、3本線。
私が引いたらやっぱり1本線であった。
 摩訶不思議ではあるが、パークゴルフを楽しみに来ているのでプレイに励んだ。
今回は何とカップに当たるホールインワンの残念賞を連発して悔しかった。
さすがに友人も4度目じゃないかぁと驚いていた。
前回のホールインワンも43mパー3のホールなので、狙って決まる距離ではなく、
ピンそばがやっと、が大半である。
友人も残念賞を一つ出し、そのたびに盛り上がるので楽しい半日であった。    草々

 その 710 NHK行 2011年1月29日
前略  離党届提出。
離党届提出の与謝野氏「首相のお手伝いしたい」 1月13日(木)11時6分配信

 たちあがれ日本の与謝野馨共同代表は13日午前、国会内で記者会見し、
同党を離党する意向を表明した。

 すでに平沼代表に離党届を提出した。

 記者会見で与謝野氏は、離党理由について「(ほかの議員と)考え方が一致しなかった」と説明した。
菅首相から入閣の打診は受けていないとしつつも、「税制抜本改革とTPP(環太平洋経済連携協定)
でお手伝いできれば(首相を)お手伝いしたい」と述べた。

 与謝野氏は昨年末、首相が、たちあがれ日本に連立政権参加を含む協力を打診したのに対し、
応じるべきとの考えを党内で主張していたが、ほかの議員の賛同を得られなかった。


 政治家の資質が問われて久しいが、今回もこれに当てはまるだろうか。
官僚が優秀であれば、政治家は使い走り、汚れ役、という側面も見え隠れするが、
かといって政治主導などといって売国法案を連発されるのも困ったものだ。

 政治家職を安っぽく見せるのも、それなりに見せるのもやはり政治家個々の力量だろう。
そうでなくても層化公明や民主で古新聞のごとく安っぽさが際立っているのだから。
それにはやはりしっかりとした政党の理念を大事にしてほしいものだ。

 もう後がないのだから国民は選挙離れをしないで、めん玉ギラギラさせて、
ピンポイント選挙を確立出来るよう、成長しましょう。                
                       ◆
 暮らしを楽にしてあげても、パチンコでどんどん貢ぎ、
お布施をどんどん出して、その勢いで政府を圧迫するのでは、
政府は踏んだり蹴ったりです。
国が幾つあっても足りません。
 国民に貧乏をさせてまで、国を保っているのだとしたら、
それに目覚めて一人一人が出来る事からやっていくしかありません。
 なま ごめ   生意気御免。                            草々

 その 711 NHK行 2011年2月5日
前略 2010/12/18 続 とうしば
とうしばは何をやっているのか。
こそこそ謝っていないで、勇気を出して、白日の下で謝りなさい。
来年に持ち越さないで、さっさと腹を括りなさい。 世界はそれを待っている。
2010/12/25 企業は利益ばかり追求していては駄目である。
広く世間に目を向け、その動向を知る事。
東に逆回転曲を唄う者あれば、つまらないからやめろと言い
西に盗作曲を唄う者あれば、へのつっぱりにもならないからやめろと言い
南にバレそうになった者あれば、改心を則し
北に平気の平左が居れば、これを危険と見なし広く世間に知らしめる
バカヤロウと言われ 苛められ役なのよねと言われ
踏み付けにされ転がりながらも 私はそんな企業を作りたい

1/15 とうしばは何をやっているのか。
前にも書いたが、アレンジして聴いてもらう曲が溜まりだしていて、
困った状態なのである。
盗人というのは捕まらないでいると、どこまでも迷惑千万な生き物である。
 国内では活躍できないとか何とか、
まだへのつっぱりみたいな事をほざいているようである。
そんな人の身の振りの心配などしなくてもいいから、さっさと見切りを付けろ。
 バッキャモンがぶつぶつ言ってくるのは、お任せしているのだろうか?
共犯かな。
                ◆
 今、ネットで調べてみたら東芝EMIは漢字無しの社名に変更しているようである。
ふむふむ、本社というか親会社に知れ渡り、こりゃやばいという事で、変更か。
まぁ、既存の音楽は逆回転曲がキーワードだし、バレてるし、無理もないか。
会社案内のメッセージ
あくまで中心に見据えるのは音楽。先端技術は、
音楽の質を高めることはできても音楽そのものを生み出すことはできません。

 私は手作りと言う言葉で表現したけど、
まさにそれを貫徹していれば会社名を引っ込めなくても良かったのにねぇ。
東芝でもソニーでもポニーでもどこでもいいのですよ私は、凶暴でなければ。 草々

 その 712 NHK行 2011年2月12日
前略 代表団視察"日本と無関係" 2月4日 5時9分
ロシア外務省は、先の政府代表団による北方領土の視察について、
島々の発展計画を進めるために不可欠であり、日本とは関係がないとして、
前原外務大臣が来週モスクワを訪れるのを前に、
改めてロシアの領土の一部だとする立場を示しました。

菅首相「暴挙」発言、ロシア各紙が集中砲火 2月8日(火)20時45分配信
【モスクワ=貞広貴志】ロシア各紙は8日、菅首相がメドベージェフ露大統領の北方領土訪問を
「許し難い暴挙」と批判したことを、「領土紛争が個人攻撃になった」
(コメルサント紙)などと大々的に報じ、10日からの前原外相訪露を前に発言への反感が広がっている。

露大統領、北方領土での軍備拡充を指示 2月9日(水)23時8分配信
【モスクワ=寺口亮一】ロシアのメドベージェフ大統領は9日、
「ロシアに不可分の(北方領土を含む)クリル諸島の安全を保障するため、
近代的な武器を必要なだけ十分に配備する必要がある」と述べ、
セルジュコフ国防相に対し、北方領土での軍備拡充を指示した。
国防相とバサルギン地域発展相との会合で語った。

またまた気難しい動きが出てきました。
 返せ北方領土! は子供の頃からテレビで見受けられていて、
悲願でもある事はひしひしと伝わってきていましたが、にべもない。
 ロシアという国は昔から安全・安心を提供してくれる国ではない。
むしろ日本の方が樺太半分を交換条件としていて早期解決に腐心している。
 地図からはみ出る程の国土でありながら更に他国を飲み込もうとするには無理があり、
大男が暴れているようなものである。
 昔のような超現実が支配する時代ではないのだから日本としては、
へりくだる事もなく返還要求で間違いはないだろう。
 日本列島の北は北方領土、南は尖閣諸島、日本海は竹島と、
侵略国家?にあらざる現況であり、歴史は繰り返すと言うが、先人の苦労が偲ばれます。
 日本人は何を考えているか分からない、と言われるが、
そんなよこしまな野心など持ち合わせている人はいないだろう。
 日本には、身の丈に合わせる、という言葉があって更に突き詰めれば、なにくそ魂というのがある。
まぁ、頑張る人はみんな持ち合わせているだろうけれど、つまり、なにくそ負けるもんか根性、である。
 日本が繁栄して来たその影には、この、なにくそ根性があるからであり、これからもそれを発揮して、
世界に貢献できたら幸いである。 なまごめ                         草々

