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2007年〜

 その 498 NHK行 2007年1月6日

  そこはかとなく 春の吉例が高みから低きから
 一礼の挨拶に至
 今この時をもって 心の準備は お見合いの様相
 蕾の一つ一つが名前を語る
 つつみなく 滞りなく 桜待顔

  あなたは幾つ? 私は一つ
 薄紅に唇赤く 私は春を愛するものなり

 いざ生きめやも   散りぬる  を   ん

 その 499 NHK行 2007年1月13日
前略 2006/12/18 NHK受信料解約宣言。
 テレビは三年前に壊れ、ビデオキャプチャーの調子も悪く、ここにきて映像もカクカクにして、
観るに耐えず、このまま受信料を払い続けるに忍びなく、
いわんや、貴協会もまた、受信料の重さに耐え切れず、乱れに乱れている様子、
ここは一つ、少しでも軽減させるべく、愛の安普請、
受信料解約の申し立てとあいなったのであるが、ここで一つお願いの儀が、ござ候。
  三年前に遡っての受信料の超過料金の返還は、あるか、ないか うん?
  引越しで住所が変わっているが、出るか 出ないか うん?
  電気、ガス、水道を節約している身であるが、とおるか とおらないか うん?
12/25 先程午前中、中野、青梅街道近くの千円カットパーマに行ってきた。
座って店の週刊誌を開いた途端に、中から若い男の店員が出てきて、
すぐにカットしてもらえた、が、バリカンが終始、危なっかしくて痛かった。
家に帰って、一番痛かったところをチリ紙を当ててみたら、少し爪跡のような線で血が付いていた。
  座って週刊誌を開いたページがソニーの損害保険広告。
  店に流れていたラジオは平井堅の歌だった。
ソニ兵衛さん、曲の方はズルをしないで、感心だがね。
1/11 2006/12/18 から二日程してNHKに電話したら、五分程で繋がった。
それから三日程して廃止届出用紙が来て、次の日にはポストに投函した。
半年契約だったので、三ヶ月分戻ってくるようである。
投函して部屋に戻ってきたら、直ぐに女性の声で電話があり、受信料を収めてくださいときた。
「あのですね、今日、解約、出したんです。」と言ったら、失礼しましたと言ってきった。
こちらは解約するしか手立てがないし、NHK側は受信機を廃止しただけという事なのだろうし、
そこに何ら問題はないのだが、信頼が揺らぐと大きな意味をもってくるから不思議。
 NHKに電話した時、センター内の喧騒の中で時々アッホーと聴こえてきていたが、
よく聴くと水の流れる音にカッコウの鳴き声であった。                草々

 その 500 NHK行 2007年1月20日
前略 今回で抗議文も500番台に突入した。
自他共によくもここまでと思うが、それが現実であり、それが真実である。
業界側の思惑としては、捨てておけば、その内ボロを出すだろう位にしか、
算段していなかったと思う。
全体としては気が狂うか、気が狂って凶悪犯罪でも犯すのを狙っていたようであるが、
私はそのどちらも得意じゃないし、何よりも伝える事の方が大事であった。
とはいえ文章にするのが苦手なので、どうなる事か不安ばかりであったが、
抗議文500回を迎え、言いたい事は、ほぼ伝えたと思うし、受け答えも出来たと思う。
強気の姿勢で押し通し、自己紹介、身辺雑記も交えて夢としてはちょっと変わった夢ではあるが、
叶った感があるし、もっともっと文章もうまくなりたいこの頃。
 そこでちよっと抜き打ちでキリ番の抗議文を振り返って補足説明してみたいと思う。
その 100 「とってもありがとう」ですね。 
どこかで流行らしてと書いたが、検索するとYahooでは約24,200件、Googleでは約 21,400件でした。
お礼の挨拶に一言「とってもありがとう」
その 200 大まかな概要で、74年の東京に出てきてから79年頃の話ですね。
「79年には東京の調布に住んでいたが、その秋、思いもよらない力によって、
それまでの作詞ノート、カセット曲を焼失させられ、体調も崩し、危険を感じ、実家に帰っていた。」

 同じ方向を向いて操っていたのが、こちらを向いて悪戯をしたバッキャモンの劇的な瞬間ですな。
一緒になってふざけている集団が居るようなので、確認の為に適当な言葉が思いつかなかったが、
「バッキャモンと一心同体か?」と問いかけたら、その後、オバサンの声で「そうだよ」と聞こえてきていた。
その後の抗議文でも書きましたが、「自国の平和・安全を担っている方々には、
決して面白可笑しく受け止めていない出来事」というような事で纏めたが、いまだ続いている。
その 300 掲示板の「ここが変だよ、邦楽界・一言云わせろ」辺りに載せたのを纏めたようです。
その 400 歌詞の「祭雨」ですね。
"濡れにぞ濡れし"を実に効果的に使った詞かな。
その 500 500回記念という事で何か用意しようかなと思ったが、何よりもNHK行という意向なので、
今回はNHKに花を持たせ、受信料解約愛の安普請で纏めさせてもらったのでござる。        草々

 その 501 NHK行 2007年1月27日
前略 2006/12/ 4 自分は今、高校3年生で、音楽系の方向で進路を決めています。
出来れば作曲をしたいと思っているのですが、最近、その決意が揺るぎつつあります。
どうも、普段から作曲をしようという意欲が湧かないし学ぼうという意志もみられない…
有名な作曲家の人は、よく独学でしてたなんて事を聞くのでそれに比べると、
自分は意識という部分から既に向いてないのではないかと思います。
もちろん、作曲を通して色んな事を表現したいという理想はあります。
しかし、どうも不安で仕方ありません。
 皆さんは、作曲できるようになったのは独学ですか?
それともちゃんと学ぶ機会があったのですか?
また、独学で学ぶほどの意欲が無い人間にはあまり向いてないと思いますか?


12/ 5 私の場合はフォークブームの頃で、作曲する事が異常に身近にありました。
授業でもフォーギターを扱っていた学校もあったんじゃないかな。
私などギターの練習より作曲の方が一人歩きしていた感じです。
 向き不向きはさておき、何でも真剣に、辛抱強く、だね。
皿洗いだって極めれば、リズムに乗った芸術的な動きができます。
ムリがなく、ムダがなく、体と一体化したような。
ちょっとしたコツでしょうが、それにはやはり真剣に、辛抱強く、です。

12/ 6 〜質問ばかりで申し訳ありません。
如何せん、周囲にそういう相談を出来るアテもなく一人で不安を抱え込んでいたもので…
質問内容に関しても、答えられる部分だけでよいので何卒、よろしくお願いします。


