トップページ〜 | 95年〜 | 96年〜 | 97年〜 | 98年〜 | 99年〜 | 00年〜 | 7月〜 | 01年〜 | 7月〜 |
Eメール | |||||||||
02年〜 | 7月〜 | 03年〜 | 7月〜 | 04年〜 | 7月〜 | 05年〜 | 7月〜 | 06年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
07年〜 | 7月〜 | ___ | 7月〜 | 09年〜 | 7月〜 | 10年〜 | 7月〜 | 11年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2012年〜 | 7月〜 | 13年〜 | 7月〜 | 14年〜 | 7月〜 | 15年〜 | 7月〜 | 16年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2017年〜 | 7月〜 | 18年〜 | 7月〜 | 19年〜 | 7月〜 | 20年〜 | 7月〜 | 21年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2022年〜 | 7月〜 | 23年〜 | 7月〜 | 24年〜 | 7月〜 |
2008年〜
その 550 NHK行 2008年1月5日
苔生しの記録
夜に寝床で素晴らしい物語を思いついた。
それは大長編になりそうな構想であり、
その夜はぐっすりと眠ってしまった。
朝に目が覚めて、すっかり忘れているのに気づいた。
しまったーっ、書き留めて安心して眠れば良かった・・・
というところで目が覚めた。
その夜は何かくやしくて寝付けない。
仕方がない、夢の中で思いついて、
今度こそ書き留めておこうと眠った。
夢の中で見事に書き留めたが、
目が覚めてさっそく探したが見つからない。
なんて事だ、それはもっともな事だ。
その夜も何かくやしくて寝付けない。
夢の中で何とか策を練らねばと眠りに付いた。
策を練っただけあって、それを達成した・・・。
というところで目が覚めた。
であるからどう達成したのか覚えていない。
その夜も何かくやしくて寝付けない。
しかし一計を案じた事が妙に安心となり眠りを誘った。
一計を案じただけあって、それは達成感のあるものだった。
夢の中で私はひたすら同じ文面を書き綴っているのだった。
これならば目が覚めても思い出すであろう。
案の定、私は夢から覚めても思い出す事が出来たのである。
出だしはこうである・・・夜に寝床で素晴らしい・・・
その 551 NHK行 2008年1月12日
前略 2007/12/ 2 変なのは音楽業界だけじゃない 映画もおかしいしドラマも変、
政治も経済も機能していない。
教育現場も酷い有様 つまり社会の根本が揺るいで破壊されたら
まともな物が育たないし出てこないの。
今の日本は精神も肉体も衰弱している。
だから本来社会が暗い時逆に元気がある方面までやられている。
まあましなのはスポーツくらいじゃない でも、
あれは個人の努力が一番正直に報われる世界だろう
それも海外で活躍する人ばかりだけどなw
12/ 9 おっしゃる通りで、音楽業界はとくにミスキャストが多い。
盗んだ曲でメッセージを送り、人を感動させても、時代が、らしくない。
たぶん犯罪者は犯罪者以外の総てのものに挑戦しているのだと思う。
常識人がやらない事をおおっぴらにやっているのだから。
であるから、不正が伸し上がるなどという事はなく、
全体のレベルを低下させているだけなのでしょう。 だよ、ソニー。
12/12 ジャニーズに対する疑問 最近、KAT−TUN、NEWS、TOKIO、
嵐などのジャニーズ勢がオリコン1位を独占していますが、
どうしてそんなにオリコン1位を連発できるのでしょうか?
デビュー以来チャート1位を連発し、ギネス記録を持つKinkiはまあ理解できますが、
あれだけジャニーズがオリコン1位連発だと、やはり実力自体に疑問を持たずにいられないでしょう。
皆さんの意見が聞きたい。
12/20 そういう入り方というか、受け止め方をしていると、そういう疑問も出てくるでしょうね。
まあ、昔のアイドルはアイドルを夢見た子が多かったかな、
この頃はおっかさんがノリノリで子供は好むと好まざるに関わらず、
小さい頃から乗せられて、現在に至るのが多いのではないのか。
であるから、アイドル予備軍には事欠かない世界ではある。
音楽の変化というよりも、アイドルの変化がぴったりでしょう。
であるから、アイドル予備軍周辺が作り出すオリコン1位なのである、と、何とか纏まったかな。 草々
その 552 NHK行 2008年1月19日
前略 春便り19 2007/12/ 5 この間から恒例のくしゃみが出だして連発していたが、
この頃やっと治まってきた。
くしゃみも出そうで出ないと決まりが悪いが、年末のくしゃみは一発必中である。
どうやら冬の寒さに体が馴染んできたようである。
もう体は夏志向には戻れない冬向きになったようで、
暦どおりに夏に出合うにはやはり春の中和が必要だろうか。
もう冬なら次は春である。
これまたお馴染みの小グモも出没していたが、
今回はパソコンのモニター画面の向こうの壁にポツンと登場していた。
何日もそうしているので、パソコン横から強い息を吹きかけたら、
届いた様で、たちまち物の影に隠れてしまった。
ただの風だろうに何も隠れなくてもオーバーな、と思ったが、
しばらくしてまた出て来たので、可笑しかった。
今年は一匹しか見かけなかったが、最後に見たのは、
出かけるのにゴミ入れのポリ袋を摘み上げた時である。
ピョンピョンと跳ねていたので例の小グモであろう。
それ以来見ていないので、きっと最後のご挨拶だったのかも。
ちょっと貰い物を引っ張り出したら、アンゴラと書いてある肌着上下が見つかった。
どうやらアンゴラウサギの毛が入っているようである。
さっそく着てみるとホンワカと暖かいし、触ってみても今までにない感触である。
それで寝る前に一言つぶやいてから眠る。
私はうさぎ。
◆
この間の帰省の折、手編みの編み物を習ってきたが、
習うというよりも、どのように編まれているのか、解析を試みたと言ったほうがいいか。
冬までには靴下の一足位は編める程に、などという大胆な思惑はなかったが、勉強になった。
一本の糸で編まれているのが不思議でならなかったが、少し解りかけた。
簡単ではあるが、片方はしっかり握って、
片方は糸を弛まして余裕をもって編んでいく、といったところか。(笑) 草々
その 553 NHK行 2008年1月26日
前略 ポトスの巻 1/ 5 冬場に暖をとらずに実況をしていた時は現に寒かったし、
熱心に書き込んでもいたが、その次の年、いわゆる昨年は暖冬であり、何かの書物でも、
東京の冬などは、かえって体にいいなどと書いてあって、どっちらけてしまい、
もはや書き込む気にもならない。
であるから、我慢もしなければ、迷う事もなく過ごしているが、
ほそぼそとファンヒーターを点けたり消したりしている。