たれ耳キャット。 その 713 NHK行 2011年2月19日
前略 1/15 やっとニャンを補充してWin2000から戻したところ。
注目は、たれ耳キャット、ペーパーキャットかな。
たれ耳キャットは、えっ?って感じ、こわぁいぃかわいぃ・・・微妙。
お楽しみに。
1/22 ちょうどお昼頃、横になっていたら数台のサイレンの音がしだして、
消防車の火災のアナウンスが聴こえて来たので、近くのようだった。
一度窓から外を見たが、煙はあがっているようではなかった。
 こういう時に限って眠たくなるので困ったものだ。
3時近くに買い物に行くのに外にでたら消防車が2台並んでいて、やはり近くのようだった。
 それで一回りしていたらもう1台駐車していて、
ちようど部屋の裏あたりまで出たらバリケードテープがされていて、さらに2台消防車があり、
現場はここのようだった。
 バケツをひっくり返したような状況ではなかったが、10人位消防隊員や住民がいた。
とはいえ外壁は無傷でも中は真っ黒けも考えられるので、怖い事ではある。
 消化作業ご苦労様です。
地図で調べてみたら部屋から60m位の距離であった。
1/29 連日、寒い日が続いています。
日々、最小限の暖房で、最大限の防寒で過ごしていますが、
足先が冷えて片一方をひざの内側に入れて、
片一方をACアダプターに乗せて、それを交互に施し、凌いでいます。
 しかして出てこない。
何の拍子にか出て来るはずが、出てこない。
夏の暑さで絶滅したのか、出てこない。
 例の小グモであるが、まるで音沙汰がない。
寂しくもないが、気にもならないが、夏の一瞬に出て来た一回り小さい、あのほっそりとした、
尻っぺが気になると言えば気になる。
 しかして強引に出させる手立てはあるのです。
小グモとノラを絡めて、のら節で一捻りしようか考えている。 (のら節 その四十八)
 出てきてくれたらなおいい。                                  草々

 その 714 NHK行 2011年2月26日
前略 2/12 2月に入り、4日頃から若干気温が上がっていたようで、
日中の日差しも間違いなく今年一番の輝きを見せていた。
久し振りに外へ出掛けて暑いと感じたくらいである。
 桜の開花予報なども出ていて、もう春の話題をしてもおかしくはないが、
どうも冬を語り足りない。
まだ冬型の体調でいる内に、ひやりんことするような冬を記録しておきたい。
 雪に埋もれた苔石の縮こまりのような、
ぼさっとした一時をカーソルの点滅の隙間から捻り出したい。
 などと書き進めていたが、その気にもなれず、今、再開した状態である。
それに呼応するかのように昨日は雪が降ってまだその寒さが続いている。
 何かぼさっとした状態が表現できているようで、まっいいか。
2/12 昨日は寒かった、何せ外は雪が降っていた。
たまの外出に大荒れの天気に出くわして一日伸ばそうかとも思ったが、
今日にかけての天候なので、一枚多めに着込んで出掛けた。
 道路はさほど積もってはいなかったが、自転車置き場は真っ白で、
雪だるまをこさえようかと思ったが、薄い雪なので断念した。
数年前に春まで解けずに残っていた大雪の時の雪だるまが懐かしい。
 ぼたん雪が止め処なく降り注いでいたが、風に舞って吹き付けると、
自転車の速度とかち合って顔が痛寒い。
口元に降る雪は舌っぺで拾って食べていたが、微かに解ける感触。
ペットボトルの水を買ったり、トイレットペーパーを買ったり、
買い物したりと何度も往復して寒かったのである。
 オートロックの扉が中途止まりになってロックがかかっていなかったり、
ユニットバス内の蛇口がポタポタと水漏れして閉まりが悪かったり、
雪が降る程、気温が下がっている所為か、その影響が現れているようだ。
2/26 昨日は風が強く、その何日か前も強い風が吹いていたが、
25日の昨日の風が関東地方の春一番のようだ。
 この時期、風が吹き抜ける度に暖かくなっていくが、
陽射しが柔らかくてゆるやかで、何か価値のあるような有難さを感じる。
 冬の寒さを乗り切った感があるが、しかして暦を見たら後2日で2月も終わり、もう3月である。
もう少し苔生した石のように縮こまっていてもいい複雑な気分。
 とは言え3月の声を聞いたら気分を変えて、桜に声かけ春を誘い、また近隣へ出掛けよう。 草々

 その 715 NHK行 2011年3月5日
前略 2/20 さだっ。 もう三つ出てきている。
私の曲、前期、中期、後期と、盗みの常習犯である。
一体、誰にそそのかされているのか。 白状しろっ。
白状したら楽になるぞっ。 君はそういう世界に生きているのだ。
申し訳ないとは思わないのか。 助けてくれってか。
助けてやるから白状しろ。 もう逃げ場はないぞ。

2/22 クワタ氏が病み上がりから復帰して記事になっていたようだ。
新曲も出たようでちょっと聴いてみたが。
数年前に気になる歌詞を聴いて、その分析をつぶやいた事があった。
 クワタ氏の歌詞は、商業ベースから生み出されるような印象であったが、
つまりスタッフ数人によるインスピレーションでイメージを作り上げるという、
簡単、横着なものである。
 しかしそんな事を何年もやっていると次第に集中力をかき、
ボロが出始め仕舞いには分裂症患者が作っているよう歌詞でさえあった。
 と言うような感想を述べたが、外から指摘されて慌てただろうが、
それはそれで新たなスタッフに交代するだけで事足りる事ではある。
とはいえ、そこにはアーチストとしての苦悩や成長やこだわりなどない。
 しかしいつまで、あの翁顔を引っ張っているのかと私などは思うが、
逆回転曲に依存した異常とまで言える音楽業界の序列体質の一端である。
 結論を言うと、多分両者は作品作りに関わっていないはずだ。
2/27 全国のみなさん、今しばらくお待ちください。
盗作界のマーシーこと盗作界陣営は、自らこさえた、目の上のたんこぶにより、
あまりに巨大にし過ぎて、頭を垂れつつあります。
イタチとスカンクが屁っぷり合戦をやって、共倒れをおこしたようなものです。
自然の成り行き、自明の理、自業自得。
全国のみなさん、ゆるりとお待ちください。
3/ 2 童謡 焚き火 をモチーフ
かきねのかきねの ふんまがり
たき火だたき火だ 落ち葉たき
あたろうか あたらない  
北風ぴいぷう 吹いてない

 試しに逆回転曲を歌詞に置き換えると、こんな感触。
強引過ぎて伝えきれないが、ふざけた感じの1%は表現しているか。 草々

 その 716 NHK行 2011年3月12日
前略 3/10 だ〜か〜ら、
私の事をやり込めたいのでしょうが、私にやましいところはありません。
何かあるのなら言ってこい、訴えろと抗議文でも2度程書いているはずである。

 こうしよう、今から一週間の時間を与えます。
その間に私の事を告発するなり、訴えるなり、好きにして下さい。
国民が証人です。
ただし、きっちり一週間過ぎても何も起こらないのなら、
その後はぐだぐだ言って来ても時間の無駄であり受付けません。
さぁこい

 横浜出身のロックグループの一人が酒に酔って死んだが、(バッキャモンの仕業)
テレ朝のニュースで流れ、画面が変わった時に、
女性キャスターがペロッと舌を出していたが、あれは何か?
一体テレビ局で何が行われているのか。

 アイラブユーと唄っていて、私の曲そのものであるが、
ビックを目指していたシンガーが殴り殺されたのは何故か?
一体音楽業界で何が行われているのか。
 鬱屈した悪循環を撒き散らしているのは業界の方である。
              ◆
 前に教職員の異常な行動を吐露したが、(口蹄疫 4)
何も言ってこないのは申し訳ないとかではないのです。
まだまだ続きがあるのです。
モノレール内でギャルに いじめられ役なのよね などと言われる所以である。
 物凄いしつこさ、異常なまでの執念深さ、層化と日教組。
出口の次は入り口とばかりに大変な目に遇っているのです。
みなさん、お声のかかっている歯医者には気をつけましょう。       草々

 その 717 NHK行 2011年3月19日
前略 今回の地震で被害に遇われた方々にお見舞い申し上げます。
3/11 午後2時46分頃、揺れが始まって、今回は永く続いた。
部屋の中はかるい散乱で、兎に角揺れが永かった。
 震源地は関東沖ではなく、宮城沖と知ってあわてた。
現地はもっと大変な事になっているだろう。
津波も半端ではないようだ。
 阪神淡路の教訓を生かして最小限に留めてほしいものだ。
今もまだ余震が続いている。