12/ 9 〜質問の回答は、ほぼ私のホームページに載っていますね。
暇な時にでも読んだり、聴いたりしてみてください。
ピックアップ抗議文の「みなさんからのメール」とか、
抗議文だって君の「最近感じる不安」の少しは指針になると思うけれど。
 ランミュージック内の「春は風に乗って」は君と同じく少しづつ作った曲で、
「スペリオパイプ」は、ほぼ一気に作った曲です。
載せている歌詞の未発表曲は、ほぼ少しづつ作った曲の部類なので、早めに載せて、
みなさんに聴いてもらって、私の即興曲以前の習作時代の歌にも親しんでもらいたい。
こんなところです。                                      草々

猫雲 その 502 NHK行 2007年2月3日
前略 "ヒット曲を作ろうなどと力まずに何気なく沸いたフレーズを「さび」として、
あとは軽く肉付けしていけば出来上がり、これで良しとする。 その繰り返しで上達します。"
"Cで始めたら必ずCで終わらせるように"
"コード進行に頼らず、想像力を膨らます"

 と、曲作りの心得を少し書いた事がありましたが、
2月のキリバン曲のエピウェイはそれに当てはまる分かりやすい曲ですね。
Cコードの5弦の半音移動で始まり、
出だしのメロディは、Cコードに踏みとどまってイメージを広げています、
またCコードの半音移動でCに戻っているのがよく分かります。
 例によってメロディが具沢山で、サビの部分が分かりやすいというのが、
私の特徴ですが、この曲はサビが短めでも余り遜色のない出来だと思う。
 当時のフォークブームの頃はフォークギター雑誌も華やかであったが、
曲作りの実際などは皆無に等しく、たまに紹介されても
「コード三つ覚えて作曲できる」類のものであったから、概ね新譜のコード進行に習って、
なるほどなるほどと、薀蓄を広げている程度で、たまに出る特集は難しい音楽理論であった。
 そんな数少ない曲作りの実際の中でも必ず載っていたのは"Cで始めたらCで終わらせるように"であった。
私も今の若い人達と同じように、やれ転調だ、やれ移調だ、やれドミナントだ、が先であったから、
三つ程の雑誌に載っていた、これには参った。
まるで血気盛んな武蔵が宮本村の中で暴れてろ、と言われているようなものである。
その意味を深く理解できずに兄のところへ行って困り果てた顔で何でだろう?と、問いかけた事もあったが、
もうその頃は決断に迫られていたのであった。
 そんな事は無視して作りたいように作るか、粛々と受けとめるかであったが、
私は何故か粛々と受けとめる方を選んだのである。
曲作りの中で一番大きな決断をしたというのはこの方向転換の時であるが、 
その後は遅ればせながら例のとおり即興曲や1コードへと続くのである。
やはり曲作りの起承転結・メリハリテリツヤの基礎をみっちりやったのかなと思う。
 とはいえこれも一例であって、むしろ若い人などは反発して内にライバル意識を燃やしてほしいね、
それほどの意気込みでないと、それでなくても流されやすい世界なのだから、大事なのはハートです。  草々

   その 503 NHK行 2007年2月10日
すれ違ったまま    (1977年) 


一、
あなたにも分かるお話を
陽だまりの歩道と
道行く人が居ればいい
春を愛してる地球なら
分かってもらえる筈さ
分かってもらえる筈だ

考えてもみなくても淋しがりやさ
広いこの世で
たった一人の自分だもの
分かっていた筈さ
分かっていた筈だ

君とすれ違ったとともに
君を好きになってしまったから
二、
君のその微笑を
絵にしたけど
いくら描いても駄目だった駄目だった
ゆらりゆらり
ゆらりゆらり

ゆらりゆらり
ゆらりゆらりと
陽だまりの歩道を歩く自分に出会い

君と会って何を話せばいいのかも
君の事は何一つ知らず

知らない人に頬見せてあの日
すれ違ったまま

 その 504 NHK行 2007年2月17日
前略 伊豆大島の事も書いたので、
ハレー彗星を観に好条件の八丈島に行った時の事も書いておこう。
ハレー彗星観測に絶好の時期に出かけて、土日が過ぎ観光客が帰った後も居残り、
何日かしてから飛行機で帰ってきた。
以外やプロペラ機ではなくジェット機であったが、乗客は私を含め数人だった。
 行きは竹芝桟橋から夜に出航して八丈島に着いたのは次の日の朝だった。
船内には、はるばると出掛けるらしい釣り人は見かけたが、
ハレーウォッチャーらしき人は見かけなかった。
 船内では眠れなかったので、八丈島に着いてもボーッとしていてチェックインまでの時間、
観光バスに乗っての島内一周に繰り出したが、余りよく憶えていない。
 東京から離れ、たっぷり船に揺られたので、島に着いた感想は離れ小島という感があり、
地続きの目的地への到着とは違って何か仕切り直しの未知数があった。
 ホテルの掲示板でハレー彗星の情報を仕入れて夜になって屋上に上がってみたら、
わいわいがやがやと、かなりの人が真っ暗な中を出たり入ったり観測に来ていた。
天候不順の情報ばかりが聞こえてきている中で、
私が見たこの夜ばかりはポッカリと穴が開いたように星星が夜空にちりばめられていた。
地上はと言うと風が強く吹き飛ばされそうであったが、
肉眼でも見て、ウォッチャーの望遠鏡も覗かせてもらって確認した。
幽かに尾を引いているかなぁという程度で実際どの星か分からず、何度も何度も目に焼きつけた。
 次の日はレンタルバイクを乗り回して海岸や温水プールなどに出掛けた。
季節風なのだろうか、紆余曲折した風ではなく、太平洋の風全体が同時に動いているような、
障害物のない真っ直ぐな風が吹き抜けていて、断崖を下りて間近に見た海も波が波を打ち砕くのではなく、
益々研ぎ澄ましているような奥深さがあり、その連脈を風の中に内包しているかのようであった。
ちょっと大げさではあるが、しかしスキューバダイビングは最高だろうね。
 ホテルの食事は豪華で、特産珍味の"くさや"も出たが匂いのわりには美味しかった。
その観光客も帰ったガランとした広い食堂内の中央にガラス張りのアクセサリー店があり、娘が一人座っていた。
つらつら見て周り、後ろ向きに回った時、ちらっと見たら彼女はコンパクトを持っていてちらっと眼が合った・・・
これは何を意味するのであろうか・・・18禁であろうか・・・アダルトであろうか・・・私には分からない。
夜に屋上に上がってみたら誰も居ず、何度か上がってみたが、すっかり引き揚げたらしくやはり誰も居なかった。
一生に一度のチャンスでかなり粘ったが、やはり初日が一番神秘的な一夜であった。           続く