そうは寒いとは思わないが、寝床にもぐろうとした時に、観葉植物のポトスに目が行った。
葉っぱをつまんでみると、ひやっと冷たかった。
寒そうには見えたが、やはり、ひやっと冷たかった。
部屋の主の趣向に付き合わされてはいるが、むしろ生き生きとしている風でもある。
葉っぱは緑と黄緑のまだら模様ではあるが、カーテンを開けたり、蛍光灯の明かりなどで、
まだら模様の色が変化しているのが分かる。
葉が広がり過ぎていて一枚だけ寝床の私の頭に触っているが、私もポトスも気にしないで眠っている。
◆
しかし、寒さ対策に気を使わないと言うのも楽ではある。
小暖房を弾き返すほどの寒さでもないし、ファンヒーターをちょっと捻ると暖まって来る。
であるから危うさを感じながら突っ張っていた自分が可笑しくもある。
久しぶりにカーテンを開けて外の明かりを導き入れた時、
気を使ってポトスにも陽の光が当たるように広く開けてみた。
それでよく見たら薄っすらと葉っぱに塵が積もっているではないか。
当たり前といえば当たり前ではあるが、蛍光灯の明かりではまったく気づかなかった現象である。
それで成長が止まっていたのか、などと訝しく呟きながら、
葉っぱの一枚一枚指で拭いたら指に薄っすらと塵が残った。
野花でも摘んで来て一本位真ん中にレイアウトしたいところであるが、東京ではそうもいかず、
良かれと思っても多分人様の物である。
葉を広げてはいるが、それほど成長していないようである。 草々
その 554 NHK行 2008年2月2日
前略 B'z盗作曲一覧(一部試聴可)
というトピックがあったので、ちょっとお邪魔してみた。
まぁ何と言ってもレコード会社は真っ黒のビクターだし、
海外の会社も商売人の集まりであり、買い被るのも禁物だし、
どこに落とし穴が潜んでいるか解らないが、余り複雑にしないで、
タイトルの趣旨に絞りこんでみよう。
どれどれと、リンクを辿ってちょっと試聴。
いっぱいあったが、聞き比べを上の方5・6曲程。
なるほどねぇ、しかしこれだけあからさまと言うか、露骨だと、
彼ら、音楽をやってると言うよりカラオケ唄ってる気分じゃないのか、
しかも某宗教団体のお墨付きときたひにゃ、笑いなくして語れませんな。
芯に一本しっかりしたものが流れていないと、何をやってもお笑いと紙一重である。
もっとも私のような被害者にはたまったものではないが。
コード2つ与えて、さぁ曲らしい曲を作ってみなさいと言われて、
たじろいじゃ駄目だぜ、だけどメリハリ難しいよ、
出だしも肝心だけどエンディングをキュツと締めるのもプロの技だ。
CD売り上げ枚数、億に達していて、出来ないんじゃ、やはり紙一重だぜ(笑)。
さて、東芝ちゃんに振ります。
東芝は昨年10月の記事のように、何故 PRIDE に拘り強気に出るのか?
思い出したが、ちょっとした理由があるのである。
それが本当であるなら世界が仰天する程であり、
であるから、彼らは口が裂けても言えない事情なのである。
しかしちょっとした理由があるから通したいのである。
言ってもいいか? うん? 書いてもいいか?
うん? ちょっとヒント。 次回にしよう。草々
その 555 NHK行 2008年2月9日
前略 2007/ 5/31 大判どら焼きの巻。
百円ショップでホットケーキと練りアンは買ってきてあった。
5分で出来る餅とアンの大福はお手軽である。
そこでちょっとホットケーキに活かしてみる事にした。
ボールに粉を半分入れて卵を一個入れてかき回す。
それをフライパンに半分垂らし、練りアンを細く渦巻き状に載せる。
その上に残りのホイップ状のを垂らす。 これで大判どら焼きの出来上がり。
腹いっぱいになって、これで百円はかかっていません。
どうですかこの、買い物上手。料理上手。トッピング上手。
さぁ、また作ろうと新しい練りアンのビニールパックを手に取ったら、
どうもシュリンク不良で穴が開いていたらしくパンパンに膨れていた。
これだから安物は・・・いや、やめておこう・・・また飽きてきた。
2008/1/13 玉露の巻
玉露なるものがある。 貰い物であるが、手にとって眺めて見る。
永い間一人の部屋では飲んでいないし、コーヒー・紅茶に独占されているので、
はたして入り込める余地があるかどうか。
と思った。
早速急須を買ってきて、一度沸騰した湯にとおす。
百円のなので、割れないか気になったが、大丈夫であった。
普通に急須に入れて飲んでみたが、茶葉を入れすぎて、湯が熱過ぎて、めちゃくちゃ濃い。
それでも口の中、苦くて飲めないという程でもない。
さすがは高級品の持っている風格というものか。
以外や、コーヒー・紅茶よりピッチが早いぞ、気がつくと無くなっていて、お代わりが欲しくなる。
さすがは日本家屋育ちとでも言いたくなってくる。
幽かに香水というよりも口紅のような淡い香りが漂う。
玉露というのは50〜60度の湯で2〜3分待って、甘みを取り出すように注ぐようだ。
とすると淡い香りがしたのは甘みの玉露か、などと、言ってみたりする。
煙草やコーヒーで舌っぺが荒らされているので、なかなか満足のいく味にはならないが、
もう食事の時は欠かせなくなってしまった。
玉露は残り一回分位になってしまったが、セットなので、次は煎茶の缶がまだある。 草々
その 556 NHK行 2008年2月16日
前略 パークゴルフは北海道では盛んである。
帰省した時は必ず打っていて、道南だけでも20ヶ所近く回っている。
昨年の11月始めに帰省した時も何も計画はなかったが、パークゴルフだけは半日楽しんだ。
本格的なゴルフを小規模に設定したようなゲームで、クラブもボールも飛ばないようにできている。
さほど難しいコースはないが、やはり芝が整備されている所が打ちやすい。
1コースは9ホールで何処でも3コースは整えていて、やり始めの頃は力任せに打ったり、
叩き下ろしてスライスさせたり、左で打ったりと、遊び半分であったが、
上手い人が入ってコースを回ったりしてルールを覚えると、無難な打ち方に変わった。
一人でも複数でも楽しめるが、1打目は全員打ち終わってから芝に進んで、
2打目はピンから一番遠い人から打ち始めて最少の打数を競うのである。
OB(コース割れ)をするとプラス2加算されるので手堅くなりがちである。
この日はパー33で回るところを26という最少打数を記録したコースがあったが、
その他はさっぱり冴えない結果であった。
噴火湾を展望できる海沿いの丘で天気も良かったので日焼けした程であった。
次の日からはお袋と二泊三日の懐かしい温泉場に出掛けた。
登別温泉の奥にあるカルルス温泉街で旅館は五軒位であるが、近くにスキー場がある。
ここは登別温泉よりも古いらしく源泉の湯にたっぷりと浸かってきた。
私が小学生の頃に地区の慰安旅行で来た事があり、40数年振りの懐かしい場所であった。
近くの橘湖へ出掛ける途中、生まれて初めてクワガタを見つけた事でも忘れられない場所である。
今回は紅葉の時期を過ぎていて、秋を満喫とまではいかなかったが、
まぁ子供の頃から見慣れてるからとも思うが、やはり内陸の山奥の方が綺麗だろうか。