3/12 地震が発生して大変な被害が出ています。
思えば日本は地震大国で、その都度酷い目に遇っている。
 酷い目に遇うたんびに担保を払っているのだとしたら、
良い事だってある国だと思いたい。
 知らず知らずに芽生えて来たものだとしたら、やはり、
なにくそ負けるもんか根性であろうか。
 その都度みんなで助け合い、励まし合い、纏まって来て、
なにくそ根性で乗り越えて来たはずだ。
 しかし今回は何故か海外の優しい言葉が励みになる。
ネットのお陰であろうか、有難い事です。

3/18 ネットに上がっている地震状況やライブ配信を観ているが、
地震による倒壊ではなく、津波による惨状がほとんどのようだ。
凄まじい津波の勢いは、あれが日本にやって来る津波の本性であろう。
 3階の建物も、そこに漂流物が溜まると津波はやすやすと乗り越え、
建物を飲み込んでしまうように思えた。
 今回は揺れが永かっただけに津波の質量が豊富になり、
たとえ2mの津波であってもその連続性が永ければ、被害が倍増するようだ。
 被害地や避難所にとっては雪が降る厳しい条件であったが、
福島原発では恵みの冷え込みであっただろうか。
 津波でてんてこ舞いのその津波の僅かばかりの水の適材適所に苦慮していて、
歯痒いやら、悲しいやら、ネットから見守っています。             草々

 その 718 NHK行 2011年3月26日
前略 3/19 本当の被災地の現状 
今回の震災が現実に起きていることであり、恐さと恐ろしさを肌で感じています。
隣県の福島県、岩手県も同じ状況と察します。

テレビでは物資が届き始めたと伝えてますが、テレビで放送していない、
放送できてない避難所には実はほとんど届いていない状況です。
いま被災地では切羽詰まった状態が何日も続いています。
家もなくなり、服も代えられず、水も食料もなく、電気もガスも移動手段もありません。
東北の玄関口である、仙台空港も仙台駅も多大な損害を受けています。

そんななか、私がいちばん伝えたいのは、テレビでは放送しない地区の現状です。
南三陸町歌津地区、塩釜地区、七ヶ浜地区、多賀城地区など、
私たちのすぐ隣町でも大惨事は起きているということです。

食料の取り合いでの喧嘩などはしょっちゅうで、
誰もいなくなったスーパーやコンビニ、家屋のガラスを割っての強盗、
個人救援物資車輌を襲う強奪、もっと酷いのは、
女性や子供、お年寄りの食べている少ない食事を奪うものもいます。
流れてきた魚や、落ちてる物を食べてる人もいます。


本当に酷い状況です。 この惨事のなかだからと悲観などしていられません。
元気な私たち、動ける私たちが、仲間と共に、助けを求めている人たちになにかできないかと、
救援物資を届けることを決め役割分担をしながら動いています。2011-03-17 17:02:59

余談 現在流言注意の記事も。 衣食足りて礼節を知る か。
                        
 民主党があまりに機能しないので、自民党と財界が独自に活動をはじめました。  
青森県知事曰く、「なんど政府に生き残った青森港を使って救援してくれと言って  
も動いてくれないので、自民党に連絡したら船が着始めた」そうです。  
陸路からの物資輸送も財界と自民党と首長の連合軍で頑張っているようです。  
   
 青森港に海路運び、南下始めます。  
被災地向けのタンクローリーは緊急車両の許可証がすぐ出るようになりました。  
各県と経団連のホットラインを立ち上げ、官邸を通さずに直接要望が産業界に入り、  
対応できるようになりました。 2011/03/17(木)

余談 室蘭にも苫小牧にも石油タンクがあるし、近くの勇払に備蓄タンクもある。 草々

 その 719 NHK行 2011年4月2日
前略 3/28 余りに犠牲者が多過ぎて言葉も出ない。
揺れの特徴、何か機転があれば、と思うと悔やまれる。
それにもまして今回の津波は凄すぎる。

 子供の頃に一通り、体験している事がある。
停電を経験している、
断水で喉の渇きも経験している。
水の欲しさは空腹とは違う、独特の辛さがある。
迷子になった孤独も経験している。

野に放たれたような子供時代であったから、
あらゆる体験をしている。

 それらが生きて行く為の適量の試練であったのか、
今でも忘れずに記憶に残っている。

今回の地震は千年に一度の記録になってしまった。

3/30 東日本大震災。
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 東北地方太平洋沖地震復興支援

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 クリックするだけで10円募金されます。
ニックネームとメッセージが、とっさに思いつかない場合は、
私から あなたへ、僕から 君へ
で、十分です。                       草々

 その 720 NHK行 2011年4月9日
 2011統一地方選

4月10日 前半戦。

明日は全国的に晴れ、
申し分のない選挙日和。

投票に出掛けて、
弾みをつけたいところです。


投票率ぐーんとアップさせて、
国民が引っ張って行きましょう。

 その 721 NHK行 2011年4月16日
前略 3/23 たった今 (2時頃)、ピンポーンが鳴ってNHKの訪問のようであった。
どったらこったらで、テレビが無いし、解約している事を告げると、
 設備が無いという事で了解しました と言って帰っていった。
珍しいですね、不正取締りのような訪問は。
 話は変わりますが、日航再建で頑張っているようですが、現在、
層化が何人残っているのか?
 NHK教えてくれろ。
早々に社員にボーナスの話が出ていましたが、三つも四つも組合がある中で、
一万人も層化が、入り込めたのは何故か?
 NHK教えてくれろ。

3/31 >その 658 
>現在日航再建が話題になっているが、なんと層化信者が一万人近く居たようである。
>そういえば親類の層化母の娘が中国の航空会社に行っていたが、あぶれたか。

 みなさん、笑わずに聞いて下さい。
又聞きであるが、
その層化娘が、中国から戻って、日航の地上勤務に就いているようである。
しかもまさに日航再建で、
グループから1万6000人規模の人員削減真っ最中の時期にである。
笑う人はいませんね。 まったく、どうなっているのか。

4/ 7 ちなみに、私の父方にも母方にも層化信者はいません。
そのご両親の反対を押し切っての押しかけ層化女房です。
 公明が自民と連立を組んだ時の言い草が印象的である。
自民のスピードに対して逆噴射をかける、と。
 違ったかな? ブレーキ役を努めるだったかな。
今となっては同じようなものです。
国民のみなさん、ブレーキ役は我々しかいませんよ。
                    ◆
 最近、民主の取って付けたようなアホっぽさが目立ちだしている。
それに伴う時期政権、公明の磐石さの印象付けが狙いとも受け止めらぬでもない。
層化はそういう組織である。                             草々

 その 722 NHK行 2011年4月23日
前略 4/19 一昨日、バッキャモンが 60% と囁いていた。
何の事か分からないが、日航層化残留であるなら、もしかしたら、
制御不能、乗っ取られているのではないか?