 その 505 NHK行 2007年2月24日
前略  ちょっと調べてみたが、どうも私は幸福の谷まで行ってないようである。
石畳のしっとりとした坂は歩いていないし、しかも旧地図の二牛橋と説明したが、
書き直してこれは二手橋であり、現在もそう呼んでいるようである。
 さらに幸福の谷には川端邸が在った場所であり、
二番目の川端邸も現存するようであり、これも観ておきたかった。
ぐずぐずしていたオマケがこんなところにも現れてしまった。
 文学散歩なる試みは初めてなので軽井沢の道を歩いていても頼り無さが先にたって、
どうも、おもがゆさがあり情緒にひたるよりもお客さん気分の方が先にたったようである。
馴れた人など、じっくり調べて練り上げたコースを辿るのでしようが、道任せであった。
それでも帰る頃には旅情とまでは言わないが、後ろ髪を引かれるような淋しさがあり、
一体なんだろうと思ったが、北海道に帰省の場合は次回の約束をしてくるのに対して、
今回はそれがなく、それでかなと思い、あまりに単純なので笑ってしまった。
下準備といえば、朝に手製のオニギリを作って出掛けたが、
富士見と中軽井沢でそれぞれ味わい深く食べて、期待どおり美味しいかった。
出遅れた理由の一つにこれもあるが、5月頃出掛けようと思っていたのが、6、7、9と伸びて、
ずるずると10月になったのだから、何をかいわんやである。
 その中軽井沢のホテルで出たお茶請けの菓子が、今まで食べた事がない美味しさだったので、
さっそく、お土産に的を射ていて、帰りに軽井沢のお店を回ったが、置いてなかった。
 種無しの干し梅で、甘酸っぱくて後味がもう一つ誘う魅惑のある健康食である。
帰省が近づいたので、ネットで探したら見つかり、お土産用に通信販売で手に入れた。
種類は違うが、コンビニでも見かけたので、今流行りなのかな。
 堀さんとその周辺、大正・昭和初期の本を読み出し、今も少しずつ読んでいる。
堀さんの頃の景観はいま何処ではあるけれども、それは私の子供の頃に親しんだ自然を思い出して良しとしても、
その頃の人に遇う事はおろか、その営みを垣間見る事も出来ないのだから、
ただただ懐かしく、ただただ'逢えないから逢いたい'旅らしい旅だったかな。
 昨年見つけたネット記事で風立ちぬの舞台背景や新しい事実が書かれていて興味深かったが、
それに紹介されていた石畳の道を歩いていないのだから私は何処を歩いていたのか。
種無しの干し梅のようにもう一回誘われてみるつもり。                         続く

 その 506 NHK行 2007年3月3日
前略 そのネット記事によると"それらの夏の日々"の場所は水車の道の先のようであるが、
現在は木々が成長していて草原の見晴らしどころではなかった。
 小説ではそこで遥か彼方の地平線の八ヶ岳方向を暗示して、その後、富士見のサナトリウムでは、
間近に八ヶ岳が見え、その遥か裏には"それらの夏の日々"の草原があり、フィードバックするが、
それも1度だけ外に出たヒロインと二人になった時、偶然に気づかされたように緻密である。
 恐い病気であり、発症から死に至るまで一年も満たない事例があるようで、
しかも当時は食料事情が悪く、時勢も戦争の足音が聞こえ、私など、とらえようもないが、
それでも物語の最後までゆるやかに着地したのではないだろうか。
 小説には載っていないが、最後の死苦の中で"お父様もとても良い人で、私幸せでした"
"辰ちゃんもとても良い人で、私幸せでした"と最後の言葉を残して死苦に入っていった、そうである。
 そのヒロインですが、ネット記事では女子美術学校に学んでいて、ちょっと調べてみたら、
本郷ではなく新校舎の杉並の方で4年間学んだらしく、
それならば私が前に働いていた会社の直ぐ近所で通勤途中でもよく通っていたのであるが、
それを言い出せば、堀さんの奥さんの実家もすぐ近くだし、馬橋時代の川端さん宅も近くなのではあるが。
 堀さんの代表的な写真で、ペンを持ち原稿用紙を前にカメラ目線のキッと向いた、
いかにも文学青年風な写真があり、作品にふれる前の印象としてはかなり引いてしまった。
それゆえに敬遠したとしても言い過ぎではないが、
しかし果たして若い頃に読んで現在と同じように良さを拾えたか、と言ったら原稿用紙の白のように自信がない。
 いい意味で文体としてはとてもシャレていてビビッドが効いた贅沢な感じを受けた。
三島氏が、堀さんの「聖家族」を"〜フランス風心理小説に仮託するという手法において、
私の作品「夜の仕度」よりも濁りがない〜"と言うような言い回しをしていて、
それは文章にしている時の意識の動きが、という事だろうか、初めから優劣の劣のないという意味で。
 知識で裏づけされた秀才でありながら、そんな雰囲気は弱く、
むしろ小説の国から言葉を持ってきているような贅沢な味わいがある。
しかし「菜穂子」は何度かチャレンジしているが、どうも出だしあたりでいつも止まってしまう、
また付箋状態であるが、今度のは昔とは違う味わいがある。
小旅行のわりには何時までも引っ張っているので、これにて終了。                 草々

 その 507 NHK行 2007年3月10日
のら節 のら節 その十三 タマばあさんが、言うには。
「ネツゾー爺さんところのポチが鎖を切って、遠くへ逃げ回っているところを、
誰かが、鎖を踏んずけて止めて、近くの空き地に繋いでおいたら、
腹空かしてキャンキャン吠えて、近所から苦情が出て、
犬は自分で帰るべぇという事になって放したら、
三日ぶりにネツゾー爺さんところへ帰って来たとさ」

そりゃ、散歩に出掛けたんだろうに・・・
捏造じゃなくて、常造爺さんだろうに・・・ なぁノラや・・・

のら節 その十四
あっ!と叫んだ瞬間にはノラはもう寝そべっていた。
吃驚したノラは何処かへ見えなくなってしまった。
 書をしたため満足して筆を寝かせた合間に、寝転がってしまった。
最後の点をノラが引き受けたようなものである。
 暫くして現れたノラは、毛繕いをして舐め回したのか、
凄い顔になっていた。 色即絶句であった。

 う ち の 猫 に は 耳 が あ る 
 猫 と 居 た 夏  暑 い 夏
 今 年 も 笑 っ た  猫 と 笑 っ た

のら節 その十五
台所の むろ を開けたらノラが出てきた。
その時は何とも思わなかったが、あとで考えると変だ。
 入っていたとすれば何日もである。
しばらく開けた覚えはないし、開けて入る事はあっても開けて直ぐである。
 だいいち むろ の上に荷物があって、移動ないし使いきらなければ、 むろ を開けられない。
で、今回がその時である。
 しかしノラは居たではないか? 茶の間に? 廊下に? 寝室に? むろに? あれっ?
 わかんなくなってきちゃったなぁゃ。

のら節 その十六
 なんだぁ? 納豆ダイエットだぁ? 馬鹿者がぁ。
大豆は穀物の牛肉っつうのを知らんのかぁ。
納豆は食物の金印っつうのを知らんのかぁ。
栄養満点、健康第一、なぁノラやぁ。
こうして毎日1パック食べて入ればぁ・・・。
 おっと、ノラの猫パンチを察知・・・。