紅葉もまた年毎にその色合いを変えていて、赤がより映える年もあれば、黄色が多い年もあり、
程よく調和して輝きを増している時もある。
ところで熊であるが、この時期にたっぷりと脂肪を付け冬眠に備える訳であるが、
その前に体を乾燥させる為に木に登り日向ぼっこをするらしいのだ。
そうしないと冬眠時に凍ってしまうからである。
その木に登り日向ぼっこの熊が、猟師には狙い時なのだそうだ。
山の事なら何でも知っていそうな山親父と、
山親父の事なら何でも知っていそうな猟師の、気だるい陽だまりの午後である。 草々
その 557 NHK行 2008年2月23日
恋のスーパーバイザー (1981年)
一、 何もかもがすべてが それどころではなくなって 僕は彗星のように 駆け出したのさ 何時ものんびりしてたけど 躓き転びそうになって 其の儘駆け出した僕は 恋のスーパーバイザー 恋の為に 恋の為に 恋の為に ポポパンポ パンバパン |
二、 何もかもがすべてが 青春次第のこの時に 僕はあの子に会う為に 駆け出したのさ 何時ものんびりしてたけど そういう気分になれなくて とりあえず駆け出す事が 恋のスーパーバイザー 君の為に 君の為に 君の為に ポポパンポ パンバパン |
三、 恋のタイム 計っておくれ 熱々の心 燃え尽きそう 胸の炎で テープを切るさ 君が好きさ 君が好きさ 君が好きさ ポポパンポパンバパン 恋のスーパーバイザー バイザー バイザー |
その 558 NHK行 2008年3月1日
前略 2/16 するめイカの巻 この頃は料理作りに倦怠を感じ、
たいした物は作っていないが、旬の刺身用のするめイカは時々買っていた。
たまに刺身も食べたいし、残りでイカわたの煮込みも作れるので目に留まる訳である。
お楽しみ券付きおまけ気分である。
解体が厄介そうであるが、慣れるとそうでもなく、先ず綺麗に洗って、
胴と足に指を突っ込んで筋を外すと内臓が出てくるが、騙し騙し引っ張るのがコツである。
按配が悪いと破れたりする。
それと軟骨が一本入っているのでそれも引き抜く。
そんな按配で胴から耳も剥ぎ取り、
其の儘胴の方へ滑らすと皮の一部が剥けて、残りの皮も剥きやすくなる。
皮は透かしてみると指が透けて見える程薄く、
これが平面に対して鮮やかな彩りを見せるのだから見事である。
嘴がまたシンプルである。
背中の軟骨同様、軟体動物の制約の中で、やっと作り上げたというふうに、
折り紙の鶴のように頭を折り返えしたような強度になっている。
しかし一見イカではあるが、グロテスクと言えばグロテスクである。
何億年も昔の海で泳いでいた雄姿其の儘であり、
イカの祖先もはたして美味だったのだろうか、などと思ったりする。
化石燃料になるところをみると、不味くはなかった気もする。
◆
1パックにイカが2ハイ入っているので、刺身は何時も食べきれず、
残りを足や耳やわたと一緒に纏めて冷蔵庫に保存。
何日かしてからイカわたの煮込みを作るのである。
イカをさっと炒めて、とろみに仕上げるのにわたに卵を混ぜているが、たぶん私だけだろう。
何とかゲテゲテのイカわたの煮込みの出来上がり。 草々
その 559 NHK行 2008年3月8日
2007 新ジャガ1ケースめ全記録 07-11-30 6コ そのままガブリ 07-12-03 7コ 色々なタレで試食 07-12-05 9コ 07-12-11 8コ 07-12-18 9コ 07-12-25 10コ 08-01-03 9コ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 58コ プラス6コ 全64コ 今回は到着が遅かったが、 昨年より大粒であった。 プラス6コというのは、腐っていた。 ネットで調べたら乾腐病らしい。 収穫時にジャガにキズが付いたりすると、 そこから発生するらしい。 今年のジャガは美味しいのに残念、 といったところ。 そこで一句 フタ開けて 美男美女に ふやけ顔 |
新ジャガ2ケースめ全記録 08-01-15 10コ 色々なタレで試食 08-01-28 9コ 08-02-04 10コ 08-02-10 10コ 08-02-15 10コ 08-02-24 8コ 08-03-03 5コ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 62コ プラス4コ 全66コ こちらは大丈夫そうだったのに、 使っているうちに一番下の方で腐っていた。 まるで蒸発したようにスカスカで形も無い程だった。 少し寝かせた方が美味しいと聞いたが、 遅れて届いたので確かに今回のは美味しかった。 色々なタレで試食しても食材が生きていた。 何か十個も減っていたからか、美味しかったからか、 あっと言う間に無くなった気がする。 そこで一句 ほおばって ほっぺふくらむ えみしがお |
その 560 NHK行 2008年3月15日
前略 ノートパソコンばかり4台所持しているが、とりあえずみんな動いていた。
メインのXPは昨年暮れにメモリを増やし2GBになっている。
今年で8年目になり2年置きに買い足しているとすれば今年が当たり年なのであるが、
その前兆ともいうべき事態が発生、2台が起動しなくなってしまった。
と言ってもOSが98と98SEの方であるが。
98の方はキーボードと本体を繋ぐシートケーブルの一部が切れてしまい、
マウスで動く状態であるが、ほとんど使っていない。
98SEの方はXPのペイントで線画の構図を整え、三つ・四つ溜まってから、
USB経由で98SEに送り、線画を形成するのに使用していたのである。
それからXPに戻して最終仕上げである。
何故にそんな面倒なと思われるが、98SEに載っている旧バージョンのペイントの方が、
曲線が好みなのである。
XPのペイントは曲線の太めのツールを使うと四角形が重なる形になり、
達磨落としの積み木のような形になるのであるが、旧バージョンは食い込みがあり、
その所為か若干太いのである。
勿論旧バージョンのmspaint.exeをXPにコピーした事があるが無理であった。
付属ファイル・共有ファイルが足りなかったのか、液晶画面の所為なのか、
兎も角98SEがあるので、たまに使っていたのである。
それが久しぶりに98SEを起動して使った後に、
別の用件でインストールソフトを調べようとスイッチを押したらもう動かない。
電源は入るがロゴまで行かず、それっきりである。
であるからペイントのバージョンを調べておけばよかったなと思い、
98も動かしてみたが、まったく同じ症状に至ってしまった。
今年は珍しくファンヒーターのスチームを使っていたのでそれでかなとも思ったが、
それにしては98SEが一度動いている。
それで98SEを分解してHDDを取り出してHDDケースで試してみたが、動いた。
この時にまたもやシートケーブルを傷めてしまい、98と同じ運命に至ってしまって、
ここでやっと困った状態になったなと思ったのである。 続く
その 561 NHK行 2008年3月22日