 海外ではカルト扱いの国もあり、層化は国外に出せるような組織ではない。
恫喝に屈しているのなら、そのように国民に説明しなければいけない。
 前にも書いたように 改革草案 (その 591) を生かさなければいけない。
まず、日航反層化社員は連携して休む。
管制塔は拒否し続ける。
国内・海外の飛行場を貸さない。
層化対策による完全ゼネストである。
そして速やかに退場してもらう。


 公的な機関などは層化に対して、そういう切り札を持っていなければ、
バッキャモンと共生している層化とは対応できない。
その為には情報による国民の理解、協力が必要である。

 推測であるが、層化は早くから米大統領との会見を要望していたようだが、
アメリカはその都度曖昧な返事をしていたようだ。
賢明な処置であるが、当たり前と言えば当たり前なのだ。
 それで腹を立てたバッキャモンが、石油決済のちょっかいを出した。
アメリカの怒り様はその後の経過を見れば分かるとおり。
層化のズッコケはこのあたりから顕著である。

 昨年、層化が三菱銀行から二千だか三千億だかの預金を下ろした、
という書き込みを何度か見かけた。
それが昨今の米中会談で、中国を経由して飛行機200機の受注に流れているのではないか。
もちろん、日航私物化を見て見ない振りをして下さい料である。

 例の層化女房には身障者の弟が居てコテコテの層化信者である。
仕事を止めてはぶらぶらしていて困り者であったらしい。
 さて層化女房との間に長男が生まれて、現在は社会人であるが、
これが父親とはまったく似ても似つかない。
長男であるのに顎が非常に細く、層化女房の弟にそっくりなのである。
 私は乗っ取りと勘ぐっているが、機会があれば聞いてみたいものだ。         草々

 その 723 NHK行 2011年4月30日
前略 4/14 4月になってから外に出掛けていて、今日はぐるっと回って来た。
昨年5月の井の頭公園へ行って来た時みたいに疲れてあとは寝るだけ。
 文京区まで自転車を走らせ、小石川植物園、そして小石川後楽園へ行き、
外堀をぐるっと廻って途中、靖国神社へ寄って帰って来た。
実質2時間以上は自転車を漕いでいた。
 薄っすら日焼けもしてビタミンDを摂取したので寝る。 後で詳しく。
音楽業界は何をぐずぐずしている、ビタミンが足りんぞ。

4/19 4月15日 和田掘り公園
桜も咲くに任せての慌しい時期だっただけに、開花の状況も上の空で、
散る頃になって思い出し、お握り持参で近くの公園に出掛けてみた。
一年ごとに春の感触は違うようです。
 桜も散り始め、他の緑の葉に仲間入りし始めている。
花びらをお握りのように脹らました花々も緑に変えて、
小鳥達の止まり木に道を開けたようにも見える。
 薄い緑、更に薄い緑、濃い緑、更に濃い緑、それらが更に奥に連なっていて、
いつの間にか春の条件を育んでいたようだ。
 珍しく紙のノートを持ち出して公園内に来ているが、
今日は曇り空で少し風が強く落ち葉が舞う。
 ちょうど大きな桜の樹の下のベンチに座っているから、
花びらやら花弁やらが風にも誘われず落ちて来る。
 しかしてその見上げる桜の樹の幹というのは、どちらに向かい伸びようとしているのか、
分からないような伸び方をしているが、ともあれ一律に広がりを見せ枝を広げている。
 真下から見上げる桜は、それなりに均等に鏤められて、黒い枝ぶりに色を添え、
花びらよりまだ薄い曇り空が広がっていて、空が咲いているようだ。
と、ここまで紙のノートは書かれている。
 そのベンチでお握りを食べ、お茶をすすり、リンゴをシャリシャリ食べ、コーヒーを飲み、
タバコをプカプカふかし、春のひと時を過ごした。                    草々

ペーパーキャット 松づくり その 724 NHK行 2011年5月7日
災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声なぜ政府は現場が活動しやすいように手を打たないのか
2011.04.14(Thu)  藤井 源太郎

美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。ただただ、被災者
の安心と被災地の復興のために必要な装備と、活動に対するご理解をいだたきたくて、国民の皆様
にお伝え致します。


1.被災地の実情

 多くの被災者は、想像を絶する悲しみや心身の苦痛を伴いながらもなお、冷静さを保って不自由
な生活に辛抱されておられます。

 しかしながら、被災地の現実は、きれいごとや美談ばかりではありません。
 被災地では、地震および津波発生以来、避難者の自宅への不法侵入による窃盗や、ドラッグスト
アやスーパーからの商品窃盗、銀行その他のATMや金庫の破壊および盗難、車両の給油口をバールで
こじ開けてのガソリン窃盗なども発生しています。

被災者に生活物資を法外な値段で売りつける輩
 また、地元住民ではない人たちが自警団の目や警察の巡回をかいくぐって窃盗行為を行ったり、
東京ナンバーの車両が、避難所周辺でロウソクやガスコンロ・ボンベなどの生活物資を法外な値段
で売るような人もいます。

 捜索活動中に、バールなどでこじ開けられた金庫の残骸が多数発見されています。被災地では、
マグロやサバ、特にイカの腐敗臭が非常に強くなっています。ご遺体の腐臭もあります。

 1カ月を経過して、今後ますます腐敗臭は強くなります。それは、自衛官の心身のストレスを高め
、疲労させます。そして、泥は乾き、ご遺体の捜索、収容作業がますます困難になっています。

 津波の影響で、泥の上にがれきがあったのですが、がれきを撤去しても、その下の泥が日を追う
ごとに乾いて、ご遺体を隠してしまっているからです。

 一方、沿岸部では、海上自衛隊の掃海隊群が中心となって、ご遺体の捜索が行われています。そ
の主体は、海の中で発見された不発弾や機雷等爆発物の水中処分(Explosive Ordnance Disposal
:EOD) を任務とする水中処分員です。
少し力をかけただけでボロボロになる遺体
 こちらも、津波で流された木片や浮遊物といった障害物を除去しながら、捜索しています。特に
、3週から5週目の間に、多くのご遺体は海中で膨張するため浮き上がってきます。そのため、地引
き網より編み目の細い網で、慎重に収容します。

 少しのテンションでもぼろぼろになるので、丁寧に、丁寧に、棺やご遺体袋へ納めます。
 車から脱出できなかったご遺体や自宅ごと流され家から出られなかったご遺体は、なかなか浮上
しませんので、極めて困難な収容作業となっています。

 しかし、このEOD員も、自民党時代から続く連年の人員削減、すなわち部隊の近代化、集約化と称
する削減により、隊員数が少ないのです。

 横須賀、呉、佐世保にわずか4個隊(30隻)しかおらず、掃海隊が交代でことに当たっているもの
の、連日数度の捜索により隊員個々の疲労が蓄積しています。

 それでもなお、「我々は艦艇に戻れば温食、お風呂がある。現地で冷たい食事して、毛布にくる
まって寝ている陸・空自の方が大変だ」という他部隊を労(いたわ)る言葉を発してくれます。

 いずれも梅雨が始まり作業が困難になってしまう6月までが勝負と、日々全力で作業に当たってい
ます。




2.相変わらずの装備品不足

 泥濘(ぬかるみ)や水位の高い場所で作業する場合、防水ツナギ(胴付き長靴)を履いて行うの
ですが、このツナギの靴部分は軽易なゴム製になっており、非常にタイトなため半長靴を履いたま
までは履けません。

 そのため、半長靴なしで胴付き長靴を履きます。その結果、がれきが散乱している現場では、釘
などが長靴のゴムを貫通して足裏に刺さるという負傷事故が多数発生しています。
ケガをしても抗生物質がない!

遺体を捜す自衛隊員〔AFPBB News〕
 なお、その胴付き長靴すら需品在庫が少ないため、民間から買い上げています。加えて、現場に
随行している衛生班には抗生物質が不足しており、十分な衛生が行えておりません。

 原子力災害用では、ヨウ化カリウム剤が不足しています。陸自の福島駐屯地や空自の百里基地に
集積されているものの、原子力災害派遣部隊は各部隊1000錠ずつ用意して派遣隊員に持たせること
になっています。

 しかし、部隊ごとに製薬会社と調整するため交渉が難航しており、いまだ購入に至っておりませ
ん。今後、福島第一原発付近でのご遺体捜索や、がれき等の除去作業を行ううえで、薬剤の不足が
予見されます。

 防衛大臣は、中期防衛力整備計画において約1000億円の予備費(安全保障会議の承認を得て支出
し得る予備的経費)を持っています。

 その予備費を、今こそ現場が渇望している最低限の装備や薬剤などの購入費として活用すること
はできないものでしょうか。

私物の携帯電話で連絡を取り合う隊員たち
 自衛隊の行動は編制単位部隊(いわゆる○○中隊や○○隊)毎で行われます。その下に、小隊や
分隊、班があります。被災地で活動する場合、中隊長や隊長の指揮の下、小隊に別れて作業を行い
ます。