 その 508 NHK行 2007年3月17日
前略
 春便り 14 2/ 8 今年は暖冬である。
 1度位は底冷えが来てもいいのに今回はそれもない。
朝起きても部屋の温度は15度、日中は17〜18度である。
あんまり暑くて笑っちゃったとは言わないが、この間、
外出時あんまり日差しが強いので、空を仰ぎ、おもわず笑ってしまった。
 今回の冬は冬将軍が省エネに貢献しているが、温暖化ともなれば皮肉な話である。
桜も一番寒い時期に起き出すそうであるが、今年の開花はどうなるのか。
図書館の大きな桜は沈黙したまま、じーっと春を待っているようではあるが・・・。
2/14 予想どおりに廻るのが気象であり、思いに任せぬのが天気であるが、
しかして暖かい冬はあなたの私の脇をほんわかと暖めてゆく。
12月中には途絶えていた小バエが1月には姿を現し、元気な姿を見せている。
こんなに小さいのに暖かさが解かるなんて、可愛い奴である。
 何処から生まれて、何処に消えてゆくの?などと夢想していたら・・・。
まーた、溺れてやがるー。
もうちょっと飲み干してから溺れてくれよー。
つったく。
 コーヒー御代わり。
3/15 ちょっと北海道の方へ帰っていました。
東京ではお目にかかれなかった雪が降っていて、雪見温泉となり、部屋から湯船から、
湖畔に降る雪を、いつまでも見つめていました。
雪球をしこたま作って雪の感触も味わいましたが、やはり北海道生まれの所為か、
雪を触らない年はないようです。
 久し振りにのら猫に出会い、可愛がりました。
いつもの様に喉を撫でて、耳を折りたたんで、ヒゲを引っ張るのですが、今回は途中で逃げてしまった。
今度出会う猫は両方から引っ張るぞー。
                             ◇
 雪の少なかった海岸沿いから内陸の白一色の世界に入り込むと、
あたかもそこに雪世界そのものの物語でもあるかのような感覚に至り、
何かを探ろうとしたり、現実とそれを相対しようと努めたりした。
 しかし何気ない風景や山肌などは、何万年何千万年もの風雪に耐えて作り出された造形であり、
人間などはそれを踏み歩くだけで、一瞬の感覚でしか捉える事が出来ないのでしょうか。
錯覚と言ってしまえばそれまでですが、うーむ何かを物語っている。          草々

 その 509 NHK行 2007年3月24日
前略 「銀河鉄道999」盗作騒動 槙原「証拠出せ」松本零士氏訴える
 〜槙原と松本氏の盗作問題が、法廷闘争に持ち込まれた。槙原はこのほど、
松本氏に盗作した証拠の提出を求める「著作権侵害不存在確認等請求」の訴えを東京地裁に提出した。
証拠が示されなかった場合、仕事上のダメージを受けたとして、2200万円の損害賠償を求めるとしている。
来週、第1回口頭弁論が予定されている。〜
 盗作騒動が起こったのは昨年秋。
〜『銀河鉄道999』のセリフの無断使用」として、槙原に謝罪を求めたことから始まった。
問題の歌詞は「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」。松本氏は「銀河鉄道−」の
「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」のセリフを盗作したとマスコミに対して主張した。
 〜これに対し、槙原は盗作を完全否定した。
自分の公式ホームページで「『銀河鉄道−』を個人的な好みから1度も読んだことがない。
盗作の汚名を着せられた」と訴えた。騒動でCM放送休止のダメージも受け、逆に松本氏に「謝ってほしい」とした。
 当初、双方とも法廷闘争に持ち込む意思は示さず、収束したとみられていた。
しかし、槙原側はシンガーソングライターにとって最も屈辱的な「盗作者」とされたまま、
活動を続けるのに納得できなかったようだ。昨秋から平行線だった両者の言い分は、司法の判断に委ねられた。
                                                      :3月23日9時56分

 ちょっとコメントをしておきます。
盗作した盗作していない以前に、
この原作が、原作者の若い頃に書かれていないのが、どうも気になる点である。
 「時間は夢を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」

作詞する者から一言言えば、まぁ、おざなりなセリフではある。
たとえばこれを反語にしてみると分かりやすい。
 「時間は夢を裏切った 夢も時間を決まって裏切った」

別に遜色はないし、同じ比重で受け止められる。
ストーリーに組み込まれて初めて生きてくるセリフである。
前回のモーニング歌詞騒動と同じく馬鹿馬鹿しい話である。
 私と音楽業界の盗作問題は、社会通念からいっても会社の存続さへ無理な状況です。
であるから、どれだけ悪あがきするかが、焦点であるが、始まったかな。       草々

 その 510 NHK行 2007年3月31日
前略 ゴボウの巻
 生まれて初めて"ゴボウ"なるものを買ってきた。
そんな大袈裟な事ではないが、手にとって見つめて買ってみた。
泥にまみれた細長い、サトイモを引き伸ばしたような根っこのような食物である。
正月前からうま煮を作り始めていて、新たにゴボウもお仲間に入れた訳である。
 買出しの時は必ずサトイモ・竹の子・蓮根・椎茸・肉・コンニャクなどを買ってきて、
それに手持ちの新ジャガも加え主食がわりに食べているが、
最初はおもに新ジャガをやっつけて、後半は餅などを入れて平らげている。
 その料理としては、湯に入れて味付けをして出来上がる簡単なものですが、
しかし蓮根てのは、ずば抜けて火の通りが悪い。
あまり煮えきらないので、いらいらして、こいつバカじゃないのかと思ったが、それほど硬い。
わざわざ実の内側に湯が透りやすい穴が開いているほどなのに、
呆れかえるほどに料理作りを逸脱した見かけによらぬ食材である。
 であるから、一番最初に湯に通す。
順番としては新ジャガを茹でてから、そのお湯で蓮根、しばらくしてからサトイモ・
竹の子・コンニャク・椎茸・肉を入れるのであるが、あく抜きの為に1度湯を捨てる。
肉は半焼きにしてからのほうが、美味しいような気がする。
で、出来上がって食べ終わってから気がついた。
ゴボウを入れるのを忘れた。
 慣れない物を買ってくると何時もこんな按配である。
さぁどうしたものかと、考えたが次回に持ち越すには萎びてしまう。
金平ゴボウというのを思い出したので、それでいこうと決めた。
 しかし、こいつも硬そうである、蓮根のお仲間でーす、という風貌である。
1度湯に通す事にして、その"ごうじょっぱり"を確認する為に腰を据えた。
湯立ってゴボウを入れ、ちょっとしてから試しにそのゴボウをかじってみたら、
味気ないので何とも言えないが、あっさりと煮えているではないか。
あんまり素直であっさりしているので、早々に出来上がってしまったが、
茹でて炒めるというのも金平ゴボウらしくないのかもしれない。
ゴボウの一品料理は私の腕ではどうにも限界がありました。
 うーん、何でも手にとって試してみなければ分からないものであるが、
蓮根には蓮根のゴボウにはゴボウの育ち方があり、それを主張しているのでしょうか。
そこで一句。       人知れず 土から抜かれて 胃袋へ       草々