前略 一番安いノートを買ってペイント専用にするにしても、
はたして98を受け入れて旧ペイントをそのように表現してくれるかどうか、
それが可能であれば、思い切って上位機種もほしいところではある。
XPのペイントでも仕上げられない事もないのだが、かと言って、
旧ペイントはどうしても捨てきれず、バージョンを調べるにしてもそれを取り出すにしても、
寸止まりなのでお手上げ状態である。
もちろん今回もXPの互換性の設定もしてみたが、仕舞いにはフリーズ状態になり、
寸止まりに拍車が掛かってしまった。
電話サポートもしてみたいが、何か大風呂敷に至ってしまって、
サイトの検索で終始している。
平行して放電状態の98・98SE機種の分解掃除に取り掛かったが、
これで直れば収束に向かうのであり、何の事もなかったのであるが、
先にシートケーブルを傷めているので、自分でも何をやっているのか纏まりがつかない。
マザーボードの裏まで手をかけて掃除をして組み立てたが、その甲斐もなく、
電源を入れてみるがそれっきり、98も右に同じである。
今年の冬は10何年振りで珍しくファンヒーターのスチームを付け続けていたので、
その所為ではあるのだが、ちょっとした気の緩みである。
何故付けたのかは、ちょっとした隙に入り込むものがあるのである。
であるから思い切ってサブXPに98SEをインストールするべく、バックアップソフトで、
サブXPの再バックアップを済ませ、既に保存済みの98SEの復元を試みた。
問題無く描画できれば、そこで絞り込めるので方向が見出せる。
が、何度やっても復元のパスワードが思い出せず開かない。
こんな事ばかりやっているようだが、98SEだけ、何故か思いだせない。
仕方が無いので98のCD版をインストールしたが案の定デバイスが大騒ぎであり、
ドライバの更新も覚束ず、肝心のモニタ関連が600ピクセル状態である。
でかいの何のって。
それでもペイント効果はと言うと好みの曲線を表現しており、
ここでやっと一息ついたのである。 続く
その 562 NHK行 2008年3月29日
前略 つまりXP標準搭載の15型ノートに98をインストールしても、
個性は失われてはいないと言う事である。
であろう、98用のBIОSを組み込めば、もっとシャキッとするはずだから。
何か当たり前の事を言っているようであるがスルーして下さい。
98搭載の中古を手に入れなければと思っていたのが、大飛躍であり、
これなら未来につなぐ上位機種を買っても、お古も生きてくるというものである。
購買路線にレールを戻した感があり、それじゃその時までにという事で、
今の2台のパソコンを生かして使い倒す事にした。
いわゆるXPのサブノートに98SEを同居させるデュアルブートである。
そういえばパーティションを好みに分割するのを試した事があった。
20GBのドライブを起動ディスクを使ってFDISKとかいうアプローチで。
98のパーティションはその時の割り振りだったはずである。
さっそくサブにXPを戻すべく、再バックアップしたのを復元しようとしたら、
ファイルが壊れていて開けません、と出た。
こればかりはハイそうですか、とはいかないので、ちょっと思案して、
2チャンネルの情報を思い出したので試みた。
システムに負荷をかけないで、CDから ブータブルメディアを起動してみたのである。
難しい理論は分からないが大体の理屈は飲み込めるので、
OSの起動前にセットしてみたら案の定、何事もなく復元してくれた。
ドライブから復元ファイルを弄っていたので、その所為かもしれない。
しかしOSのインストールや出荷時のリカバリーで戻す時とは違い、
バックアップしたのを復元する時ほど慎重になっているもので、
とくに綱渡りの時などは復元の間、借りて来た猫のようにおとなしくなっている自分がいる。
テーブルの角などに触れないように以外と緊張しているものである。
自分でこさえたバックアップを心配しだしたらキリが無いので、じっと見守っているのであろうか。
そうこうしている内に復元も終わり、御破算に戻り、
さてこれからパーティションを分割して、OSを導入のデュアルブートである。 続く
*訂正 XP搭載機種から98のBIOSのダウングレードは無理でした。
その 563 NHK行 2008年4月5日
前略 その前にデュアルブートの情報を貪っていたが、
導入過程ではあまりお勧めではないらしく、堅実的な記述がなかなか見つからず、
のめり込むばかりであった。
ともあれ、起動しなくなった場合の対処の方も気になりだして、
保存してあるFDを引っ張り出して整理して緊急起動用のディスク、
Boot.ini用のディスクをそれぞれ作ったが、仕舞いには凝りだしちゃって、
FDDの付いていないメインのXP用のCDも作り出した。
ISOイメージにするまでが大変で、またそれをCDに焼くソフトも別で、
デスクトップはファイルやらテキストやらソフトやらで一杯になってしまったが、
更に気丈夫の回復コンソール起動用CDも作り出したからたまらない。
そうこうしているうちに画面がブルースクリーンになって二進も三進も動かず、
緊急画面を開いてもリカバリ以外は受け付けず、やむなくリカバリをして、
更に復元をして元に戻した。
目の前には緊急起動用のディスクやらCDやらが無造作に転がっていて、
ここでやっとくたびれてしまった、と思った。
さて、サポート体制も確立して、
ネットからデュアルブート可能な一番安いパーティション操作ソフトを見つけ、
ダウンロードして準備を整えた。
そのソフトを起動してサブXPのパーティションを覗いてみると、隠し領域が残っているので、
思い切って未割り当て領域にしてから、NTFSにしてくっ付けてCドライブ一つにした。
それから98SEを入れる領域をFAT32で3ギガ、アクティブで確保し、インストールしたが、
まるで簡単にやってのけてしまうので、驚いていいのか、感心していいのか、
ここまではバックアップソフトの要領で出来、パーティションソフトのお蔭である。
そしてboot.iniファイルを書き換えて再起動、OS選択画面にまで辿り着いたが、
XPには入れるが、98SEの方はカーソルの点滅から先に進まない。
どうもドライブレターの割り当てが問題のようでもあるが、私はもう飽きてしまい、98SEは、
たまーにしか使わないので、まっいいかと納得して、ここで寸止まりにした。
そして昨日、CDからブータブルメディアを起動して98SEに入り、ペイントで作業したが、
前の13.0インチSVGA よりは環境が良くなった、として締め括りたい。 草々
その 564 NHK行 2008年4月12日
前略 >東芝は昨年10月の記事のように、何故 PRIDE に拘り強気に出るのか?
>思い出したが、ちょっとした理由があるのである。
>それが本当であるなら世界が仰天する程であり、であるから、
>彼らは口が裂けても言えない事情なのである。
>しかしちょっとした理由があるから通したいのである。
>言ってもいいか?うん?書いてもいいか?うん?