 部隊間の連絡は野外通信用の携帯無線機を使用するのですが、小隊に1台、分隊にはなしというの
が当たり前になっています。

 小隊以下はどのように連絡を取っていると思いますか?
 それは隊員の私物携帯(通信料ももちろん隊員負担)です。電波が通らない所では、伝令を走ら
せるか大声で呼ぶのです。
肝心の携帯無線機の周波数帯も、警察、消防、国交省が良いところを押さえているため、防衛省の
割り当て区域は、伝播(でんぱ)能力の低い周波数帯です。ちょっとした障害物で電波が届かない
とか、この位置から少しずれると電波が入らないということが多いのです。

懐中電灯も自衛隊員の私物

擦り切れた自衛隊員の手袋〔AFPBB News〕
 こういった非常事態の場合においては、実際の活動状況を踏まえたうえで、伝播能力の高い周波
数帯の割り当てを再検討して頂きたいです。

 東北の夜は早く、夕方になると暗くなります。その際、懐中電灯やヘッドライトを使用しますが
、これもほとんど隊員の私物です。

 官品は、懐中電灯で約30人の小隊で5個程度、ヘッドライトの支給はなし。LEDライトは、100人以
上いる各中隊で5個程度。私物用の電池も、隊員が自腹で購入しており、官品補給はありません。

 海上自衛隊や米海軍のほか、民間船による海上輸送も始まりましたが、荷揚げ作業に用いる施設
器材が不足しています。

 また、被災地では、がれきと車両などの除去を行っていますが、がれき除去の進捗に比べ、車両
などの除去が圧倒的に捗っておりません。陸海空自の築城施設器材を動員して作業に当たっていま
すが、不足しているからです。
民間の建設機械を貸与してほしい
 クレーンを例に取ると、施設部隊や後方支援部隊に、トラック・クレーン、重装輪回収車、簡易
クレーン付き3.5トントラックなどがあります。

 しかし、簡易クレーンは軽量物しか運べませんし、重装輪回収車は重量物を持ち上げられてもそ
の速度は極めて遅いので、やはりトラック・クレーンが適しているのですが、台数がそんなにあり
ません。

 自衛官は大型自動車、トラック・クレーン、玉かけ、フォークリフトなどの免許を持っている隊
員が多数おります。

 現場に必要な築城建設器材を、民間から借り上げてでも用意して頂ければ、被災地の方々へ迅速
に救援物資を運ぶことができます。

 政府にあっては、是非、防衛省を超えた施設器材等の管理換えを英断して頂きたいです。3.5トン
トラックも不足しており、現場では高機動車を使用しています。

自衛隊に災害救助の予算はほとんどない
災害派遣された自衛隊の車両〔AFPBB News〕
 しかしこの高機動車も問題です。トヨタ自動車が開発した650万円の車両なのですが、雨天時には
メーター類や器材をビニールシートで覆って走行しなければなりません。

 また、頼みのランフラットタイヤもがれきでパンクしやすく、パンクすればわずか40キロ程しか
走行できません。

 原子力災害やテロ対策は、空港、港湾警備と同じで、防衛省ではなく、警察の所掌業務であり、
警察に予算がついています。

 放射線や放射性物質災害やテロ対策についても、警察と消防に予算がついており、防衛省には

CBRNテロ対策名目で、主に生物、化学兵器対策でしか予算はついていません。

 そのため、放射線防護服や除染車、無人機などの装備は、警察、消防の方が充実しているのです。
放射線防護服も絶対的に不足

 自衛隊の化学防護衣は、化学部隊を除いて、陸自では100人当たり10着程度しか配分されていませ
んし、海空自についても航空機救難(航空機事故)や基地警備に当たる隊員用にわずかしかありま
せん。

 自衛隊の大型消防車は、消防庁と違い、基地、空港内だけの運用で長距離走行を意図していませ
んし、20年選手が多く老朽化しているため、フェリー輸送する際船着き場へ着くまでに故障してい
ます。

 自衛隊は戦う組織だから、自衛隊の方が何だか良い装備を持っていると思うのは、幻想にしか過
ぎません。

 隊員は、使命感を持って任務の完遂に取り組んでいますが、政府にあっては、現場の隊員個人の
努力に頼りすぎず、長期化を見越して現場に必要なものを用意して頂きたいです。




3.10万人体制に問題あり

 極東情勢が緊張している今、国防が「主たる任務」でありながら、「従たる任務」である災害派
遣に10万人体制で取り組むことが真に妥当であるか、この疑問は前回皆さまにお伝えいたしました。

 震災後、ロシアや中国は我が国の防衛体制に穴がないか、たびたび確認に来ています。誤解がな
いように強調したいのですが、10万人すべてが現地へ行っているというわけではありません。被災
地にいて実働している人員は陸海空すべてで3万人程度です。

 そのほか、各基地、各駐屯地、市ヶ谷などを含む指揮所、指揮通信システム維持、空輸、陸送、
海上輸送、補給要員などを全て含めての10万人体制です。

 戦力投射能力(パワー・プロジェクション・アビリティー)という観点から見ると、災害派遣、
原子力災害派遣において早々に10万人体制を確立したことは、他国からの高い評価からも分かる通
り、それ自体が抑止力になっています。
10万人体制の結果、交代部隊が確保できない
陸前高田市で行方不明者を捜索する自衛隊員〔AFPBB News〕
 ですが、10万人体制の問題は、2つあります。まず交代部隊がほとんど確保できないという点です。

 今、3週間現地勤務して、1週間原隊(げんたい)復帰(休暇)、その後また3週間勤務・・・と、
同一部隊、同一隊員が行っています。

 警察や消防は、約1週間ごとに交代していますが、自衛隊では10万人体制維持のため、交代要員が
確保しづらい状態になっています。

 これから、今まで以上に酷い光景を見て、匂いを嗅ぐことになります。

 1次派遣中に陸上自衛隊でも死者が出ました。災害派遣中に大量のご遺体を見て、いたたまれなく

なっての自殺です。殉職と言ってもいいでしょう。また、50代陸曹長が病死しました。こちらも、

殉職と言えます。

陸路で東北と九州を何度も往復する自衛隊員
 同様に、薬の欠かせない持病があるにもかかわらず、災害派遣に押っ取り刀で派遣されたため、

薬がなく体調を崩す隊員が出る危険性もあります。

 2番目に、輸送機や輸送トラックが不足しています。空自の輸送機の多くが老朽化し退役しつつあ
るため、空中給油機なども使用しているのですが、それでも機体が足りません。トラックに関して
も、物資とともに隊員も輸送しているため、絶対数が足りません。

 このような状況でも、民航機や民間鉄道を使用させてもらえません(空自の場合、空輸困難な場
合に限り一部鉄道利用可能)。

 例えば、宮城県に展開している陸自は西方総監隷下が多いのですが、2日かけてトラックや高機動
車で九州の原隊に戻り、6日ほど休んで、また2日かけて陸路被災地へ向かっています。運転する隊
員も、作業に当たっています。

 このあたり、10万人体制を政治力で敷いたのですから、予算どうこうではなく、輸送、補給とい
った、民間力を活用できる点についても政治力を発揮して頂きたいです。




4.装備品は能力に適した使い方を(74式戦車と無人機の例)

陸上自衛隊の74式戦車(ウィキペディア) 装備品は、能力(性能)に合わない使い方(運用)を
しようとすると、現場は混乱し、遊兵(ゆうへい)ができてしまいます。

 提案なのですが、74式戦車は、原発敷地内のがれき除去では無く、投光器(サーチライト)とし
て使用した方が効果的だと思います。

 74式戦車は、砲塔横に脱着可能なアクティブ(自ら発する)式赤外線/白色光投光器が付いてい
ます。

 この投光器は、戦車主砲の横に装着するもので、夜間戦闘を可能にするための装置なのですが、
白色光線を出すことも可能で、その性能は3000メートル先でも新聞がはっきり読める明るさです。