その 511 NHK行 2007年4月7日
横目チラチラ (1973年) 


一、

どうしてこんな気持ちになったんだろう
もう何もする気がしない
只 君の事思っていたい
只 君だけを見つめていたい
何を見ても君の顔に見える
歯磨きも歯ブラシも君の顔に見える
人の声が君が僕を呼んでる声に聴こえる
こんなに君の事夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの

ロングヘアーの君は風さえ誘う黒髪で
そして静かに夢の中で休ませ
だから右から左の目に駆けてゆく
君はとても和やか
ポテトチップ好きの君に
ポテトチップも贈ったし
後は優しく愛の告白をするだけ
そして だけど そして
だけどこんなに君に夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの
二、

いつまでもこんな気持ちでいたのなら
僕の心は髭がボーボー
只 君の事思っていたい
只 君だけを見つめていたい
だって恋はいつもすれ違い
立ち止まって譲り合ってこんがらかって
みんなそうでも君と僕は違う抱きしめちゃう
こんなに君の事夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの

咳をすると直ぐに風邪薬を持っていってやり
雨の日は傘をさして僕は濡れ坊主
寄らずばなるまい悪い虫を
僕はつり目で睨むのです
ポテチという君の犬にも
ポテトチップを贈ったし
後は優しく愛の告白をするだけ
そして だけど そして
だけどこんなに君に夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの
三、

星のちらつく新しい夜
心抑えて
冷静さを取り戻そうと気張って
激しい呼吸を整えて
君をベンチに優しく座らせて
君の前に地べたにひざまずいて
君の優しい手に僕の手を合わせて

嗚呼僕は君を愛してる
嗚呼僕は君を幸せにする
嗚呼僕は君を信じてる
嗚呼僕は君を幸せにする
こんなに君の事夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの

こんなに君の事夢中なのに
何故横目チラチラ笑っているの


 その 512 NHK行 2007年4月14日
 2006 新ジャガ1ケースめ全記録
06-10-20  6コ 味噌汁の具
06-10-23  3コ ポテトチップ作り
06-10-28 10コ 味噌汁の具 定番。
06-11-03 10コ
06-11-08 10コ
06-11-14 10コ
06-11-22 10コ
06-12-01  8コ
06-12-09  8コ
06-12-20  8コ
07-01-06 10コ
07-01-23  6コ うま煮の具
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    99コ
 今回は前回よりも小振りのようである。 
ほとんど暖かな味噌汁に入れて食べた。
ポテトチップは薄切りにした後、
よく洗うとその後、色が変色しないようである。

        そこで一句。 
イモ野郎 ジャガーに乗って ご挨拶

新ジャガの値段よりも、
運送料の方が高いようである。

 新ジャガ2ケースめ全記録
07-01-31  8コ うま煮の具 カツオだし 
07-02-08 10コ 
07-02-14 10コ 芽が出始める、桜より早い 
07-02-24 10コ
07-03-04 10コ
07-03-18 12コ
07-03-25 12コ 芽が10cm近くになった
07-04-04 14コ いもがふにゃふにゃ
07-04-11 12コ 初めて昆布だし
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    98コ

 他愛もない記録であるが、
もう一つ思い出したので載せておこう。
例の20代半ばの酔日記からの、
うろ覚えであるが、書き捨て。

 ジャガはいつも地面の中でジャガをたるましている。
とれたてのジャカをお鍋に入れて、待つ事10分。
出来立ての湯気が美味しさを委ねるね。
 ほっかほかのジャガにバターを塗っても、
甘〜い蜂蜜をかけてもじゃがはジャガ。

ポテトの心はジャガいもにしか分からんのだ。
 草々

山親父猫 その 513 NHK行 2007年4月21日
前略 昨年の10月に帰省した折は、ちょっと山深い秘境の地を目指していたのと、
シャケの川のぼりを観察しようと計画を立てていた。
 その前の5月にも同じようなコースでネットで探した秘湯を巡ったのだけれど、
友人から帰り道、これが秘湯か?と言われてしまったので、ちょっと考え深くなった。
改めて考えてみれば、やはり登別温泉・洞爺湖温泉は凄いんだなぁと思ったし、
灯台下暗しで小さい頃からよく出掛けていたので、雲泥の違いで計った事はなかった。
 10月にお袋に案内されて初めて知った登別温泉の近くにある大湯沼なども、
名前のとおり沼ほどもある露天風呂風情でびっくり、もちろん入れません。
 今回、サミットの候補になっている洞爺湖温泉のウインザーホテルなども素晴らしい景観である。
湖畔の山の上に位置するここは、私が子供の頃の話、俳優の長谷川一夫の別荘があり、
ゴルフを楽しんでいた彼と、偶然展望台に出掛けたお袋等と一緒に写した写真がある。
 私の頃は兎も角、お袋の世代の人にはそれこそ雲の上の人だったであろう。
今年の3月にもお袋の湯治を兼ねて洞爺湖畔で二泊したのである。
 さて、それではと言う事であまり人が行かない前人未到の地を探したのである。
秘境の地は、いわゆる秘湯であるが、秘湯と言えばやはり露天風呂である。
例の山ダニに喰われた時の場所が、里山の真裏にある川又温泉であり、
5月に行った場所は道南の見市温泉、おぼこ温泉であったのに対して今回は秘湯中の秘湯、
やはり道南の山奥にある露天風呂の一つ、その名も熊の湯。
 なんと熊が出没したらば途中の地元の公営温泉施設に「行っちゃだめよーん」と、
表札が立ち、注意を呼びかけるほどの山親父の巣。
実際は露天風呂近くに登山道入口などあったりで、人の往来で現在は熊の方が寄り付かないのかも。
 渓流沿いの大きな岩肌の窪みに出来ている露天風呂で、熊の湯の名に恥じない趣である。
その岩肌の割れ目から噴出すように熱い湯が出ていて、川からホースで水を引き、
温度調節をしながらの入浴である。
 山親父を気にしながら温泉に身を沈め、とっかかりとおしだまりの狭間にたゆたうと、
自然の真っ只中に居るのに絵にも描けないようなまっさら感になってしまう。             続く