2/11 ちょっとヒント。
私は曲を作る時、他人の曲を想定しないので、直ぐ解るよ。
2/19 東芝に説明してもらいたいものだが、
そんな世界が仰天するような事が、説明出来る訳がない。
私の抗議文の中で、化け物 悪魔 バッキャモン で、検索すると、内容が汲み取れるかも。
3/ 5 しかしぽっと出の東芝っ子が700万枚である。
裏で何やっているか、みんな解ってるんだぞ、
と言うテレビ司会者とのやりとりもあった。(その 132)
税金免除の宗教団体。
CDコストダウンとパクリのレコード会社。
大量の桜人間。
あっと驚くカラクリがあるのではないか。
評論家がいればこちら方面からの情報もあるんだけどね。
3/11 宇多田ヒカル、今度は「First Love」の「着うた(R)」を無料配信前回の
「Automatic」の「着うた(R)」無料ダウンロードでは、4日間で合計50万ダウンロードを記録し大盛況だった。
今回も相当なダウンロード数を記録しそうだ。 3月10日
着うた(R)とか、着うたフル(R)とかよく解りませんが、東芝ちゃんに動きがありました。
前回の書き込みから東芝ちゃんの動きの間に、こちらにもちょっとした動きがありました。
メッセージですが、次回にそれを載せましょう。 お楽しみに。 草々
その 565 NHK行 2008年4月19日
前略 (アンケートご協力のお願い)
先日は拙い質問にお付き合い下さり、有難う御座いました。
手に余るデジタル機器に興味と驚きの毎日です。
貴社も日々邁進のさなか、電話サポートというニーズとの新たな接点に、
苦慮しているのを感じました。
振り返れば、パソコンから始まり、出だしで躓いている会社、開き直る会社、突き放す会社、
初めから対象外のような会社、企業としても踏ん張り所と見ていましたが、
貴社のサポート体制は一新の価値があり、大変勉強になりました。
これからも物づくり人づくりの会社として躍進する事を願ってやみません。
久しぶりにビデオキャプチャーを起動してみたら、映りは元に戻ったが、
何故か15分程で"入力信号がありません"と出て途切れてしまう。
息がありそうなのでバッチを探しにウエブサイトに行ってみて、
自動アップデートサービスがあったので、今回は試みる事にした。
しかし何が悪かったのか映らなくなってしまった。
手続きのついでに電話サポート予約というのがあったので、予約をして事後処置を任せた。
これで駄目なら諦めようとしたのである。
4日後の約束に電話が来たが、6年前に購入した物でこちらは恐縮していたが、
手取り足取り2時間近く付き合ってくれた。
最後に料金を聞いたら無料と言う事であっけにとられてしまった。
これで解決まで辿り着けたら万万歳であったが、疲れたと言うよりも何か感じるものがあった。
数日後にアンケートご協力のメールが届いたので、
私の知る限りのサポート雑感を素直に書き留めてみたのである。
ちなみに出だしで躓いている会社は、ガラの悪い東芝。
開き直る会社は、どこでもそういう傾向があったかな。
突き放す会社は、そういう顧客はもう買わないでくれ、というバナソニック。
初めから対象外のような会社は、触ると壊れるというよりも、見ただけで壊れていそうなソニー。
ふと2チャンネルでのヒントを思い出したので、機器に手を加えてみたら、
完治とまではいかないが、何故か映りが数倍永くなった。
それもサポセンでの経緯があっての最終の着想だったと思う。
デジタル機器も生活必需品に近くなってきているので、企業も顧客も真剣、
と言ったところだろうか。 草々
その 566 NHK行 2008年4月26日
前略 春便り20 2/24 先週より若干ではあるが寒さ続きの飽和状態から、
お名残惜しい冬が希薄が感じられて暖かくなってきた。
もうすぐ3月である。
昨日の午後から風が鳴りだして、夜になってやっと弱まってきたが、
今日も一日中、遠くで聞こえるような風が鳴っていた。
今はどうやら治まったようだ。
春一番のようであるが、春一・二番だろうか。
さぁ、じょじょに暖かくなってくるなぁ。
3/ 2 春一番が過ぎた後の天気のいい日に出掛けたが、
オーバーはやめて冬物の服だけで外に出てみた。
公園の桜も覗いてみたが、まだ蕾は閉じたままである。
デジカメの取り説を読み直して操作を仕入れたので、持ち出したが不発であった。
どうやったら春が巡って来るのかは目の当たりにしているが、
冬の間にまた一つ歳をとった事の方が確実な実感である。
床屋も行ったので、さっぱりさぁってところか。
4/10 Yahoo!天気情報をよく開いているが、
新しくなって何かせっかちな展開画面であったが、また前のに戻っていますな。
* 少しもったりにして、また戻している (笑)
この頃は天気が不安定で、この間の火曜日は一日中関東地方は大荒れであったが、
東京都の雨雲の動きを見ると、一時から二時の間、都心部にポッカリと穴が出来ていて雨雲も薄かった。
何時もは出掛けないのであるが今回は違っていて、餓死寸前の私は予報を頼りに出掛けたのであった。
まぁ少しは濡れたけど、食料を調達して来て、ひもじさを味あわずに済んだのであった。
◆
あれから冬を越して、桜の開花を迎え、ようやく春が落ち着いてきたようである。
季節の変わり目から安定した春を迎えるには、やはり風あり雨ありで、
不安定な天気が続いていましたが、ようやく春日和が定着しつつある。 草々
その 567 NHK行 2008年5月3日
前略 3/10 煎茶の巻 煎茶の袋を開けてみたが、見た目は玉露と変わりない。
煎茶の味は馴染みがあるので、体にすんなり溶け込むようである。
一番茶に漂う独特の香ばしさがたまりません。
20代の頃、高級煎茶を買い込んで、熱い濃い茶を飲みながら、
詞をいっぱい書いていたのだから、味わい深いはずである。
しかして現在、急須から茶を注ぐ時に若干じれったさを感ずるのは、
デジタル症候群の発露であろうか。
茶をいただく嗜みが揺らいでいるようでもあるが、もっとも当時は茶こしを使っていたっけ。
煎茶はもう飲んでしまったが、セットなので、茶箱入りの深むし煎茶がまだある。
しかして別途真空パック入りの狭山茶も貰ったので、こちらを先に飲んでいる。
3/28 狭山茶の巻 これといった味でもなく、不味くもなく、がぶがふ飲んだ。
真空パック入りの所為か茶葉が細かいのが特徴。
随分昔、恐竜展を見に行った時に、狭山あたりを歩いたので、
それを思い出しながら味わったが、迷い込んだ所為か、
都会の中の緑というのでもなく里山を歩いているような、奥深さがあった。
であるから心細さも湧いてきて、それらも思い出しながら味わったが、
都会からちょっと離れたわりには自然が多かった。
茶を飲みだして途中から茶殻を干して保存しだしたが、
狭山茶を飲み終わったところで、ちょうど茶缶に一杯になった。
奥深い緑色をしていた茶葉も、飲み終えると色素の抜けたような薄緑色であるが、
それが乾燥しだすとまた奥深い色をしだしている。
であるから茶缶に戻してみると、一見、番茶風である。
この頃は何でもリサイクル利用である。
4/21 深むし煎茶の巻 先に狭山茶を選んだのは、賞味期限が迫っていたからであるが、
お茶も鮮度が命なのであろうか、一ヶ月程であった。
深むし煎茶は昔は見かけなかったが、この頃であろうか、その名のとおり工程段階で深く蒸すのであろう。
とうとう15日で、四袋あったお茶も無くなってしまって、ふと、ポトスの葉に目が行った自分が可笑しかった。
すっかりお茶党になってしまいました。 草々
その 568 NHK行 2008年5月10日
のら節 のら節 その二十五
ノラがニヤーニヤー鳴くので、えっ?と思って気がついた。
老眼鏡を手に持っていて老眼鏡を探していた。
何度も見ているのに、まるで上の空であった。
老眼鏡だけに見えなかったのか、心ここに在らずである。
仕舞いに何を探していたのかも抜け落ちていたようで、
不慣れな動きにノラは敏感にキャッチしたようだ。
ついにやってきたか、永遠不滅の痴呆症。
さて、老眼鏡を見つけて私は何をしようとしていたのか?