 このアクティブ式赤外線/白色投光器装着の74式戦車は、1991年2月の長崎県雲仙普賢岳再噴火お
よび溶岩ドーム形成の際は待機のみでしたが、2011年1月の鹿児島県新燃岳(しんもえだけ)噴火の
際には、火山活動調査のため、投光器で噴火口を照射しています。
喧伝されたブルドーザーには向かない74式戦車
 同じく鹿児島県桜島についても、投光器で噴火口を照射しています。

 2011年3月21日(月)早朝、74式戦車2両がJヴィレッジに到着しましたが、そのまま待機し続けて
おり、使われておりません。

 ニュースでは、「原発所内がれき除去のため、74式戦車を投入。74式戦車は、放射線や放射性物
質への防護能力が高く、ブルドーザーとして使える」と盛んに解説されていました。

 74式戦車の放射線および放射性物質への防護能力とは、以下の3点のことであって、対核兵器戦闘
ができるということではありません。

 1に、装甲が厚い。2に、水上走行のために完全気密の作りになっている。3に、車内への空気取り
入れ口に活性炭フィルターを装着している。

 カタログデータ上はそうなのですが、装甲が厚いのは一部のみ。老朽化やサビ等により気密性は

損なわれています。活性炭では放射性物質を完全に除去できません。また、ブルドーザーとしての

能力はほとんどありません。

強力なサーチライトを生かすべし

米軍の無人偵察機「グローバル・ホーク」〔AFPBB News〕
 今回投入された74式戦車は、「ドーザーアタッチメント」を装着しています。これは、上下可動
式であり、戦車自身が隠れる掩体壕を掘り、盛り土するためのものです。走行時に、小さながれき
を除去することも、一応可能ではあります。

 しかし、大きな配管や電柱などを除去することはできませんし、横方向などの複雑な動きはでき
ません。

 また、臨時の電源や通信回線が地面上に敷かれているため、それらを断線する危険性もあること
から、視界が得られない74式戦車の出番は、恐らくないでしょう。

 それよりもむしろ、窃盗や不法領得が横行しており、電気も通っていない被災地に戦車を各所に
配置して、白色光投光器による夜間照明を行った方が、治安の維持に活用できると思います。

 米空軍は、高々度無人偵察機RQ-4Bグローバル・ホーク2機を投入。米陸、海軍は小型垂直離着陸
無人偵察機RQ-16タランチュラ・ホークを投入しています。
米軍に頼らず自前の情報収集力を
 平成23年度予算で高々度滞空無人機の調査費が計上され、ノースロップ・グラマン社が熱心に売
り込んでいるRQ-4Bから、福島第一原発の凄惨な映像データがもたらされました。

 一方、陸自には、民間でも農薬散布実績のある富士重工業製の遠隔操縦観測システム(FFOS)や
イラク復興支援での運用実績のあるヤマハ製無人ヘリコプターシステムが、方面特科隊(昔の砲兵
、りゅう弾砲や対艦ミサイルなどを保有)等の観測用として配備されており、すぐに使えます。

 これらの無人機システムを、原発所内や被災地で運用すべきだと思います。我が国における大震
災、原子力災害にもかかわらず、同盟国から情報を得ている現状は、やはり問題だと思います。

 それに、「トモダチ作戦」の費用は半分以上が我が国負担になるため、真に必要な点以外で依存
しすぎるのは良くありません。

 米軍並みの高精度ではないとはいえ、我が国自身の手で、無人機を運用し情報を得て、爾後の対
策に活用することは重要なことだと思います。

 また、被災地での無人機巡回は、74式戦車の投光器とともに、横行している窃盗等の不法行為へ
の抑止力になると思います。




5.隊員の生活例

 5時起床、18時捜索終了、作戦会議やミーティングなどで23時頃就寝。物資輸送については、交代
制で夜間も行っています。4日に1度の入浴(片道3時間)。多くの場合、洗濯は入浴を早めに切り上
げて行います。

 食事は、ほとんど1日2食です。当初は乾パンばかりだったのが、除々に冷たい缶飯になり、たま
に温食が出ます。週に1度の休日は、入浴とほとんど疲れて眠るだけ。

 国家、国民の一大事に派遣される時、最初、士気は高いものです。しかし士気は弓矢と一緒で、
最初は勢いよく放たれますが、弓なりに失速するものです。

 士気も日を追うごとに、見たくないものを見て、嗅ぎたくない匂いを嗅いでいると衰えていきま
す。

 そんな士気が衰えてきた時に、隊員を奮い立たせるのは、堅確な意志を体現した指揮官の姿であ
り、熱誠を込めた言葉なのです。堅確な意志と熱誠を込めた言葉によって、衰えた士気は振作され
ます。

 我々自衛官は、国民の皆様から感謝されればもちろん嬉しく思います。ですが、そのためにやっ
ているのではありません。
現場で活動する自衛官のためにお願いしたいこと
 自衛官は国民の生命と財産を守ることが任務であり、使命であり、当たり前のことなのです。ま
た、こういう文章を書く理由は、感謝してほしいのではなく、理解して、活動を支援して頂きたい
からです。

 今回の自衛隊災害活動においてさえ、マスコミには心ない発言をしたり、作業をしている隊員に
心ない発言を浴びせる方がおります。

 また、周波数割り当てや装備品等、他省庁で持っているものを貸与して頂くといった支援が必要
なことを理解して、その気運を高めて頂きたいのです。

 そして、疲労を忘れさせ、士気を奮い立たせる、隊員の心に響く指揮官の意志と態度が必要なの
です。隊員の士気を維持し続けているのは、次のような某中隊長の言葉なのです。

 「被災者や行方不明家族のおられる方々が、固唾をのんで見守る中での作業は辛いものがある。
しかし、崇高な使命を達成できるのは我々しかいない」
 「現地での作業で見せた諸官の行動は間違っていない。何かあれば、私が責任を取るから、存分
に作業に当たってほしい」

 「避難所などで被災者が心身疲労しており、真に必要な救援物資の到着を待っている。被災者に
会ったら、何が必要か、何が不足しているか、どうしてほしいか、少しでも情報を取ってこい。た
だで帰ってくるな」



災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5869

千年に一度の震災で、犠牲者の数を抑える事は出来なかったが、
その後の復興、近代国家として挽回する事は出来るはず。
頑張りましょう。

海外のみなさん、ありがとう。

 その 725 NHK行 2011年5月14日
前略 5/ 6 冬が重すぎて沈んでいたのか、はたまた重い鎧がそれを塞いでいたのか、
桜の咲く頃に一つ大きな伸びをしてみたら、随分と体が軽くなったように感じた。
 知らず知らずに折り重なっていた冬の観念はもうとうに氷解し、桜の花びらの散る無音の朗読に、
そっと佇みをみせよう。
苔生し男は我と我が身を春にさらけ出した。 と、何時もの前振りを掲げ、出没詳細。
04-10 新宿御苑
04-13 中野区 平和公園 哲学堂公園
04-14 小石川植物園 小石川後楽園 外堀 靖国神社
04-15 和田掘り公園


04-10 新宿御苑
 御苑の芝生でごろんとなって一時過ごそうと思っていたが、風の強い日が続き、
結局日曜日になってしまったので、物凄い人出であった。
臨時の門を開けても捌ききれず、私が帰る時にも更に長い列を作っていた。
御苑は行楽客で埋め尽くされていたが、それでも桜は少しも引けを取らない、
見事な満開であった。
 明治9年頃、日本で初めて植えられたという新宿御苑内で一番高いユリノキを、
目指してぐるっと廻り、途中食事をして帰って来た。
この時期、ユリノキは枝が丸出しであるが、緑の葉をたたえた、
あるいは紅葉の時期のユリノキも見所かも。
三本の幹が寄り添って一まとめに空に伸びているので、スカイツリーのようだ。