 その 514 NHK行 2007年4月28日
前略 春便り 15 4/ 2 ネットで桜の開花記事が載っていたので、
さっそくベランダのカーテンを開けてみたら、咲いてる咲いてる。
 20メートル位先の公園のほぼ真ん中辺りに、60cm位の太い幹から無闇に二つに分かれていて、
それらがそれぞれ、放射線状に伸びて、膨らますように枝分かれして咲き誇っている。
 以外と背の高い桜なので上の方に花弁が密集しているように見える。
暖冬の影響はどうなのか、若干遠慮して咲いているようでもある。
昨年の秋に公園内の目の前の松や近隣の木々など、枝の切り落しをしていたので、
今年はベランダからでも良く見える。
 なんといってもあの拳骨が伸びきったような力強い傍若無人な太い幹から、
いかようにも枝ぶりを遊ばせていて、そこに咲く花弁を影にも日向にも開かせている。
まさに開花宣言である。
 近くに寄って桜に包まれると流石に満ち足りて深呼吸のついでに桜の匂いを誘ったが、
桜餅の匂いはしないで、やはり春の匂いが満ち足りているようであった。
きっと春が歩きはじめて、人々の歩調と合い始めてきたのでしょう。
4/ 5  暖かくなってきて、隣の一部トタン屋根に猫が現れはじめた。
泣き声でそれと分かるが、なんとも穏やかな鳴き声である。
 日向ぼっこで、気持ち良さそうに、何かを発信している。
何と言ってるのだろうか。
「お日様はありがたいにゃー」とも、「待ってたんだにゃーこんな日を」ともとれる。
お日様の事だからあんまり猫の体が暖かくなってきて、
暗い喉の中から木漏れ日のように自然に鳴かしているのかも。
4/29 部屋の温度は20度である。
押しも押されもしない20度である。
それ見た事かといわんばかりの20度である。
春はこよなく愛される側にいて、20度である。
ことさら浮かれる事もないのだけれど、
温度計は、やっぱり20度である。                       草々

 その 515 NHK行 2007年5月5日
前略 2/22 しまったーっ。 フォークカテのトピックが落ちてしまった。
(音楽業界はファンに隠し事があります) どうしょう要望があれば立てるが。
 ちょっと油断していたら、一週間で落ちてしまった。 とりあえず寄ってくれていた人、ごめん。
 抗議文やスケジュールの他、春便りや、食材便りを載せ、かなり面白いトピックであったのに。
フジあわせリンクも切れてしまった。 それでか?
 4・5年前、仕事でソフトバンクビルに納品に行った時、
フジ名の関係者(外来者)を見かけたが、頭の低い対応を見せていた。
それからしばらくして、ヤフートピックのエンターテインメントが賑やかになってきた。
結構そちら方面から人材、入ってきているんだろうね。
3/ 2 ゴッホは何故に浮世絵に引かれたか。
それは西洋のゴシック様式にはない、あの流麗にして太く、細く、
流れるような筆さばきがかもし出す日本の筆文化に影響を受けた、
ジャポニズムによるものなのである。
 ペン文字ゆえのコンプレックス。
 筆文字ゆえのコンプレックス。
地球は巡る、丸いから。
んな、アホなとお思いでしょうが、少なからず影響しているようである。

 前に似たような"つっ込み"書かなかったかってか?
そうなんです、フォークトピに載せたんです。 ちょっと載せます。

北国のロシアなどは、あまりの寒さに、言葉さえ、
「ボソボソ・ボルゾフ・ボソボソ・ボルシチ」などと低い声になり、
赤道付近のベトナム・タイあたりは、あまりの暑さに「アーツィ チャンカー」
と高い声になり、気候によって言語の発声が左右しているようである。
んな、アホなとお思いでしょうが、少なからず影響しているようである。
四季のメリハリがはっきりしている日本は、バラエティーに富んでいて、
今は何よりも風が優しい。


それで次回はそのフォークトピに載せた、キーボードめちゃ打ち・めちゃ変換掲載に対しての言い訳をさせてもらおうかな。
 えーっ、ほんとおー、うっそー、という言い訳。                                       草々

キュビスムキャット。  その 516 NHK行 2007年5月12日
前略 3/20 キーボードで文字を打っている時に、何気なしにめちゃ打ち・めちゃ変換してみたら、
昔別れた女の名が・・・という分けではありませんが、懐かしい人の名前が出てきて、
ちょっとハイになって兎にも角にも言い訳は後にして投稿してみた。
もちろん名前の部分はカットしました。
 言い訳のきっかけを忘れて、しばらくしてずるずると進んでいる時に思い出したように、
もう一度めちゃ打ち・めちゃ変換をやってみたら、そんな事がありえるだろうか。
その時に一番身近に感じていた女性の名前が出てきた。
またまたハイになって、兎にも角にも言い訳は後にして投稿してみた。
 新巻たら子嬢を筆頭にその頃から艶っぽい話が無意識に出てきて、きっと、
まだ見ぬ恋人の声なき声と早合点した、はやる気持ちの表れかも。
決して馬鹿投稿ではないのである。
決してガッ キン コン なのです。
三度目の正直の「めちゃ打ち・めちゃ変換占い」は、ちょっと勇気がなくて、
煮詰まってきたら、きっかけが出来たらやろうと思っていたのです。
確かフォークトピに投稿したと思ったのですが、探したら見つかった。
めちゃ打ち・めちゃ変換占いをしたい人は壊れないパソコンで試してみるように。
パソコンって楽しいですねぇ。

投稿日時:2005/ 4/ 3

待ちこんな足りら今まら来にまれ祖ん区と理知巫女ん措置ねマコ凝る耳理みなこち根の
真美子クコりま実レ戸肉たれ理道背例に知れていなくて実見れれれれれれれれれれれ

投稿日時:2005/11/ 7

無し苦は知らしに真美茄子麻痺無し地理散る散れ苦九九心地理知ら身たれ背たれ羅手内
子こそ後背テル言う結いや押しラニシミコチリチチク手七区原せもにすいまみ手の手の
てこ見て無くは二手似てた羅手ナテニ那覇も張り等理稲泊はマイン好くたれ理知ら由の
強いのも父鱈地なく湖畔推知たれる千年湖逝くいたな手内や秋理のよし行く浜た理知

                                                      草々

 その 517 NHK行 2007年5月19日
前略 4/15 >盗作した盗作していない以前に、この原作が、
>原作者の若い頃に書かれていないのが、どうも気になる点である。
 すでに原作者は…。
私の楽曲のコピーも間引き曲もすでに手に入れている連中である。
何てったって私もやばかったから。
「時間は夢を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」連中である。
4/15 女性アーティストに関しては。。
トピの性格上、やむを得ない事だと思いますけど、少し悲観的な意見が多いような気がしますね。
2000年以降においては特に女性アーティストに関してはもはや
J-POPは世界の頂点にたったといってよいと感じます。
特にプロモーションビデオは2000年になって飛躍的に素晴らしくなったのではないでしょうか。
勿論、楽曲の質、アレンジ等ももの凄くよくなったと私は思います。
90年代のPVと2000年以降ではもう比べ物にならない。。
すごい進歩というか。。そのように思います。
女性アーティストは特に凄いと思う。
これは最近のフィギュアスケートのシングルの分野が日本女子が世界のTOPであるのと同様、
世界のポップス業界においてもTOPであるということがいえると思います。
100歩譲ってトップクラスであることは100%以上間違いない。
ちなみに個人的な好みで大変恐縮なんですが、2000年以降もっとも衝撃を受けた作品はモー娘の
「久住小春」ちゃんのきらりんレボルーションの主題歌「恋☆カナ」と「バラライカ」です。
特に「恋☆カナ」のクオリティーは全米no1ヒットしてもおかしくないほどの凄さだと感じます。
アメリカ人に今、私的に一番自慢したい曲の1つです。
あと。。。YUIちゃんに関してはもう日本だけのアーティストではなく、世界にアピールしてもらいたいと思う。
世界的なスーパースターになるだけの実力が十分あると思う。日本だけではもったいなさ過ぎる。
 以上。。。2000年以降J-POPはちょっと凄い。。
色々問題点はあるとは思いますが、日本人として悲観することは少ないと思いますよ。