あーっ、思い出せないーっ。 ノラやーっ。
のら節 その二十六
近くで犬が吠えだしたと思ったら、ノラがこたつから這い出してツツーッと出窓に顔を出した。
しばらく戻ってこなかったが、犬は吠え続けていた。 突然ドカドカドカと駆け抜けるような音がしていたが。
近所の話では通行人が犬に吠えられて上手く逃げたつもりが、
猫に吃驚して転んで捻挫してしまったとか・・・。
まさかノラではあるまいし、吃驚する程の顔でもないが、しいてあげれば右側半分髭がない位で。
のら節 その二十七
廊下から畳へ歩く音、ノラが現れた。 耳元で息をしているのでノラだろう。
寝過ごしたので呼びに来たのか。 ヒゲが無いので、こそばゆくない。
外は風が強いようでもう一眠りしようとしたら、ノラがもぞもぞと腰の辺りで動いた。
さて・・・では先ほどの気配は・・・ きっと春一番が吹き抜けたのかも。
のら節 その二十八
「この間の騒動ですがねぇ、犬と散歩中のご隠居が突然、きさまーっ!
糞捻りやがってーっ!この馬鹿ものがーっ! あれ程家でして来いってっ!これを始末しろってかーっ!
大体人様に尻の穴見せてやがってーっ!これ見よがしに人の前をーっ! って怒鳴り散らして・・・」
それで犬はどうなりました?
「犬はワンって」
そりゃ犬だからワンでしょうけど。
「それで訳解らずワンワン吠えだして・・・人様に」
それででしたか・・・いやはや。
「あらぁノラちゃん元気そうで」
あっと、ノラは出てこなくてよろしい、左を向いて引っ込んでなさい。
その 569 NHK行 2008年5月17日
前略 昨年の春から夏にかけて、国会図書館に出掛けたついでにか、
勢いで上野にも出掛けてみたが、行きたい所など探せばいっぱいあるのだし、
周期的にやってくる物見遊山に期待したのでもあるが、そこまでには至らず、
帰省以外に出掛けたのはそれだけであった。
国立博物館で「大徳川展」を開催していたのであるが、情報どおり凄い人出であった。
ネット情報での時間帯を考慮してでさえ観覧より待ち時間の方が長かった。
おまけに行列の時にババァに後ろから踵を擦られ、ちょっかい出されるオマケ付きである。
3年前には兵馬俑展をやっていたが、この時は出掛けなかった。
その少し前に帰省のおり友人と「思い切って中国にでも行ってみるかぁ」と、
話していた矢先であり、その兵馬俑が上野に現われた分けで、注目はしたのであるが、
フジが協賛で入っていたので何か臆する気分になって出掛けなかった。
であるから例の20××年キャンニャンライブを読み返してみるのも一興。
兵馬俑は私の20歳の旅立ちの頃に発見されて大騒ぎになっていて、気になっていたが、
84年に池袋の古代オリエント博物館で兵馬俑展を開催され、この時は横浜から出掛けている。
その時の印象の方が強く、悠久の大地に想いを馳せたものだった。
さて、テクテクと上野の広い区画を人の流れを拾って歩いていったら、
科学博物館の道に出て、そこで以外な動物に対面した。
実物大のシロナガスクジラの模型であるが、でかいのでかくないの中位って位、でかかった。
全長30mで、深く潜行する前のホバリング状態のような頭を斜め下にした流線で、
何でこんなところに居るんだろうと半端驚きながら眺めていた。
思ってたより胴体も太く、ちょうど電車一両分の長さもあり、明日から電車に乗った人は
「これがシロナガスクジラの体の中かぁ」と想像してみるのもいい、
手を伸ばし背伸びしても届かない程の広さです。
海が育んで来たのが地球上最大の動物であるならば、クジラにとっては、
許す限りの環境であり、海そのもののオブジェと言ってもいい。
恐竜もそうではあるが、現在は化石でしかチェックする事が出来ない。
Google地図の航空写真でもバッチリ上空から写っています。
何しに来たんだろうと忘れた頃にその場を離れ「大徳川展」の行列に加わったが、
その大名行列実地体験で疲れてしまい、館内の感想はいつか改めて。 草々
クジラ 正面から全体をとらえるのに敷地内のかなり後ろに下がっての撮影。 2007年11月28日、13:43:10
その 570 NHK行 2008年5月24日
前略 七人の侍 菊千代が現われたのは農家の入り口に架かる橋の袂であった。
しゃがみ込んだその姿は、とても侍とは思えない風貌で、刀だけは特注である。
盗人が人質を取って納屋に篭っているのを、勘兵衛は智略を用いて退治すべく、
剃髪して、その段取りの最中であった。
勘兵衛も菊千代も通りすがりの浪人であるが、二人はここで接点を見出す。
勘兵衛は菊千代を菊千代は勘兵衛を見つめ合い、両雄そろった感があるが、
何故にいたずらに振り向き、見つめ合うのかを、もう少し掘り下げてみたい。
勘兵衛が菊千代に何度も振り向くのは何故か・・・やはり異様に長い刀であろうか。
それはその後、山里の百姓達に加勢して野武士達と一戦交える山村で、見えて来そうである。
三度見返すのであるが、一度目に横向きから何かを思い出したような仕草で、
ふっと菊千代に振り向く勘兵衛のその眼差しは、落ち着いていてもやはり厳しい。
何が始まるのかと興味本位の菊千代も、
二度目に向けられる視線では少し気詰まりをみせるが、やはり好奇心の眼差しである。
盗人一人といえど生き死にに身を置いている状態であり、合戦には良く出た勘兵衛とて、
神経は相当高ぶっている筈で、野次馬の一人に過ぎない菊千代の興味本位の観戦とは、
小川を挟んだ向こうとこちら以上に偏差があり、やはり何か意味がある筈である。
ところでその眼差しの少し前、同じ野次馬の一人、後で勘兵衛に弟子入りを願い出る勝四郎に、
その長い刀を邪険に押され、菊千代は眼を飛ばしているのだ。
勝四郎は勘兵衛に向いていて、菊千代の抗議も目に入らぬが、やはり事は異様に長い刀である。
勘兵衛が見事に盗人を仕留め、やがて町へ続く道中を歩き出すまで会話はないので、
それ以上もそれ以下もなく、その刀とてその後に話題になる事もない。
その異様に長い刀も野武士との切り合いで折れてしまい、それっきりである。
それにしても道を急ぐ勘兵衛に追い着き挨拶を交わす菊千代の一言は勝四郎と違い最高である。
「たらったったったー はははっは」
こんな調子であるから勘兵衛もこう聞き返す。
「何か御用か ううっ・・・」 「おぬし 侍か そうよ どうかな」
では勘兵衛は菊千代の何を見ていたのだろうか。
それは山村での百姓達に訓練している時の菊千代の“いでたち”辺りから始まる。
百姓達が落ち武者狩りで手に入れた鎧、冑、槍などを本部に持ち込んで得意になると、
勘兵衛達は顔色を変えて問いただし、やがて押し黙る。 続く
その 571 NHK行 2008年5月31日
前略 ただ一人暴走気味の菊千代に七郎次が堪りかねて口を挟む。
「きさま!それでも侍か!この鎧は、百姓が侍を突っ殺して手に入れた品物だぞ!」
「そんなこたぁ 分かってらい」
「まあ待て もう良い 落ち武者になって竹槍に追われた者でなければ、この気持ちは分からん」
これである、つまり勘兵衛は菊千代に、この幻影を見たのである。
部屋いっぱいに漂う長い沈黙の後、さらに続く。
「はっはっは・・・こいつぁいいや!