04-13 中野区 平和公園 哲学堂公園
 自転車で30分で行ける、身近な公園。
哲学を連想させるモニュメントが鏤められていて、ユニークな公園である。

04-14 小石川植物園 小石川後楽園 外堀 靖国神社
 青梅街道から大久保通り・早稲田通りとバトンタッチして進むと、飯田橋の交差点に辿り着く、
そこをクランク状に暫く進み、千川通りの途中右手に小石川植物園がある。
ほぼ1時間、自転車を漕ぎっぱなしで、迷う事なく辿り着けて幸先が良かった。

 園内は高台と平地があるが、平地の道を真っ直ぐ進み、日本庭園のベンチで腰を下ろした。
ぽかぽか陽気と静けさとお握りの美味しさで、ここが一番落ち着いた。
やがて高台に登り、戻り道の途中に映画・赤ひげでお馴染みの旧養生所の井戸がある。
関東大震災の時は被災者の避難場所になり、この井戸が喉を潤したようである。

 その足で小石川後楽園を一回りして、見残していた外堀半分をゆっくり回り、
さて、靖国神社への道を踏みしめたが、何も考える事が出来ず、無心のまま参拝をすませた。
桜の開花状況の標本木がここにあり、桜づくしの一週間程であった。         草々

 その 726 NHK行 2011年5月21日
前略 NHKスペシャル『巨大津波 いのちをどう守るのか』 2011年5月7日

 番組では個人撮影の津波映像を織り交ぜ、それぞれ検証しているが、
釜石での逃げ遅れた母娘の状況も過酷であり、劇的である。
 こういう津波映像を一つ一つ冷静に観ているつもりだが、瞼が濡れてしょうがない。
避難した人が撮影しているが、さぁ津波見物も終わったから帰ろう、
としてもそこに帰る家が無いのである。
ネットで見ている我々とは違い、想像を絶する状況だったであろう。

 モルタル作りの古い家で、直ぐ前にビルが左右にあり、
その先に港が見えるが、条件は決して良い分けではないのに、
しかしよく押し波・引き波に耐えたものだ。
 瓦礫の直撃が少なかったのか、入り口・2階窓が広くて勢いを逃がしたのか、
防波堤もそうだが、釜石港の沖合いに尾崎半島が広がっていて、
その影響が少なからずあったのか、
地図で見ると以外と建物が残っていて、それでもよく耐えたものだと関心する。

 津波はいよいよ勢いを増し、7mの高さの2階屋上にまで達して、
母娘は屋上階段の塔屋にしがみ付く絶体絶命の状態。
 とうに海面の只中と化している釜石市内の状況をビデオは映し出しているが、
ここで娘のさえ子さんは機転を利かせ体の力を抜いてみたという。
塔屋の高さに、後方が瓦屋根になっていて、たまりの状態で流れが緩い。
 縄梯子を登ってみた人なら分かると思うが、って、登った人は滅多にいないでしょうが、
めちゃくちゃ力が入ってしまい、登りきるまでにはくたくたになってしまう、
そんな状態から、ようするに余計な力を抜いてみたのだと思う。

 津波はなみなみと湛え、まさに塔屋と瓦屋根の上が僅かに残るだけの息も出来ない程の状態。
そこで体を揺り起こし海面から体を乗り出した劇的な瞬間をビデオはとらえていた。
こういう編集はNHKならではである。
 水に浮かした状態から瓦屋根に上がり、更に母親を引き上げ、蘇生させてと、
信じられないような展開で、高台の避難道からは頑張れの声が掛けられていたようだ。
さえ子さ〜〜〜ん よくやった〜〜〜っ あっぱれ〜〜〜 これは私。

 しかしまだ押し波か引き波かも分からない予断を許さない中で、同じ頃、
車で避難の菊池さんは津波に飲み込まれ、袋小路に瓦礫と共に流れ着いた。
 条件が瞬時に変わる中で迷う事なく高きへ高きへ移動したのだろう。
こちらもあっぱれ。
観終わった後、瞼が濡れたかは忘れたが、湧き上がるような感動は覚えた。 草々

 その 727 NHK行 2011年5月28日
前略 国旗掲揚・国歌斉唱に反対教師。
 何とも気難しい事をやり出す先生もいるものだ。
左傾化した教師だろうか、しかし社会主義国や共産国でこれをやると、
うん?何か言ったかぁ」になり、矛盾していないだろうか。

 昔、卒業式の日に売れ残りの女教師が、「また、一年が過ぎてしまったぁ
と、嘆いていたそうであるが、根っこにあるのはそんなところか。

 私に関しては中学の時、一年に一度は国歌斉唱があったように思う。
普段とは違うので、より重要なのだなと認識したものである。

 月曜日、朝の朝礼では生活指導の先生が壇上で語り出し、
服装の乱れがないように、上履きをきちっと履くように」と言い、
横に並んでいた新任の若い先生が慌ててかかとの折れを直していた。
つまり上履きのかかとを潰してスリッパがわりにしてい分けだ。
つまらない朝礼にもこういう側面があるのかと、面白がって眺めていたものだ。

 私が卒業式を思い出して不思議な感覚に囚われるのは、まず99%の卒業生とは、
あの日あの時以来、会う機会がなく、つまり今生の別れでもあるという事だ。
この歳になって思い出されるのは、あの頃の子供のままの彼等彼女等であり、
そしてそのままの思い出に終始するのではないか。
 そんな人生において、もっとも重要な生徒達の式典で国旗掲揚され国歌斉唱されて、
見送ってくれた事に尊さを感じる。
100%卒業生の式典であり、教師の信条など入り込める余地など無いはずなのだ。

 その中学3年、卒業間近の放課後で先生と私も含む生徒3人で雑談をしていた。
私はもっぱら聞き役であるが、相変わらず先生風を吹かせるせいか、生徒の一人が、
先生、卒業式近いんだよー」と嘯いた。
一瞬、間があったが、「あぁそうだね」と先生は受け流した。
生徒の冗談も上手いが、先生の大人の対応も勉強になった。

 さて、であるから卒業式の時、国歌斉唱で起立しない教師がいたら、
○○先生、起立してくださーい」と叫ぶのもいい。
前列は遠慮しておいて三列目あたりからがいい。

 それでも踏ん反り返っているようならば、2・30人出て来て、教師を取り囲み、胴上げをしながら運び、
塾の講師にでもなってくださーい」と言ってグラウンドに放り投げるといい。
何と過激な事を言い出すと思われるが、教師の方がよほど過激である。

いつまでも忘れられない懐かしい思い出になる事は請合う。   草々

 その 728 NHK行 2011年6月4日   

 2010 新ジャガ 1ケースめ全記録
10-11-15 07コ 色々なタレで試食
10-11-17 07コ 料理の材料
10-11-21 07コ
10-11-25 07コ
10-11-28 07コ
10-12-02 07コ
10-12-06 07コ
10-12-11 07コ
10-12-17 07コ
10-12-20 05コ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     68コ



昨年出来たジャガを昨年末から今年にかけて食べています。
今回はキタアカリを送るとか言っていたが、ジャガであった。

寒い冬はだるまストーブを囲み、燃料はコークスである。
そのストーブの一番下が引き出しになっていて、
燃えカスの灰が溜まっている。
その真ん中にジャガを埋めて回りの灰を被せる。

1時間もするとカサカサの焼きジャガが出来上がる。
そのほくほくの焼きジャガを食べるとうめーぞ。
 2010 新ジャガ 2ケースめ全記録
10-12-20 02コ 色々なタレで試食
10-12-27 07コ 料理の材料
11-01-03 07コ
11-01-09 07コ
11-01-13 07コ
11-01-19 07コ
11-01-25 07コ
11-02-02 07コ
11-02-06 07コ
11-02-14 07コ
11-02-24 04コ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     69コ


そのストーブにはいつも鉄瓶が載っていたが、
ごつごつしていて年季が入っていて重かった。

それが水漏れしだしてアルミのやかんに変わった。
途端に一騒動、不味くてお茶が飲めない。
子供の私にも解る程、お湯が不味かった。
それで新しい南部鉄瓶にしたが、
おいしさは戻らなかった。