4/26 どれどれ、ネットでちょっと試聴。
「恋☆カナ」  出だし、ちょっと崩してる感があるが、まぁいいか。
「バラライカ」 まぁいいか。
ソニ兵衛さん、ズルをしないで、感心だがね。
感心ついでに自首してはどうか?                                 草々

 その 518 NHK行 2007年5月26日
前略 4/27 僕の投稿にレスを頂き有難うございます。
モー娘の「久住小春」ちゃんのきらりんレボルーション
の主題歌「恋☆カナ」はひとまずYou Tubeで見てみたら如何でしょう?
すでに7万ヒットしているようです。
英語で書いてあるコメントを読むと世界中の方が褒めてくれていると思います。
 僕は世代的にはGUNS&ROSESやメタリカに狂った世代です。
スティービーワンダーからマライヤ・キャリーなど洋楽のアルバムは
1200枚ほど買ってきたので9対1ぐらいの比率で洋楽派でした。
最近You TubeでJ-POPアーティストの作品を良く見ているんですが特に2000年以降の
J-POPの作品は素晴らしいものが多くて逆にカルチャーショックを受けている今日この頃です。
例えば伊藤由奈のENDLESS STORYなんかはYou TUBEで150万ヒットはゆうに超えていると思います。
アップされたり消去されたりを繰り返しているので今見ればそんなヒット数はカウントできないと思いますが。。
初期のころからチェックしているので間違いないと思います。
英語のコメントを見ると世界中の人が絶賛しています。
「日本凄いなぁ」「曲もビデオも完璧、なんという素晴らしいひと時だ」
イギリス人やフランス人の書き込みと思われるコメントもありました。
近年になってやっと分かってきた!
元メガデスのマーティーフリードマンがつんくや松浦亜弥が好きだという訳が。。。
 特にAYAYAは初期の作品などあのクオリティーの高さは異常です。

4/28 君の意見を読んでいると、平凡とか明星という歌謡雑誌を思い出すね。
私も10代の頃、むさぼるように読んでいたから。
とくに褒めちぎり対談など、何ていい人達なんだろうと思ったものです。
まぁモーニング娘のように卒業したけど。
 私の場合はむしろ、唄い終わった後の、幕が下りた後の、楽屋へ向かう瞬間からの彼女等の実生活の方に興味が湧くね。
これは何百万枚売れようが、下積みであろうが、ついて回る芸人にしか分からない感慨でしよう。
創作している所為か、そういう感覚の方が好きで、会社の儲け話に繋がる話題は余り興味ありませんね。
どう転ぶのかはたいして問題ではない時代にしても、君のような音楽ファンが居てこその華やかさなのでしょう。
 さて現在は曲作りの裏事情が明らかになってサイが投げられた以上、世間の目以上にますます面の皮の厚い人間が育ちます。
こういう人間は自分では唄わず、他人に唄わせます。
音楽業界がどれだけコンプライアンスを重視しているか、音楽ファンをどれだけ蔑ろにしているかが見えてきます。
 ♪ブルージーンと皮ジャンパー 逆回転曲 傘がない 
民間からの有識者こそが育つのを願うのみ。                             草々

 その 519 NHK行 2007年6月2日
前略  深い山並みは所々紅葉をのぞかせていたが、まだまだどっさりと緑を湛えていた。
渓流近くの大きな岩は流石に緑を寄せ付けていないが、
代わりに苔を被っていて、やはり緑色をしていた。
どうやったらこんなに大きな岩が出来るのかと思うほどの塊が、
川の流れに大仰に陣取って、深みのある狭い流れにどどどっと共鳴していた。
 休日だったせいか、先客が、若いカップルと男1人の3人居たので、
早々に上がって次の目的地、奥美利加温泉へ向かった。
 ところで、そのカップルの男の方が、噴出したり止まったりしている岩の割れ目辺りで、
腕時計?を近づけて温度?を測っているようであったが、始終フリチンだったので、
着替え時に友人に笑いかけると、友人が言うには、"自信があるんだ"そうなのである。
なるほどと、分かったような、分からないような、分かったような、ここの1行18禁。
 日本海側を回って北上して、やがて東に折れて国道230号を内陸にしばらく走った。
やはり国道からかなり分け入ったところにあるが、今は何処も行政の手が入っているようで、
山間の一本道も綺麗に舗装されている、もちろん冬などは通交止めである。
 木々の緑やその影が一層色濃く、渓谷が険しく感じた頃に急に視界が開け、
三角州のような広がりで山々の間に空が広がっていた。
見渡せば大小の山小屋が2・3見え、浅くて緩やかな小川が地面を走り、桃源郷を思わせた。
反り橋を渡り近づくと、宿泊用のバンガローがあり、ちょっとした公園のような落ち着きで、
印象としてはすこぶる良かった。
 大きな山小屋で手続きをして早速露天の小屋へ反り橋を戻って出かけた。
内風呂があり、その奥に広い露天風呂があったがややぬるめであった。
であるからかどうか、10人程の男女(会社の同僚?)のグループがビールで祝杯をあげ、
何時までも入って騒いでいた。
その他不倫相手のようなカップルが二組いたが、それでも湯舟はたっぷり余裕があった。
途中で雨が降りだし、出るに出られず、私等もゆっくり入っていた。
 何か別天地に来た感があり、気分転換に、こんどは泊りがけで来たいものである。
シャケの観察の方は白老川を登ったが確認できず、どうも湾内までは来ていたようであった。 草々