やい!お前たち!一体百姓を何だと思ってたんだ?仏様だとでも思ってたか?ん?
笑わせちゃいけねぇや!百姓くらい悪ずれした生き物はねぇんだぜ!
米出せっちゃ無え!麦出せっちゃ無え!何もかも無えっつんだ!
ふん!ところがあるんだ。何だってあるんだ。
床下ひっぺがして掘ってみな!そこになかったら納屋の隅だ!出てくる出てくる・・・
瓶に入った米!塩!豆!酒!山と山の間に行ってみろ!そこには隠し田だ!
正直ヅラしてペコペコ頭下げて嘘をつく!
何でもごまかす!どっかに戦でもありゃあすぐ竹槍つくって落ち武者狩りだぃ!
よく聞きな!百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、
間抜けで、人殺しだぁ!ちきしょう!おかしくって涙が出らぁ!」
だがな、そんなケダモノ作ったの、一体誰だ?お前たちだよ!侍だってんだよ!馬鹿野郎!
戦の度に村ぁ焼く!田畑踏ん潰す!食い物は取り上げる!人夫にコキ使う!
女を漁る!手向かゃあ殺す!
一体百姓はどうすりゃあいいんだ!百姓はどうすりゃあいいんだ、百姓は・・・
ちきしょう・・・・ちきしょう・・・!」
侍と百姓とのパイプ役としては絶好調であり、菊千代の面目躍如である。
改めて戦い乱れた世を突きつけられて、寡黙な勘兵衛は目に涙を溜めて呟く。
「貴様 百姓の生まれだな」
暴走、爆走ぎみの菊千代はその後、勘兵衛に何度も名を呼ばれる。
水車小屋の時、野武士の大将と刺し違える時、菊千代ーっ!菊千代ーっ!と。
戦いも終わり墓の前で勘兵衛の以外な言い回しにも納得の度合いを深めるのではないだろうか。
「今度もまた、また負け戦だったな・・・・・ は? いや、勝ったのはあの百姓たちだ・・・儂たちではない・・・」
侍然、として終わらせるのではなく、百姓の勝と言う事で物語に帰結され、
いたずらに戦乱を掻き乱すのではなく、逆に戦国の世の厳しさが滲み出てくるようでもある。
七人の侍は兎に角面白い、という評判も、練りに練ったシナリオ作りにあるようだ。 草々
その 572 NHK行 2008年6月7日
前略 5/ 6 海外と国内の民間レベルでの音楽活動の比較、僕は過去に海外にて音楽活動をしたことがあります、
そこで、海外の民間音楽事情と国内での民間音楽事情の、決定的な違いを感じました、
それはどういうことかというと、
まずライブなどの場所を提供するシステム、国内ではまず場所の提供者はライブハウスだけの経営が主です、
チケットノルマや何かがあって、それをさばけないと、自動的に出演者の赤字になります、
海外では場所の提供者は箱+α何かしていて、たとえば、レストラン、カフェ、古着屋、ボーリング場などなど、
出演者からお金を取ることはまず無いと言えるのです、むしろ、出来の良かった出演者には、
どんなに無名であろうと、お金をくれます、出演者はその日だけ雇われた日雇いみたいなもんです、
そして、さらに出来が良ければ、契約とまでは言いませんが、経営者と出演者の間で週に数回の出演依頼、
どれどれだけお金払うから、出演してくれないか、という約束話しになったります、
お客さんも、チケットなど買わなくても、その場で気軽に見に行けます、
だいたいどのライブハウスも日本円で平均して五百円くらいで入れます、
そのほかレストランに来てた客、カフェに来てた客、などは、ただでショウを見ることが出来るのです、
まあ、海外では無名な音楽家たちにたいしての民間レベルで、
それだけの需要と供給のシステムがあるからこそ出来るのでしょうが、
国内にもあまり知られていないけど、いい音楽をやっている人は、沢山います、でも毎年のようにいなくなってしまいます、
僕はきっとそのようなことに問題があるからだと考えます、次に広告システムです、
海外にはどんなに小さくても、地元音楽新聞みたいなのが存在していて、
街のあちこちで目にする機会があります、それには色々なライブハウスの、月の予定などが載っていて、しかもフリーペーパーです、
次に音楽製作会社です、
海外には大小問わず無数にそのような会社があります、そしてその人たちは良い音楽を発掘しようと、常に目を光らせています、
そしてライブハウスに自ら足を運び、いい音楽家を見つけると、すぐその場で契約の話しをしてきます、と、まあそんな感じです、
僕は国内の会社の事情はよく知りませんのでここでは触れないでおきます。
5/16 なるほどなるほど。 比較的新しい音楽状況ですね。
経営者も出演者もクリエイティブな関係のようで、だいだいこれが普通だと思いたい。
大好きな音楽ですからね。
現在はネットなどでライブハウス状況など分かるのかな。 もうちょっと大きいサイトができればいいですねぇ。
教会へ出掛けてみんなでゴスペルを唄う習慣があったりしますが、日本はカラオケですからねぇ。 娯楽があるようで、余裕がない。
日本は音楽製作会社が新人の曲を盗んでますから。 草々
その 573 NHK行 2008年6月14日
素敵な夜の森 (1981年)
一、 素敵なフクロウが森に居りまして 途方にくれた旅人嘆いていると 素敵なフクロウ ホウと言って 興味ありそうにもう一度ホウと鳴くよ いつもいつでも想っていると いつでもどこでも友達 二、 素敵な旅人森に居りまして 森の静けさフクロウ嘆いていると 素敵な旅人 おうと言って 何かを話したそうにもう一度おうと言うよ いつもいつでも想っていると いつでもどこでも友達 |
三、 素敵な夜が森にありまして 小さい声の旅人素敵な声で のん気なフクロウ 足踏みしながら 葉っぱ達も道を開け覗くのはお月さん いつもいつでも想っていると いつでもどこでも友達 四、 素敵な朝が森にありまして 瞳を閉じた旅人小さくて 起きだした旅人 とても大きくて とても昨夜の御伽噺は語れそうにない いつもいつでも想っていると いつでもどこでも友達 |
その 574 NHK行 2008年6月21日
前略 どん底 「どん底」はゴーリキーの戯曲であるが、監督はこれを見事に映画化している。
この頃になってその面白さが見えてきて、どう面白いのかが気になりだし、
そのうち原作を読んでみたりして、翻訳が堀辰雄氏の友人の神西清氏であり、