あのおいしさの秘密は年季と、
かっかっと燃えるコークスと、
更に言えば室蘭の水のおいしさだったと思う。

 その 729 NHK行 2011年6月11日
前略 6/ 8 震災後に食料事情が悪くなったが、買い溜めなどもせずに、冷静に過ごしていた。
もっとも、たまにしか外に出ないので、その状況変化は余り分からないが。

 まず、煙草が思うように手に入らなくなってきた。
カートン買いが出来ずバラで購入して、仕舞いには自販機にそれを見つけ、
成人識別のタスポカードが無いばかりに大層苦労した。

 流石にバラでしか手に入らなくなってくると、戦中の配給制などを連想して、
こんなものなのだろうかと、空を見上げたりした。

 それはそうとめちゃくちゃ消毒臭い煙草にあたったりして、違和感を覚えたが、どこもてんてこ舞いで、
フル稼働なのは分かるがと思っていたら、銘柄を絞り込んでの販売になったようで、
であるから私の嗜好も抑えられ、ポピュラーな何時でも置いている1mgの銘柄に変えた。

 こんな時にこそ禁煙をしてみせるべきなのであるが、逆に手に入りにくいとなると、つい手が出てしまう。

 そうこうしている内にペットボトルの水が無くなったので買おうとしたが無い。
無いものは無いという具合に置いて無い。

 仕方が無いので、洗面所とキッチンの水道をじゃんじゃん出して、
冷やっとしてきた所で空のペットボトルに溜め置きをして間に合わせている。
いわば本管川の清らかな水、と思えば苦にもならないが、別に癖もなく水である。
私の舌っぺでは常温のペットボトルの水も水道の冷やっとした水も同じようである。

 こちらも暫くはケース買いが出来なかったが、現在は韓国の水が出回っているようである。
が、木を切り尽くし、禿山にした歴史のある国の水はどうも買い切れない。

 昨今は口蹄疫で家畜の殺処分の失敗により水道水から血が混ざっていたりという、
吃驚するようなネット記事を見っけたばかりであり、不安でしょうがない。
例によってテレビではスルーなのであろうか、売っても買わないし、貰っても飲まないし、
見つけても手に取らない状況である。

 水質汚染以上の不安があり、民主政府は何を考えているのか。
本管川の清らかな水、は暫く続きそうである。

 変化といえばこの頃は牛乳を飲みだしていて、しばし冷蔵庫に居座りそうである。
この間は岩手県産の米が安く売っていたので早速買ったりしていて、
三陸産の野菜・果物などは見つけたらなるべく買おうと思っている。          草々

 その 730 NHK行 2011年6月18日
前略 5/ 7 緊急事態。
 北海道にいる叔父が朝の車での通勤時、事故に巻き込まれたようである。
相手は盗んだ車での暴走のようである。
 腸が破れる程なので、相当の衝突だったようであり、現在、北大の病院に入院中、
4月27日の事である。
 詳しくは分からず、今月中旬に帰省の時にお見舞いに行く予定。

5/21 14日から帰省していたが、叔父はすでに8日の日に退院していたようだ。
当人は明日にも仕事に行きたいと言ってるようなので、快復に向かっているようである。
 断片的な情報なので、今のところそれしか分からず、見舞金を送って済ませたようである。
 新聞にも載ったようであるが、とにかく快復に向かっているようなので一安心。

6/16 5月の中旬に帰省していて、次の日の日曜日に友人とパークゴルフをやり、
月曜日からはお見舞いをとり止め、お袋と洞爺湖へ三泊の湯治に行って来た。

 今回のパークゴルフ場は、羊蹄山の北東に位置する京極まで車を走らせた。
順番を決めるクジ棒で一番が続いている怪現象の所為か、
友人も私も緊張が走っていたが、あっけなく私は4本線のラスト打ちであった。
何か憑き物が落ちたようでもあるが、地球という手の平で踊っているのだとしたら、
こんな事も有り、であろう。
前の日に雨が降ったのかコースが濡れていてコンディションは悪かった。

 お昼は近くのふきだし公園で久し振りのハンバーグライスを食べた。
雲の少ない青空が広がり羊蹄山は白い化粧をより際立たせていたが、
7年前の夏に、よく登ったものだと我ながら感心するやら恐れ多いやら。

 ここの「ふきだし湧水」と真狩の「羊蹄の湧き水」は水量が豊富で名所である。
羊蹄の湧き水では大きなポリタンクまで売っていて、更に車の乗り上げまで出来、
遠くから水汲みに来ていて旺盛である。
北海道の水はペットボトルに入れて東京まで持って帰っても苦にならない程、
おいしい水である。

 次の日から源泉の湯宿に泊まったが、湯の温度は48度である。
体を沈めるとみるみる肌が赤くなってきて、くーっとくる特級酒並みである。
今回も手違いで一泊してから湖畔沿いの本館に移動した。

 こちらの食事はバイキングだと心得ていたので、今回は色々な料理に手を出し、
何度も皿を持って席を立ち、口を動かし、せわしない食べ方をした。
最後のコーヒーで、やっと落ち着きを取り戻して人心地。

 遊覧船が赤字続きとかで温泉街は全体的に客足が、かなり厳しいようである。 草々

 その 731 NHK行 2011年6月25日
前略 6/21 <民主>退陣時期の早期表明要請へ 
「辞表」盾に首相説得 6月19日(日)2時32分配信
 民主党執行部は18日、特例公債法案の成立に向け、
菅直人首相に退陣時期を早期に表明するよう求める方針を固めた。
19日の政府・民主首脳会議で岡田氏らは、
退陣時期を表明するよう首相を説得する構えだ。

<政局>首相退陣、3条件で調整…政府・民主党 6月21日(火)2時
 政府・民主党は20日夜、菅直人首相と岡田克也幹事長ら幹部が、
首相公邸で約2時間にわたって協議し、首相の退陣時期について、
11年度第2次補正予算案と赤字国債を発行するための特例公債法案、
再生
可能エネルギー固定価格買い取り法案の成立後とする方向で最終調整に入った。

一方、野党側は退陣の条件として再生エネルギー法案成立まで含めることに反発し、
与野党の駆け引きが続いている。


 しかし民主党というのは大統領制と勘違いしているのではないのか、
いかに権限があるからといっても、あの思いつき発言ではお粗末すぎであろう。
再編して 改める という事が未だ出来ないでいる。
パフォーマンスの一端なのであろうか、求心力の無さは誰が見ても明らかである。

 ODAを受けている途上国が、その出資国の一等地を買い取る、
という事を認めていたのでは、内外に示しがつかないのではないか。
遠慮を知らない国ならば、その遠慮をまず強調すべきであろう。

 GDPで日本を抜いて、アジアの一人として喜ばしい事ではあるが、
テレビの宣伝や専門家の意見とは違い、一般人としては、
やはりその国の低所得者層の幸福度が一番気になり重要である。

 ちょっと極端ではあるが、今回の震災による台湾の方々の義捐金の多さは、
遠慮したい程有難くて、評価ががらりと変わったのではないだろうか。
内政がしっかりとした事をやっていれば、最下層にまで伝わり、
それが、形として昇華して、国境を越えて人々を惹きつける事にもなる。
犠牲になった方々にもう一つ、ご報告出来るのではないだろうか。

 菅直人総理 安倍晋三にシンガンスとの関係を指摘され逆ギレ!
という動画がある。 敬称略失礼。

 2005年9月のNHK討論会での一幕であるが、前後の経緯は検索で見つけて下さい。

 何か無性に管氏は安倍氏に絡んでいるが、どちらも知名度の高いお二方であり、
菅氏の腹に一物があったとして、安倍氏がそれで指摘したのだとしたら、
多分そうであろうが、もしそうだったとしたら、あれはまさに、
半島人そのものの顔である。

 国民との間に修復不可能な溝を作らないように、早期退陣を勧める一人である。 草々

201年〜

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