スプリングフイッシュキャット その 520 NHK行 2007年6月9日
前略 春便り 16 5/12 何だかんだで、もう5月である。
1年を5月の所で折り畳むと、残り2ヵ月足らず。
少し持ち上げて11月を押し隠すともう半年近く過ぎた事になる。
何もそこまで擦り寄せて強調しなくてもいいのだけれど。
であるから今、春なんだなぁと思わなければならない時である。
 春にはあるが春にはないものはあるにはあるが・・・
しかし部屋の中に居て春を引き伸ばそうとしても無理があり、
せめて春便りを綴ってと思いを巡らすが、眠たくなってくるばかりである。
 春は眠い。
用を足して眠ろうと便座の溜まり水を見つめていたら、閃いた。
「太平洋に繋がっている」
溜まり水は海につながっている?そんな事・・・いや、まてよ。
あながち馬鹿げた発想でもない。 流れつく先は海なのだから。
 お〜い、魚〜っ・・・シャケのように登ってこ〜い。
 よ〜い、スプリングフイッシュ〜っ。
 お〜い、便り寄こせ〜っ。
そんな魚はいないが、とにかく春便り。
6/ 4 やっと冬物の衣類を仕舞って夏物を出した。
しかし私には春物がない。
これはいかんともしがたい事であるがない。
春を愛する者としては腕組みをしてうなだれる、である。
 であるからちょっと書き直そう。
やっと厚物の衣類を仕舞って薄物を出した。
しかして私には春物がある。
これはいかにして型崩れといえようとある。
春を愛する者としては小躍りで腕を通す、である。
であるから春便りである。                    草々

 その 521 NHK行 2007年6月16日
前略 4/20 林檎の巻
買い物などをしていると季節の恵みがスーパーに彩どりをみせているのが分かる。
果物でいえば、秋から梨が出始め、それから柿が出始め、やがて蜜柑に変わる。
 梨と柿はよく食べたけれど蜜柑には手が出ない。
メロンやサクランボや苺は高くて手が出せない。
安売りの時にゲットすると買い物上手になった気分になる。
 香水や豊水の他に洋梨のラ・フランスが昨年からガクッと安くなったのと、
いつまでも置いてあるので、よく食べた。
それもこれもみんな終わってしまったので、何か物足りない。
 であるからこの頃は仕様がないので林檎で我慢している。
そしてこの頃は皮を剥くのが面倒になって、ガブッとやっている。
ガブッとやると、そういえば小学校の給食の時に時々出ていたのを思い出した。
 国光という小ぶりな林檎で、たしか豊作で捨てるのは勿体無いからと学童達に配ったとか、
家にも何度か、一箱買ってあって、籾殻の中から取り出しておやつ代わりに食べていた。
もう見かけなくなったなぁ。
5/22 アンドーナツの巻
 この間、無償にアンパンが食べたくなった。
それも揚げて粉砂糖がまぶしてあるアンドーナツを。
早速買ってきて五個入りのをぺろっと平らげて満足したが、こういう食の要求は珍しい事で、
しばらく食パンを食べていた所為かとも思ったが、
それにしては白アンパン党なのであるから見当がつかない。
 白アンパンを食べ続けて飽きて、ピザを食べ続けて飽きて、
食パンを食べ続けて飽きて、そんな中で急にアンドーナツである。
現在はロールものを食べている。
 揚げるだけ揚げた下地にチョコをたっぷり塗したパン、見かけなくなったなぁ。
ねっとりした感じに揚げすぎた端っこがカリカリして美味かった。
食感かなぁ?いや違うなぁ・・・解らない。                       草々

 その 522 NHK行 2007年6月23日
前略 のら節  のら節 その十七
 どうにもある時期から帰宅時や物置の屋根の上のノラと眼が合う。
家の中でもくつろいでいる風でもない。
 窓を開け放した時に庭の隅でこちらを見ている猫がいて、
よく見るとノラであった。
 ちょっと気になったので、ノラに声をかけてみた。
 「ノラや・・・何処へも行かないでおくれ」

それ以来ノラは庭や屋根の上でお尻を向けてのんびりしている。

のら節 その十八
「もういいかい」 「もういいよ」

「デコちゃん、み〜つけた」 「どうしてわかったの?」
「だって返事するんだもん」 「そっかぁ」
「きゃっきゃっきゃっ」
屋根のノラがごろんとなってニャ〜ンと鳴いた。
「あっ、猫」
ノラも見つかってしまった。

のら節 その十九
会合で遅くなって帰宅した。
ドアを開けたらノラが出て来て外へ出ようとするので、
急いでゆるりと閉めたが、頭一つ挟まってしまった。
「ノラっ!!」
緩めたら外へ出てしまうのでちょっと力を入れた。
ごりごりごりと頭が抜ける感触がノブに伝わった。

一瞬、畑で死んでいた猫の事を思い出した。
尻尾が短かく、先っぽが曲がっていて、
その短い尻尾をなぞってみたら所々骨折もしていたようだった。
どんな家に飼われていたのか、手の感触に痛みを感じた。

ノラを呼んで頭を撫でて尻尾も撫でてやった。

のら節 その二十
廊下でノラがクモと格闘していた。 が、よく見るとトマトのへただった。
どこで見つけてきたのか、私が落としたのか。 ノラに戻してやったら、またじゃれていた。

そんな事をすっかり忘れた頃に座布団の下から、クモが出て来てビクッとした。

ビクッとしながらも、それがへたなのを思い出した。 もうノラには渡さない。

 その 523 NHK行 2007年6月30日
前略  ボクシング4強談義 その17
5/29 王者トーマス・ハーンズ 対 アイラン・バークレー 2戦目。
L・ヘビー級、両者共に油がのりきった時期の試合。
 You Tubeで最終12ラウンドと採点待ちの短い映像を見た。
12ラウンドは両者かなりの疲労を溜め込んでの攻めのようであったが、
若干バークレーのペースが生きていたようである。
 可笑しかったのは、採点待ちの時の彼らの顔がちらちら映って、
スーパーハードパンチャーらしく殴りに殴り合ったようで、
目の周りをもっこり腫らしていて最初、どちらがどちらだか分からなかった。 
とくにハーンズのもっこり顔は珍しくて必見です。 
 なんと言ってもバークレーのガードを固めて近づき、
カウンター狙ってまーすのざっくばらんスタイルはハーンズも手を焼いたようである。
 前半での痛恨のハーンズのダウンシーンが映ったが、パターンとしては第1戦と似ていた。
積極的に痛烈なパンチを浴びせるハーンズにバークレー後ろによろけてみせるが、
尚も攻めを見せるハーンズに待ってましたのカウンター左フック一発。
 上からのアングルも映り、ちょうど等身大左右にズレていて、
両者ともに攻め込んでいるのがよく分ります。
 しかしこれ、ハーンズのパンチを耐えられなかったら生かせない攻めであり、
逆にハーンズとしては複雑な気持ちで攻めあぐねる展開であり、やはり相性であろうか。

5/29 油が乗り切った?

5/31 あやしかったので、ひらがなにしておいて、後で検索で確認しようと思っていたのを忘れてしまった。
見ず知らずの私に有り余る御指摘有り難う御座います。
お礼と言っては何ですが、"もっこり顔"をリリースさせていただきます。 
 http://www.youtube.com/watch?v=Ja-sVztHKXw
ところでもう一つ、"ブルンブルン顔"のバークレーがあるのですが、探したけど見つからない。
誰か見つけたらリリースして下さい。
壮絶な激しい戦いの後にも"可憐に咲く一輪の顔"がテーマです。                草々

2007年〜

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