これを江戸の場末に設定しての物語であるが、以外と忠実に再現していて2度驚いた。
私では消化しきれない箇所も映画では親切、丁寧に分かりやすく表現していて見事である。
どん底の中にあって、コミカル設定ではあるが、
良くも悪くもギリギリな言葉が飛び交うのが持ち味であろうか。
傾いて突っ替え棒で支えているあばら家の、二間の壁を打ち抜いて一間にしたような大部屋で、
気躓いて転がって落ち込んだら何時の間にか落ち着いた場所がここ、
という風なボロ長屋での人生模様である。
お寺の鐘で始まり拍子木のチョーンで終わるこの物語を一言で言えば、
酒飲みでどうしようもない連中の、どうしようもない生活ぶりであるが、そこに新顔のお遍路爺さん、
隣棟の大家夫婦とその女房の妹が絡んできて、エンディングの馬鹿囃子のような展開になってゆくのである。
しかも後半に大家の六兵衛が死んで、お遍路爺さんが姿を消して、捨吉がお縄、
お杉の妹おかよが行方不明になった後は、曲りなりにも収束に向かう筈であるのに、
もう一展開もあれば、馬鹿囃子の見せ場もあり、ボルテージは下がる事もなく、
どん底には底が見えないほどに拍子木のサスティーンだけが、最終に響き渡る。 続く
登場人物の活躍を五幕として時間の経過と共に追ってみた。 かなり大雑把です。 | |
□5分 ■登場 六兵衛(大家) お杉(大家女房) かよ(お杉の妹) 島造(下ッ引) 捨吉(泥棒) 留吉(鋳掛屋) あさ(留吉の女房) おせん(夜鷹) お滝(飴売り) 喜三郎(遊人) 役者(役者くずれ) 殿様(御家人くずれ) 辰(桶屋) 嘉平(御遍路) 卯之吉(歯入れ屋) 熊(駕篭かき) 津軽(駕篭かき) |
0 510152025303540 45505560657075 808590 9510
510152025 □□□■□□□□ □□□□■□□ □□■ □■ □□□□□■□■ □□□■■□□ □□■ □■ □□□□□ □□□■□□□■ □□□□□□■ ■■■ □■ ・・・・・ □□□□□□□■ ■■■□□□□ □□□ □■ □□■□□ □□□■■■□□ □□■■■■□ □■■ □■ ・・・・・ ■■■□■□□□ ■■□□□□■ ■□□ □■ ■■■■■ ■■■□□□□■ ■■■ ■■□□■□■□ □□□□□□□ ■□□ □■ ■■□□■ ■□□□□□□□ □□□□□□□ □□□ □■ □□■□□ □■■■□□□□ ■□□□□□□ □□□ ■■ ■■■■■ □■■■□□□□ ■□□□□□■ □□□ ■■ ■■ ■□□□■■□□ ■□□□□□□ ■□□ □□ ■■□□■ ■■□■□■■■ ■■■□□□■ ■■□ ■■ ■■■■■ □□□■■■■■ ■■■□□■■ ■■■ ■・ ・・・・・ □□□□□□■□ □□□□□□□ □□□ □■ □□□■■ □□□□□□□□ ■□□□□□■ □□□ □■ □□□■■ □□□□□□□□ ■□□□□□■ □□□ □■ ■■■■■ |
その 575 NHK行 2008年6月28日
前略 スクリーンショット名場面
大部屋で横恋慕の大家の女房お杉が、捨吉に悪知恵を仕込んでいる時に、
その本人の大家の六兵衛に覗き見され、罵られ、お杉すごすごと退散、
残った気まずい二人。
時はあたかもストーリーのど真ん中、どうやったらこうも自然に両者、
大部屋の真ん中で一方向に並んで仁王立ちできるのか、という程の大見得。
ボロ長屋での暫しの二人、その後の台詞がまた可笑しい。
「やい 出てけ 失せろ」「てめぇこそ失せやがれ」「行きな 行きなよ」
「笑わしちゃいけねぇ てめぇの指図は受けねぇよ」
その後捨吉に首を絞められるが、お遍路爺さんに見つかり事なきを得る。
スクリーンショット名台詞
「だってもう少し生きていたいもの もう少し
あの世に苦しみがないのなら この世でもう少し辛抱してもいいよ・・・」
余命短い病人に「あの世はこの世の休み場所さ」と優しく説き伏せるお遍路爺さんに、
留吉の女房あさの言葉で、どん底にあって妙に人間味を感じる。
逆にふと、一番謎の多いお遍路爺さんは死神ではないのか、とも思ったが、
と言うのも病人は見送る、知恵を付けた呂律の回らない役者はその後、感化され首を吊るし、
一度助けた六兵衛も、親身に接していた捨吉によって、
今度はお遍路爺さんが居ない時に死に至っている。
でもまぁお遍路爺さんの言葉を借りるならば、「これでも随分女知ってるよぉ
抜けた髪の毛の数程なぁ あぁ」であり「河原の石ころさ さんざん揉まれて丸くなったのさ」
であるのならば、女出入りの為で、そういうものなのであれば、こちらに落ち着いても遜色はない。
スクリーンショット名訛り
大部屋の奥座敷で寝ていた捨吉が、かかぁを探しに来た大家の六兵衛に起こされて、
癇癪を起すが、その時に見ていた夢の話。
「釣りをしてたのさ するってぇとかかったんだ どえれぇてぇがよぉ」
このてぇと言うのはどうやら鯛らしいのだ。 すっげー訛り。 続く
2008年〜
トップページ〜 | 95年〜 | 96年〜 | 97年〜 | 98年〜 | 99年〜 | 00年〜 | 7月〜 | 01年〜 | 7月〜 |
Eメール | |||||||||
02年〜 | 7月〜 | 03年〜 | 7月〜 | 04年〜 | 7月〜 | 05年〜 | 7月〜 | 06年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
07年〜 | 7月〜 | ___ | 7月〜 | 09年〜 | 7月〜 | 10年〜 | 7月〜 | 11年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2012年〜 | 7月〜 | 13年〜 | 7月〜 | 14年〜 | 7月〜 | 15年〜 | 7月〜 | 16年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2017年〜 | 7月〜 | 18年〜 | 7月〜 | 19年〜 | 7月〜 | 20年〜 | 7月〜 | 21年〜 | 7月〜 |
⇒ | |||||||||
2022年〜 | 7月〜 | 23年〜 | 7月〜 | 24年〜 | 7月〜 |